『ホンダジェット 開発リーダーが語る30年の全軌跡 』 文庫解説 by 清水 政彦 

新潮文庫2018年12月23日 印刷向け表示
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ホンダジェット: 開発リーダーが語る30年の全軌跡 (新潮文庫 ま 54-1)
作者:前間 孝則
出版社:新潮社
発売日:2018-12-22
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「ホンダジェット」は、バイクや自動車のメーカーとして有名なあのホンダが、初めて市場に送り出した飛行機である。斬新なデザイン、美しい仕上げと塗装、ライバル機の群を抜く性能。デビュー初日にいきなり100機以上売れ、「航空界のノーベル賞」ともいうべき権威ある設計賞を総なめにした。一言でいえば、誰もが認める傑作機だ。

その「ホンダジェット」についての本格的なノンフィクションである本書の著者、前間孝則氏は私が航空機関係の記事や本を書くようになるきっかけを作って頂いた方であり、まさに物書きとしての誕生の瞬間から御指導いただいている大先輩である。加えて、飛行機好きを自認する私にとって、ホンダジェットはぜひなにか書いてみたい題材でもあった。だが、文庫化のための解説の原稿依頼を勇んで引き受けてはみたものの、いざ読み返してみるとそう易々とはいかない。

何しろ本書は、単なる航空機の開発史や技術論という枠組みを超え、企業の経営戦略、技術開発における長期的視野、リーダーシップ論、チームとは何か、仕事とは何か、個人の思想や「信念」に至る壮大な物語を背景に持つ。その物語を織りなす各階層が様々な角度から分析され、手抜き無用の緻密な観測結果が濃密に書き込まれている。分量こそ文庫本で450頁ほどだが、その情報量たるや通常のビジネス書の比ではないのだ!

中でも出色なのは、関係者たちの肉声を伝える独自のインタビューであり、その情報量の豊富さ、緻密さの背景には、前間氏の周到な準備、卓越した知識と取材力が垣間見える。戦略的ないし俯瞰的な視点と同時に、きわめてミクロな視点(技術的要素)をおろそかにしていないのも本書の特徴と言える。航空機の構造や設計に関する技術的な解説や、随所にちりばめられた「自然層流翼」「ピッチングモーメント」「干渉抵抗」等の専門用語は、通常のビジネス書ではまずお目にかからないものである。

一方で、ホンダジェットの開発責任者であった藤野道格という人物を軸として本書を読んでみれば、これはまさに成功者の一代記であり、人間ドラマとして十分読み応えのあるものだ。このように、本書はルポルタージュであると同時にビジネス書であり、技術書であり、人間ドラマですらある。

これほど多様な相貌を持つ書物を、僅かな紙幅の「解説」で総括することなど到底不可能に思われた。

ウンウンと唸ること1ヶ月、文字数の制約の中で、あちらを入れればこちらが入らず、さりとてどれも捨てがたい……書きかけの原稿を消しては書き、書き直しては消すことを繰り返した結果、私はついに1つの答に達した。

なぜどの内容も捨てがたく思うのか、その中で私個人が最も感銘を受けた内容が何なのか、当たり前ではあるが、それを率直に表現することが真の「解説」であろうという結論に。そして、私がここ一ヶ月で得た確信によれば、本書が持つ迫力を十分に伝えるためには、「そもそも、ホンダジェットという飛行機の誕生物語が、何故に一冊の本になりうるのか?」という点から説き起こさねばならない。

実は劣勢な日本の航空技術

本書を注意深く読んだ読者はお気づきになるはずだが、ホンダジェットが成し遂げた成功は、いわゆる「ニッポンのものづくり技術」とはほぼ無関係である。

この解説が書かれている現在(2018年)の時点においても、航空機分野における平均的な「ニッポンのモノづくり技術」は、世界のトップレベルと比較すると決して誇れる水準にはない。ホンダが航空機事業に参入する2006年より以前は、その状況はさらに惨めだ。

本書では、こうした航空技術の日米格差について率直に触れた上で、次のような関係者のコメントを紹介している。

「日本の航空機業界では、世界の最先端を走るボーイングの新型機の下請け的な共同開発でその設計に参画すると、いっぱしの航空機設計者になった気になりがちです。確かに図面の描き方や強度計算の仕方は身につきます。でも本当はそうじゃないのです。ボーイングの設計マニュアルや仕事の仕組みが優秀だっただけで、それに沿って設計したからできたということなんです」(新明和工業の専務である石丸寛二氏のコメント)

このコメントが示すとおり、率直に言って、日本の航空技術は、現時点ではアメリカに全く対抗できていない。ホンダジェットという飛行機が一冊の書物たりうるのは、この機体の誕生と成功が、こうした逆境の中で生まれた「奇跡のような」成功例だからだ。

ホンダが航空機事業への参入を発表したのは2006年。この時点で、もちろんホンダには航空機分野では未だ何の実績もない。この段階で予約受付初日に100機以上の受注を獲得するということがどういうことか、想像してみよう。

自動車メーカーが作った、まだ誰も乗ったことがない、計画通り完成するかどうかもわからない、1機4億円もする乗り物。文字通り自分の命を預ける乗り物を、新たに「わざわざホンダで」購入しようという個人や企業が、初日に100人以上も手をあげたのだ。

はたして、この「奇跡」はいかにして実現されたのか?

「奇跡」を呼び起こした魔術の源泉はどこにあるか?

答えは、すべて本書のなかにある。読者は、本書を注意深く読むことによって、様々な角度、様々な階層における「成功の鍵」を見つけ出すことができるだろう。

そして、ここで私が強調したいのは、「翼の上にエンジンを置く」という斬新な設計にばかり注目していては、この「奇跡」の本質は見えてこないということだ。

本書では、基礎的な技術的側面への言及と同時に、より高次元な成功要因であるビジネス戦略の側面にもぬかりなくスポットがあてられている。

戦略的な勝利

ホンダジェットが勝利した最大の要因は「主戦場」の選択にある。つまり新規参入する市場として「軽量小型ビジネスジェット」を選択した判断こそが、勝利の源泉なのだ。

本書によれば、この重要な決断が行われたのは1997年、本機がデビューする9年前だった。このとき藤野は、居並ぶホンダの経営陣たちを前にしたプレゼンテーションの席で、競合する他社機を分類した図を示しながら、次のように説明したという。

「ホンダが狙うべきターゲットは、この図に示した大、中、小型のビジネスジェット機よりもさらに一回り小さい機体です」

「21世紀にはきっと、小型ジェット機の時代が到来すると考えています。その中でも、われわれのチームが目指す一回り小さな小型ジェット機の市場は将来有望です」

彼は技術者として有能であっただけでなく、ビジネスマンとして「時代を見通す眼」を持っていたのである。とはいえ、単に成長市場がどこにあるかを見抜くだけではビジネスの勝利は覚束ない。

古代中国の兵法書「孫子」が説くように、戦いはまず「敵を知る」ことが勝利への必須条件である。そして、ここでも藤野の眼は正しかった。

敵を知る

藤野は、本書のインタビューで次のように語っている。

「この世界は冒険することが意外と少ない。(中略)他社の同クラスのビジネスジェット機には一通り乗ってきました。実はこれらの機体の基本設計思想は、60、70年代の延長線上にあって、基本的な形や全体のコンフィギュレーション(構成)も、10年、いや50年1日のごとく相変わらず、胴体の脇にエンジンが付いている形態です。決して性能が抜群にいいとか、革新的な技術を使っているというわけでもないのです」

「30年も前に開発された機体が、依然として販売されている例も結構あるのです。しかも既存のビジネスジェット機メーカーでは、あまりにも短期的な売上を優先してセールスマンの待遇ばかりに重きが置かれている場合も少なくない。プロダクトや技術の革新によって性能そのものを向上させることにそれほど主眼が置かれているとは思えません」

小型ビジネスジェット機の市場は、ニッチであるが故にボーイングやエアバスなど「勝ち目のない強敵」は参入していない。しかも既存のプレイヤー達は油断しており、基礎的な技術への投資を怠っていた。つまり、新規参入者でも地道な努力を積み重ね先進的な技術を開発すれば、技術力で競合相手を上回る(正攻法で勝つ)ことも可能な状況だったのである。

己を知る

未来を見通し、決戦場を正しく選定し、そこで待つ敵を知ったならば、次に為すべきは「己を知る」ことである。ホンダにとって航空機事業は全く初めての経験であり、新規参入のリスクは未知数である。この場面において「己を知る」とは保守的になること、言い換えれば「不必要な冒険をしない」ことである。

ホンダジェットの場合、基礎的な理論構築やラフデザインの段階では(机上プランは最小限のコストで変更が可能なので)古い常識に囚われず存分に冒険をしているが、その一方で実際の試作、生産、販売という段階においては(莫大なコストと時間的、人的資源が投入されるので)、順当かつ保守的に正道を貫いている。

一見奇抜にみえる「翼の上にエンジンを置く」というデザインも、古い常識を覆す合理的精神と、徹底的な計算と実証に基づいて必然的に選択されたものだ。言葉をかえれば、プロジェクトを全体として見たときに「一番合理的でリスクの低いデザイン」があの形態だった。決して、単なる実験的な試みのためにリスクをとった訳ではないのだ。

また、ライバルを圧倒できる戦力(技術力および生産体制)を整えるまで戦いを挑まない(参入しない)という経営判断も、良い意味での保守性の表れといえる。

強力なリーダーシップ

実は、ホンダジェットの開発は、ホンダの社内においてすら全面的な協力を得られていた訳ではない。このあたりの事情について、本書ではこのように表現されている。

「ホンダ社内においては自動車やオートバイが圧倒的であって、航空機の研究や開発は長い間、道楽かのように受け止められ、陽の当たらない取り組みとして決めつけられていた」

つまり、ホンダ社内においてすら政治的駆け引きを強いられるような厳しい状況。

この状況下でチームをまとめ、新事業を「奇跡的」大勝利に導いた藤野のリーダーシップは特筆すべきものだ。なぜ、藤野はここまでの仕事をやり遂げられたのだろうか?

本書は、この点に対するヒントも提供してくれる。藤野が「チーム作り」について語ったこんなコメントだ。

「『1人の人間でも、結構なことができる』と思っている人が5人集まれば、そのときに初めてちゃんとした仕事ができるのです。はじめから1人じゃできない、みんなで協力してやりましょうといっていたら、それは絶対にだめだと、私は思っています。それでは始める前から自分の限界を決めてしまうことになるし、自分の可能性の幅をかなり狭めてしまうと思う」

実際、藤野は市場の予測から機体デザイン、塗装デザイン、生産工場のデザイン、各部の設計、試作段階におけるシミュレーションプログラムや独自の計測機器の製作にいたるまで、プロジェクトのありとあらゆる階層の重要部分に自ら関与し、手を動かし、人任せにすることなく自ら決定するという「マルチスペシャリスト」であった。

個人として振り切れていない者、やり切っていないリーダーには、戦えるチームは作れない。個人プレーが出来ないメンバーでは、本当のチームワークが生まれない。だとすれば、全部を自分でやり切る覚悟がなければ、人に任せることもできない。この信念が藤野を「名将」たらしめたのだとしたら……翻って我々は何をなすべきだろう?

本書はそんな反省も我々に与えてくれる。

そう、本書は人生のドラマでもあるのだ!              

(平成30年9月、弁護士/航空技術・戦史研究家)  

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2018.12.23 11:57

激アツな名著だったので技術系は皆読むべき

ノンフィクションはこれを読め!  2014 - HONZが選んだ100冊
出版社:中央公論新社
発売日:2014-10-24
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