『わたしは哺乳類です』母乳から知能まで、進化の鍵はなにか 編集部解説

インターシフト2019年06月03日 印刷向け表示
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わたしは哺乳類です: 母乳から知能まで、進化の鍵はなにか
作者:リアム・ドリュー 翻訳:梅田智世
出版社:インターシフト (合同出版)
発売日:2019-06-01
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 精巣が体外に出たわけ

「オギャー」と産声をあげて母乳を求めたことなどとんと思い出せないように、わ
たしたちは自分が哺乳類であることも日頃すっかり忘れている。でも、紛れもなく
哺乳類の一員で、だからこそ人生は“哺乳類生”でもあるのだ。わたしたちの生命
の大きなサイクルは、そのまま哺乳類のスタイルに深く根ざしている。

それなのに、わたしたちは哺乳類が「どこから来て、どのように今の姿になったの
か」、その“進化の鍵”をまだ解き明かしてはいない。本書は最新の知見を盛り込
みながら、こうした謎に挑んでいく。

著者はサイエンスライターにして、神経生物学の博士号を持ち、ロンドン大学ユニ
バーシティ・カレッジとコロンビア大学で12年間も哺乳類の脳などの研究に携わっ
てきた。うってつけの名ガイドだが、私的な体験(子どもの誕生、サッカーのゴー
ルキーパー、森の思い出など)もまじえることで、親しみやすく楽しい読み物に仕
上がっている。

さて、本書のテーマは、母乳、セックス(生殖)、受胎・性の決定、子育て、体毛
と内温性、歯と骨、感覚、知能などに及ぶ。とくに興味深いのが、従来の通説を引
っくり返すような新たな知見が次々と紹介されていることだ。

たとえば、男(オス)の精巣はなぜ体外に出たのか? 陰嚢というぶらぶらと揺れ
るケースは、大切な精巣を守るには余りにも脆弱だ。著者自身、ゴールキーパーと
してそのリスク(と痛み)を何度も体験してきた。通説では、「精子は熱に弱いの
で、体温の高い体内では機能が低下してまうから」(冷却仮説)とされていた。と
ころが、この説にはさまざまな問題がある。

まず、精巣が体温の高い体内にある哺乳類は少なくない(ゾウやサイなどもそうだ
)。つまり、精巣が低めの温度でよく機能するというのは、体外脱出のあとにそう
進化したのかも知れないのだ。

精巣ではたらくタンパク質の遺伝子を調べた研究では、ふたつのタイプが発見され
た。ひとつは体のなかの高い温度で最適にはたらき、もうひとつは低い温度に特化
してはたらくように修正が施されていた。このことは精巣がもともと高い温度で機
能していたのに、より低い温度(体外)に適応するように余儀なくされたことを示
している。

となると、なぜ、わざわざリスクの多い体外へと精巣は飛び出したのか? 本書は
、「トレーニング仮説」「ギャロッピング(全力疾走)仮説」など、興味深い説を
紹介していく。読者が男性なら、これらの仮説を知って、なんとも切ない気分にさ
せられるにちがいない。

胎内で対立する父母の遺伝子

苦難を越えた精子がめでたく卵子と出会い、胎児を宿す。子どもは愛の結晶などと
言われるが、ここでも驚きの新説が飛び出す。胎内では父と母の遺伝子が対立し、
軍拡競争のようにせめぎ合っているというのだ。その競争は、母親の子宮壁に胎児
となる胚が埋め込まれた瞬間から、すでにはじまっている。

父系遺伝子は胚を動かし、母親の利益よりも胚の利益を優先させるように仕向ける
。また胎盤がつくられると母体血中にホルモンを分泌し、母体の生理機能まで操作
している。一方、母親の側は、このホルモンによる乗っとり行為に対抗すべく、胎
盤の影響を弱める策を進化させた。

遺伝子のなかには母親由来か父親由来かによって、子どもで発現したりしなかった
りする特定の遺伝子がある。「遺伝的刷り込み(ゲノム・インプリンティング)」

と呼ばれ、ヒトの刷り込み遺伝子は200を超える。胎内ではじまる父系・母系の遺伝
子の駆け引きが、こうした片親の記憶を持ち続ける遺伝子の背景にあるのかも知れ
ない(なお、遺伝的刷り込みの存在理由ついてはさまざまな仮説がある)。

ほかにも、母乳が汗から進化したわけ、哺乳類をオスたらしめている遺伝子「SRY」
とは?、体毛の起源は体を温めるためではなく皮脂腺にある、なぜオスは哺乳の進
化を止めたのか、夫婦が先か子育てが先か、妊娠に欠かせない「脱落膜化間質細胞
(DSC)」、なにが陰茎の急速な進化・多様化をもたらしたのか、高い知能への進化
はコストと利益の問題……などなど、刺激的な知見が満載だ。

絡みあいループする進化

本書は、哺乳類の進化をテーマごとに探るだけではなく、たがいのつながりも重視
している。「絡みあいループする進化」「相関的な前進」といったキーワードに見
られるように、わたしたちの体の部位やはたらきは、相互に関連しながら進化して
きたのだ。

たとえば、「食べること」と「聞くこと」も密接に結びついている。哺乳類は強力
な顎をもち、高度な咀嚼能力(噛む力)を手に入れた。歯骨が頭骨に直接つながり
、哺乳類ならではの顎関節がつくられたのだ。すると、もともと歯骨の後ろにあっ
た小さな顎骨たちが解放され、中耳の一部として独自に進化を遂げる。精緻な工芸
品のように音の振動を増幅する耳小骨である。こうした聴覚の進化は、夜行性の多
い哺乳類に大いに役立った。

それだけではない。増強した噛む力によって、食べものから効率よくカロリーを摂
り、エネルギーをすばやく解放できるようになる。また、咀嚼するあいだに息を止
める必要がなくなり、走りながら呼吸することもできる。こうして、より優れた有
酸素運動能力、内温性、高い基礎代謝率(BMR)などが進化しつつ、カロリーを多く
消費する大きな脳を持つ「高速で燃える生命」がかたちづくられていく。

カモノハシに学ぶ

さまざまな進化は、哺乳類に大きな自由度をもたらした。その典型が「恒常性(ホ
メオスタシス)」だ。哺乳類は周囲の気温が変化しても、一定の高体温を保つこと
ができ、広範な環境で生息できる。また子宮は母親の生理機能の恒常性を、発生中
の子に拡大する手段とも言える。 

もっとも、わたしたちが誇るべき恒常性を維持する能力は、じつは哺乳類だけの特
色ではない。鳥類もまた進化させてきたのだ。ここに本書がもうひとつ強調する視
点がある。哺乳類はたしかに優れた数々の特質を進化させたが、胎生が哺乳類だけ
に見られるものではないように、あまり独自性にとらわれてはいけないということ
だ。

たとえば、霊長類・ヒトへと至る、哺乳類の大きな脳。そんな栄誉ある脳が、鳥の
脳と似ていることもわかってきた。外見はまったく異なっているのに、脳の回路の
機能が驚くほど似通っているのだ。そのため、哺乳類と鳥類は、遙かな共通祖先が
備えていたコア回路をしっかり保持しているとも考えられる。

その意味で、愛すべきカモノハシ(単孔類)が、本書の随所にお目見えするのは象
徴的だろう。哺乳類でありながら卵を産むという進化の境界線上にある生きもの。
哺乳類の本流からはずれた彼らの生態や遺伝子には、わたしたちの進化の謎を解く
鍵がたくさん詰まっている。まだまだカモノハシに学ぶことは多いのだ。

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