『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』難問と相対する白熱の全記録

西野 智紀2019年11月13日 印刷向け表示
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 今年1月14日、ツイッターである話題がトレンドを席巻した。「#古典は本当に必要なのか」というハッシュタグに連なる論争である。震源は明星大学人文学部日本文学科が主催した同名シンポジウムだ。

この催しの趣旨は以下のとおりだ。2015年の文系学部廃止報道以降、日本の古典文学研究・教育は縮小の一途をたどっている。この危機に対して、古典(本書では主に古文・漢文を指す)の価値を訴える書物や討論は少なからず世に出てきたが、これらは守る側だけの論理で完結してしまっていたように思われる。つまり、否定論・不要論と正面から向き合ってこなかったのではないか。

そこで、肯定論者だけでなく否定論者もまじえて真剣に意見を交わすことによって初めて見えてくるものがあるはず。本書は、インターネットでも中継されたこの公開討論会の紙上再現に、終了後の会場アンケート結果、SNSでの反響、後日談としての総括を加えた白熱の全記録である。

本書の編者である、シンポジウムのコーディネーター・勝又基氏(明星大学日本文化学科教授)の前口上から、身の引き締まる思いのする部分を少し引用してみる。

今日の議論は、大げさではなく、古典がある側面において、終わるきっかけを作ってしまうかもしれません。またあるいは、日本の古典が新たな一歩を踏み出す日になるかもしれません。すべてはこれから3時間半の議論にかかっています。皆さんの積極的なご参加をお願いいたします。

まずは問題提起の役割も果たす否定派パネリスト2人の主張から書いていこう。なお、ここからは「高校の必修科目に古典は本当に必要か」という題目で進んでいくことに留意されたい。

一人目、某国立大学の理工系研究所教授である猿倉氏のプレゼンはこうだ。国際的に見て、日本人の学力、競争力は著しく低下している。高校生の時間は有限で、優先順位の高いものから覚えていく必要がある。よって、数学や英語がより重要となり、国語は、企画書・発表・議論のスキルを磨く「論理国語」を学ぶべきである。古典は選択の芸術科目に回すほうが良い。また、古典教育は年功序列や男女差別を刷り込むツールとなっていて、有害とさえ言える。

古文・漢文は選択制にというのは、否定派二人目、元東芝でパターン認識や人工知能研究に従事した前田氏も同じ意見だ。古典の内容は、現代語訳で読めば十分。古文でないとわからない微妙なニュアンスがあるのはわかるが、何でも原文にあたる必要があるなら、英語で書かれた文書も元のギリシャ語やラテン語で読む必要が出てくるはずだが、そうした主張は見かけない。古典の代わりは、論説のまとめ方、ビジネスメールや論文の書き方、誤解のない論理的な文章の作り方といったリテラシーを教える時間にすべきだ。

さて肯定派である。一人目、東京大学大学院人文社会系研究科教授の渡部氏は、古典は「主体的に幸せに生きる智恵を授けるもの」と定義する。古典のもたらす幸せは、良い仕事につながる。一つは指導力。人を教え導く時は、理屈だけでも情だけでもない「情理」を尽くすことが大事である。古典はそれが学べる。もう一つは優れた着想。アイデアが生まれる直前の複雑な心理状態を和歌はよく表現している。自分の心との見つめ合い方を古典は教えてくれる。

二人目、日本女子大学文学部教授の福田氏は、豊かな国の納税者は、その対価として自分の国の文化を知る権利があるという立場を表明する。江戸時代の医学書は漢文で書かれていて、今のように理系・文系の対立概念がなかった。こうした知の世界に入り込めるのが文学部であり、高校の古文・漢文はその基礎である。また、海外から見て、伝統芸能を大切にする日本の姿勢は貴重である。

4人のパネリスト発表を見てきたが、一つ、この後に続くディスカッションにおいても重要な、本書の一番の読みどころとでも言うべきポイントがある。肯定派が、否定派の投げかけに反論していないのだ。恣意的な要約だからだと思われるかもしれないが、本当にそうなのである。「今日は反論のための反論はするつもりはない」という肯定派の発言もあり、どうにも煮え切らない。

事実、こうした討論の放棄や論点のずれ、理系畑二人の弁舌の巧さも相まって、否定派の圧倒的勝利とする見方がアンケート・ネットで多く見られた。否定派は古典を全否定しているわけではなく、音楽や美術と同じく選択制にして好きな人だけ履修すべきとする提案も説得力があり、無理もない。「賛成派の議論を聞いて、古文・漢文を勉強してもまっとうな議論はできるようにならないことが分かった」といった視聴者の厳しい感想にも首肯せざるを得ない。

ただし、終了後のアンケートでは、人生において古典が役に立った、日本古典の素養が必要だと答えた人は80%にのぼり、古典教育は大事だという気持ちはぶれない方が多数であったことは明記しておきたい。

では、肯定派に何が突きつけられたか。それは、古典を学ぶことによって得られる幸せの具体的な可視化、ではないか。無論、そんな明快な証拠やらデータやらがあれば肯定派はこんなに苦労はしないだろう。難しい。

評者は、古典が読めれば世界が広がるし(自力で読めた瞬間の知的興奮は筆舌に尽くしがたい)、時を遡っても人間の悩みはおしなべて同じようなもんだと知るのも面白いと思うが、「好きな方は自由にやってくれ」と言われたらそれまでだ。現代社会で幸せに生きるなら、古典が理解できるより、先方に失礼のないビジネスメールの書き方や論理的な文章の組み立て方、読み方がわかっていたほうが役に立つのも否定できない。

だが、こうした技術は時代の趨勢によって陳腐化しやすいし、第一、無駄かどうかで選り分けする行為はいずれ冗長性を失って貧すれば鈍するという思考に陥りやすいのではないだろうか……。

思うことは多々あるが、キリがないのでここらへんでやめておく。古典に関心がある人のみならず、説得力のある主張をしたい人、熱い議論が読みたい人、そして評者のような難問に頭を悩ませるのが楽しい奇特な人には堪らない書物だ。

ちなみに、シンポジウム終会後、否定派・肯定派の双方が出席した打ち上げはノーサイドで和気藹々としたものになったそうで、なんだかちょっと安心である。

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