『真実の終わり』米国きっての書評家が警告する民主主義の危機

首藤 淳哉2019年07月13日 印刷向け表示
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真実の終わり
作者:ミチコ・カクタニ 翻訳:岡崎 玲子
出版社:集英社
発売日:2019-06-05
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ミチコ・カクタニをご存じだろうか。本を愛する者にとって彼女はまさに「雲の上の人」だ。1955年生まれの日系米国人2世で、ニューヨーク・タイムズ紙で34年間にわたり書評を担当した。辛口の書評で知られ、98年にはピューリッツァー賞(批評部門)も受賞している。英語圏で最も影響力のある書評家だ。

本書は、彼女が2017年に会社を退職して初めて世に問うた著作である。意外なことにそれは文芸批評ではなかった。トランプ政権の誕生以後、民主主義が危機に瀕する米国社会を鋭く分析した渾身の一冊だったのだ。

トランプ大統領の登場をきっかけに世界は明らかに変わった。フェイクニュースやプロパガンダがはびこり、真実を追究する姿勢はないがしろにされるようになった。ヘイトスピーチが主流化し、人々は異なる政治的立場を超えて対話する術を見失ってしまった。なぜこのような事態が引き起こされたのか。なぜ真実や理性は絶滅危惧種となってしまったのか──。カクタニは本書でその原因を明らかにしている。彼女の指摘は驚くべきものだ。米国社会が直面する困難を生み出したのは「ポストモダニズム」だというのである。

ポストモダニズムは、60年代後半から80年代にかけて世界を席巻した思想的潮流だ。普遍的な価値の存在や人間の理性、社会の進歩などを信奉するモダニズム(近代主義)を批判し、乗り越えようとする思想運動で、建築や美術、文学、哲学などさまざまな分野に多大な影響を及ぼした。

ポストモダニズムの考え方を簡単にまとめれば次のようになる。「私たちの認識は、時代や階級、性別や人種の違いにより制約を受けている。それらのバイアスから自由な客観的な真理など存在しない」。モダニズムに潜む西洋文化中心主義を暴き、あらゆる文化に優劣はなく、すべては等価だと教えてくれたのがポストモダニズムだった。

ところが、このコンセプトは右派陣営に都合よく利用されてしまう。ポストモダニズムが生み出した相対主義は、右派ポピュリストの手によって、進化論や気候変動などのような客観的事実を否定し、「もうひとつの事実」を売り込むための格好の論法として流用されたのだ。もちろん右派のポストモダニズム理解は牽強付会もいいところだ。だが社会に相対主義的な考え方が浸透するにつれ、いつしか他者の意見に無関心であることが人々の習い性になってしまった。右派はその間隙を突いて、彼らが信奉する別の物語を世の中に広めたのだ。

ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』の主人公の仕事は、独裁政党に都合のいいように歴史を改ざんすることだった。その物語は、客観的な事実がいかに民主主義にとって大切かを教えてくれる。大統領自らSNSでフェイクや嘘を撒き散らす現代の米国は、まさにオーウェル的世界だ。

健全な民主主義を取り戻すために何をすべきか。カクタニは、フロリダで銃乱射事件を生き延び、その悲しみと憤りを全国的な銃規制運動へとつなげた高校生たちに希望を見出している。「それはおかしい」と諦めずに訴え続けること。社会を変える力は、私たち一人ひとりの手の中にある。

※週刊東洋経済 2019年7月13日号 

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宇宙船ビーグル号2019.7.17 21:38

 カクタニ氏はポストモダニズムをどう評価しているのか? 氏によるとポストモダニズムとは「私たちの認識は、時代や階級、性別や人種の違いにより制約を受けている。それらのバイアスから自由な客観的な真理など存在しない」としている。記事最後で「健全な民主主義を取り戻すために何をすべきか‥‥」と述べているので、ポストモダニズとは距離を置いているように思える。  なお、ポストモダニズは仏教思想の「諸行無常」に近いかなと感じた。

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