語りえぬ言葉たち 『あわいゆくころ』

吉村 博光2019年04月09日 印刷向け表示
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あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる
作者:瀬尾夏美
出版社:晶文社
発売日:2019-02-01
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幼い頃、母は私に、しばしば長崎原爆の話をした。恐ろしい光、ヒイラギの葉の痛みに耐えながら姉が覆いかぶさって、爆風から身を守ってくれたこと。ガラスの割れる音。その後で道を歩いていたときに、石だと思い座って休もうとしたら、焼けた牛の死体だったこと。

それは、伝承というほど強い意志を含んだものではなく、もちろん石と牛を間違えたという笑い話でもない。母は、それを誰かに話さずにはいられなかったのだろう。できれば、その悲劇を知らない誰かに。そんなことを考えながら、本書を読んだ。

本書には、東日本大震災で被災された方々が、東京からきた著者に語った言葉が多数収められている。それはきっと、ここにいなかった誰かに話したかった言葉たちだ。話し終えた後、語り手は著者に対して感謝の言葉を添えるという。

わざわざ来てくれて「ありがとう」。そして、話を聞いてくれて「ありがとう」。一人一人、被害の度合いも違えば、置かれている環境も、感じ方も違う。当事者同士では語りにくい言葉。著者は、独特の優しい感性で、その言葉を一つ一つ掬いあげていく。本書に書かれている震災後二年目の出来事について、少し長いが引用したい。

おじちゃんは津波で同居していた母親を亡くし、家財一切を流してしまい、いまは無職で暇なのだという。何も知らない私に教えようとしてくれているのか、それとも独り言なのかという微妙な調子で、ここは醤油屋でこんなにおいがしたとか、ここは同級生の家で子どものころ遊びに来たんだとか、冗談交じりに笑ったり泣いたりしながら、あちこち指を差し、どんどん歩いていく。 ~本書「二年目」より

津波で流された市街地を歩いているときに度々行きあうという、散歩仲間のおじちゃんとの会話である。このとき、著者はあることに気づく。

たしかにここは彼らにとって、あまりに辛く凄惨な体験をした場所だけれども、同時に、大切な暮らしを長年積み上げてきた親しい場所でもある。それはただ当たり前の、紛れもない事実だ。 ~本書「二年目」より

そう気づいてから、過去へも未来へも繋がるその景色を、色のついた絵として描きはじめた。著者がうつくしいと感じた、震災後の風景である。それを描くことにはためらいがあったが、地元の人に好意的に受け入れられ、全身の力が一気に抜けたという。別のある人が、著者に声をかける。

「俺たちが見てきたものは絶対的に寒色の世界だ」「その中にも色があるはずだ。よく見ろ、それを描くんだ。違うと言われても迎合するな。芸術ならそれをやれ」 ~本書「二年目」より

写真館の店主の弁だ。「何かをつくったり書いたりするやつは、対象と距離を取らなくてはだめだ」という言葉も印象的である。被災地に入り込んで生活すること。それ自体に、葛藤がある。著者は、対象との距離感や自らの行為の意味について、悩んだに違いない。

周囲の人に支えられ、意味を見出しながらの7年間。著者は「出会った人々が素敵すぎただけ」と事も無げに言うかもしれない。でも私には、到底できないことだ。著者の勇気に、私も心から「ありがとう」と言いたい。この本でなければ、知りえないものがある。それを生み出した功績は大きい。

三年目の終わり。著者の恩人でもある、写真館の店主が天に召された。消防団の部下を震災で喪った責任を感じながら、まちのために奮闘を続けた日々だったという。そして、四年目。陸前高田では、いよいよ復興工事が目に見える形で動きはじめた。

いざそれがはじまってみると、人びとは予想していなかった二度目の喪失に出くわすことになる。かつて自分たちが暮らした地面との別れの切なさはきっと、誰もが想像したよりも随分大きかった。 ~本書「四年目」より

復興工事とは、山が削られ、その土で町が埋められる過程だ。しかもまだ、行方不明者の捜索も半ばなのである。このころ著者は、まちの人々の気持ちに思いをはせ、憤慨していた。しかしその感情は、新たに生まれた街の姿をみて、更新された。

まちの人々は、過去ではなく未来のことを考えて、復興を選びとっていたのである。

著者は、神戸や被爆地・広島などにも足を運び、新しい街を見てきた。本書は、それを含めた7年間の現実を書き留めた「歩行録」と現在地からそれを振り返った「あと語り」で、おもに構成されている。私はこれを、綿密な取材に基づいた、ルポルタージュとして読んだ。

これほど精緻に、巨大な喪失から復興へと向かう時間を描ききった本が、他にあるだろうか。タイトルの「あわい」とは、事と事との時間的なあいだのことである。読者は、このフワリとした時間が今この瞬間に“過ぎゆく”のを感じつつ、読み進むことになる。

でもそこで出会う言葉は、「あわい」という優しい響きとは裏腹に、読む者の胸をするどく抉る。当事者の心中には、まだこんなにも語りえぬ思いがあったのか──。私は恥ずかしくなった。「すぐに話をききにいきたい」

私は、長崎の話をきくために母の寝室にむかう。「なんね。急に。どげんしたと?」いまや孫のことを最優先に考えるようになった母の思いは、過去ではなく、未来に向かっている。復興を受け入れた、陸前高田の人々のように。

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