『アダム・スミスはブレグジットを支持するか?』彼らはなぜ偉大なのか? 解説 by 松原隆一郎

早川書房2019年04月21日 印刷向け表示
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アダム・スミスはブレグジットを支持するか?: 12人の偉大な経済学者と考える現代の課題
作者:リンダ ユー 翻訳:久保 恵美子
出版社:早川書房
発売日:2019-04-18
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本書(The Great Economists, 2018)は、経済学説史上の巨人たちならば、現在私たちが直面している問題についてどう答えるか、想像をめぐらした書だ。経済学の古典を読んだ人なら、誰もが興味の湧くテーマではある。ところがそれを実現した研究者は稀だ。というのも時代は移り、国内外の政治も二転三転して、巨人たちが生きた過去と現代とでは市場環境は激変している。現代の難題が何であるかを指摘するにはジャーナリストのセンスが不可欠であり、経済学の古典に通じるには教養が求められる。本書はその双方を兼ねた著者による力作である。

現代における最先端の経済理論で分析すればそれで十分ではないか、と思われるかもしれない。けれども本書でも引用されているように、ジョン・メイナード・ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)でこう記している。

経済学者や政治哲学者の思想は、それが正しくても誤っていても、一般に考えられているより強力である。むしろ、それ以外に世界を支配しているものなどほとんどない。自分はいかなる学問的影響も受けていないと考えている実務家たちはたいてい、すでに亡くなった経済学者の奴隷になっている。天からの声を聞いている狂った権力者らは、数年前に論文を書き散らしていた学者からその狂信的な考えを受け継いでいるのだ。思想が徐々に人を侵食する力に比べれば、既得権益の力は大きく誇張されていると私は考える。

つまり現実を最先端の理論で分析しているつもりの実務家も、一心不乱に現実を変えようとする権力者も、知らず知らずに過去の経済学者の思想をなぞり返しているにすぎないというのだ。それが事実であるのなら、むしろ誰の理論が現在における焦眉の課題を予告していたのかを明るみに出す方が、誠実な姿勢と言えるだろう。

本書が俎上に載せる現在の問題と、答えを聞き出そうとする経済学の巨人は、次のように組み合わせられている。この一世紀の世界経済は、二つの金融危機にはさまれている。1929年のニューヨークにおける株式市場の大暴落から1930年代後半における「大恐慌中の不況」までと、2008年に繰り返されたサブプライム危機から翌年のリーマン・ショックまでである。ともに経済のグローバル化のさなかで勃発し、前者はブロック経済化から世界大戦につながり、後者では今ひとつ景気の波を呼び込めないなかでイギリスのEU脱退とトランプ大統領の登場を呼び込んだところだ。

金融危機はなぜ起きるのか。ハイマン・ミンスキーによれば、資産価格が上昇する局面では投機的なバブルが発生する。株式の購入資金を借り入れ、持ち株でレバレッジをかけるような「信用買い」は、市場が成長しているときは資産を急激に蓄積させるのだ。ところがアーヴィング・フィッシャーによれば、逆に資産価格が暴落し負債が資産価値を上回ると、負債を返済しようとすればするほど産出高が減り物価も下落するという「債務デフレ・スパイラル」に陥ってしまう(第5章)。

一方、1929年から33年に銀行破綻の結果生じたものとしてGDPや物価の下落は重要ではなく、預金引き出しによる利用可能な貨幣の減少に注目すべきとするのはミルトン・フリードマンだ。当時は国際金本位制の足かせがかけられていたために米連銀(Fed)が金融引き締めに転じたが、それは時期尚早だったと見るのである(第10章)。フィッシャーはこうして民間に固着してしまったデフレ心理をときほぐすにはマネーサプライを増やして物価を上げるべきだ(リフレーション政策)としており現代の日本経済に対してもそう唱えるだろうが、フリードマンも同調して量的緩和、マイナス金利からヘリコプターマネーといった非伝統的な金融緩和を推奨するだろう。

ところが金融危機後に人びとは家計のみならず企業でも現金を蓄える傾向がある。不確実性が拡大しているからで、そうした時には金融を緩和しても投資や消費にはお金は回らない。だからこそケインズは、景気を回復させるには、政府が公共事業で代わりにお金を使う必要があるとした(第6章)。一方、そうした危機においても政府は介入すべきではないとするのがフリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクで、そもそも1920年代の恐慌は低金利政策が呼んだのであり、その間の過剰投資は整理しなければならず、不況はそのための必要悪だとした(第8章)。

さて二つの金融危機のあいだ、世界経済は長い目で見れば発展期にあった。そのように経済を成長させる原動力は起業家による「創造的破壊」およびそれを支援する政策と銀行だと説いたのがヨーゼフ・シュンペーターだ(第7章)。シュンペーターが目の当たりにしたのは活発に合併と改革を繰り広げる鉄鋼や化学分野の企業だったが、現代では創造的破壊が加速しており、フィンランドのノキアやカナダのRIM(ブラックベリー)のように、デジタル産業においては携帯電話で一世を風靡しながら数年で消える企業がある。現状では成功を持続しているのがアップルやグーグルだが、中国勢の挑戦もあり、安泰とは言えない。

経済成長の維持には、技術革新以外にも十分な労働力と資本が必要としたのはロバート・ソローだった(第12章)。ソロー説だと日本の長期にわたる景気低迷は急速な高齢化によると言えそうだが、その難点は国による経済発展の相違をおよそ技術革新で説明してしまう点にある。しかしそうした理論だとすべての国の経済水準はやがて収斂するだろう。けれども一部の国はずっと発展しないままだし、中国は世界銀行・IMFの指示するガイドライン(ワシントン・コンセンサス)に従って一気に慣行や制度を破棄したりせず、漸進的に改革して着実に成長を続けた。これはダグラス・ノースが力説するように、適切な慣行や制度こそがコストを引き下げるからではないか(第11章)。

中国は、カール・マルクスが想像しなかった資本主義と共産主義の共存によって成功を収めている(第3章)。だが資本主義といっても中国の一党独裁のもとでは制度といっても司法は独立せず、法の支配が貫徹していない。つまり人間関係にもとづく信用や信頼がそれを代替している。共産主義にしても相当にいびつで、なにしろ中国では億万長者の人数や格差がアメリカよりも大きい。

ただし国内的に格差が拡がったのは中国に限らない。平均賃金は、英米日独の各国で下がっている。すでにジョーン・ロビンソンは、資本市場と労働市場の競争が不完全だと搾取が生まれ、賃金は低く抑えられると主張していた(第9章)。けれども不完全競争以外にも、非正規雇用が登場し、AIの進歩から機械が労働に取って代わるという現実がある。かつては経済が成長すると賃金が着実に増加したのだから、これは異例というしかない。ではどうすべきか。

アルフレッド・マーシャルは政府の役割を重んじたが、競争を促進させるという意図からだった。たとえば国が普通教育を導入し、最貧層に技能を習得させて競争に参加させるといったことだ。つまり所得の再分配による格差の是正が必要としても労働意欲の低下を招いてはならず、両者がトレードオフにあることに注意しなければならないというのだ。AIの活用範囲が拡がる現在ならば、政府は金銭の分配よりも技能教育に力を入れるべきということだろう(第4章)。

格差が国の間では縮小する一方で国内では拡がり、平均賃金が低下している現状は、グローバリズムに由来する部分も大きい。そして自由貿易が世界経済にとって必要であることは、経済学者の間ではおおよそコンセンサスが取れている(終章)。ところがこのところ、それに反する流れが生まれてきた。イギリスのEU脱退と、トランプ大統領の登場という「反グローバリズム」だ。

そもそもグローバリズムはデヴィッド・リカードの比較優位説によって正当化された。各国が優位にある財の生産に特化して貿易すれば効率性が高まり、消費できる可能量が拡がる。けれども生産の特化と貿易振興は、ある国を慢性的な貿易赤字に陥らせるかもしれない(第二章)。特化とは企業内の分業を国際貿易に拡大することだから、市場の自由は分業を発展させると説いたアダム・スミスにも支持されるだろう。現在のイギリスではGDPの70%、輸出の25%は金融技術を含むサービス業が占めている。特化の過程では製造業からサービス業へのシフトが明らかになっていた。けれども金融危機を引き起こしたのは過剰な金融技術を擁するサービス産業であり、貿易赤字の世界的な偏在だった。果たして偏った経済構造はバランスを取り戻すべきなのだろうか(第1章)。

著者はこう議論を展開して、喫緊の問題がどう論じられてきたのかを解きほぐしている。ただし経済学の古典に親しんだ人ならば、これらの現代的な問題を別の論者に尋ねてみたくなるかもしれない。たとえば技術革新がどんな経済体制で継続されるかを検討し、資本主義では大企業が支配的になるため、組織が硬直化してやがて技術革新は沈滞するとしたのはシュンペーターだった。むしろ社会主義へと体制が転換してこそ技術革新は持続されると見たのである。シュンペーターは技術革新を維持する中国経済をどう理解するだろうか。

また著者はハイエクが経済学のテクニカルな第一線からながらく退いていたとしている。けれどもハイエクは、新古典派にせよケインズ経済学にせよ「単純な」理論にすぎず根本的に批判されるべきとして、それにかわる「複雑な」経済学を唱えて法や進化論を取り入れたのだ。その帰結が中央銀行の解体と民営化であった。だからハイエクにはビットコインなど新しい金融技術のゆくえを尋ねてみたくなる。

本書には「グレート・エコノミスト」が勢揃いしている。その選考基準を著者なりに述べているが、私はそれに経済学の外部にも配慮したことを加えたい。スミスは『道徳感情論』、マルクスは『ドイツ・イデオロギー』、ケインズは『確率論』、シュンペーターは『資本主義・社会主義・民主主義』、そしてハイエクは『感覚秩序』を書いている。社会に向ける目をもっていたからこそ、彼らは偉大であったのだ。

社会経済学者・放送大学教授  松原隆一郎

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