『プログレッシブ キャピタリズム』経済学が目指すべき目的とは?

堀内 勉2020年02月07日 印刷向け表示
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スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM(プログレッシブ キャピタリズム): 利益はみんなのために
作者:ジョセフ・E. スティグリッツ 翻訳:山田 美明
出版社:東洋経済新報社
発売日:2019-12-20
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本書の著者であるコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授は、非対称情報下での市場経済理論への貢献により、2001年にジョージ・アカロフ、マイケル・スペンスと共にノーベル経済学賞を受賞した経済学の泰斗である。

研究面において優れた論文を多数発表し、米国の経済政策に大きな影響を与えたのみならず、クリントン政権で大統領経済諮問委員会委員長、世界銀行で上級副総裁・チーフエコノミストを務めるなど、自ら経済政策を遂行する立場にも身を置いた実践者でもある。

近年は、『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』『世界の99%を貧困にする経済』『フリーフォール』などの著作で、グローバルに新自由主義経済を推し進める米国の政策を批判し、富裕層への増税を主張するなど、経済格差是正のための多くの提言を行っており、保守派のイデオロギーに異を唱え、今日のグローバル資本主義論争を主導してきた経済学者の一人である。

スティグリッツが主流派経済学の中心にありながら、そこから生み出された経済格差の是正に取り組むようになったのは、1965年にシカゴ大学に在籍していた時に、当時のシカゴ大学経済学部教授で、後に「社会的共通資本」を提唱する宇沢弘文の指導を受けたことと無関係ではないだろう。

同じく主流派経済学からスタートして、人生の後半は格差や環境などの問題に取り組んだ宇沢の経済理論を正統に継承する学者がいない中で、今でも宇沢の経済思想の真髄を最も理解し受け継いでいる経済学者だと言える。宇沢が社会の共通財産として社会的基準に従って管理されるべき「社会的共通資本」の考え方を打ち出したように、スティグリッツもまた、市場からは決して生み出されることのない「公共財」の重要性を訴えている。

現代の米国は、かつてないほど格差が拡大し、一部の富裕層が富を独占し、政治を支配し、競争を阻害する社会になった。2008年の世界的な金融危機、いわゆるリーマンショックによって、アダム・スミスが言う「見えざる手」は存在しなかったことが明らかになり、「中流」という暮らしは崩壊した。アメリカンドリームはもはや過去のものとなり、社会は上流と下流に分断され、「 1パーセントの、1パーセントによる、1パーセントのための経済と民主主義」へと変わってしまったのである。

米国は所得や資産や権力に格差があるだけでなく、正義にも格差がある社会を作り上げてきたのであり、エリートやエリート主導の体制への幻滅が広がるのも当然だと言える。ジョージ・H・W・ブッシュの共和党政権もビル・クリントンの民主党政権も、自由化やグローバル化といった新自由主義的な政策によって万人が豊かになれると約束したはずだが、もはや誰もそれを信じていない。

スティグリッツは、こうした米国の現状を次のように記述している。

「貧しくても一生懸命働けば成功を手にできるという考え方が、アメリカの原型を形作っている 。アメリカ人はいまでも、一生懸命働けば誰でも成功できると信じている。だが・・・現実はまったくそのとおりになっていない。一生懸命働いている人の多くが、成功を手にしていない。成功している人の多くは、努力を通じてではなくいかがわしい手を使って、あるいは富裕な両親の力で成功を収めている。・・・上位中流階級の白人家庭に生まれて成功を収めた人なら誰でも、少し素直に考えてみれば、生まれが違えば成功できなかったのではないかと思うはずだ。」

超富裕層を代表する投資家のウォーレン・バフェットは、「階級闘争があると言えばそうかもしれないが、闘争を仕掛けているのは私たち富裕層であり、その富裕層が勝利を収めようとしている」と言っているが、これは決して一般大衆に喧嘩を売るためではなく、それが米国の現実を正確に描写しているからなのである。

スティグリッツによれば、国を豊かにする方法には2つある。ひとつがかつて植民地の宗主国が行っていたように、他国から富を略奪すること、もうひとつがイノベーションや学習を通じて富を創造することであり、真の意味で世の中全体を豊かにするのは後者だけである。

利益は搾取を通じても増やすことができるが、不動産投機をしたり、カジノでギャンブルをしたり、営利の学校を運営して学生の富を略奪したりすれば、一部の人間の懐は潤うかも知れないが、社会全体の持続的な富や福利の蓄積を実現することはできない。

国民所得は、その性質上、①労働所得、②資本所得、③その他の3つに分類されるが、③の大半は、地代に代表される「レント(不労所得)」と呼ばれるものである。天然資源から得られる利益、独占による利益、特許権や著作権などの知的財産から得られる利益もこれに含まれる。労働所得とレントとの間には大きな違いがあり、レントを生み出す土地などの資産の所有者は、それを所有しているだけで利益を得ることができる。

レントによって所得を増やすことを「レントシーキング」と言うが、実際に米国で生じている近年のレント増加の最大の要因は、業界の上位2〜3社への集中が進んだ結果として、本来の競争経済から得られるべき利益を遥かに上回るようになった「超過利潤」にある。

ペイパルマフィアの親分ピーター・ティールが、「競争は負け犬がするものだ」言っているように、資本家やビジネスパーソンというのは、本能的に「いかに競争をしないで勝負に勝つか?」を考える生き物であり、ただ漠然と市場の自由に任せていると、経済体制は自然と競争制限的なものになってしまうのである。

こうした結果として、今の米国では、ゼロからスタートして成功する可能性は限りなく低く、アメリカンドリームはもはやフィクションと化している。米国では誰にでもチャンスがあると信じている人もまだいるかも知れないが、現実の統計を見れば、とてもそんな楽観的なことは言える状況にない。

それでは、今の米国社会を築き上げた主流派経済学はどこで道を誤ったのだろうか。スティグリッツは、それは人間が利己的で実利的なものだと単純化したところにあるとして、次のように述べている。

「人間がそれだけの存在でないことは、多少考えてみればわかる。私たちは金銭を求めるが、モラルを無視してまで富を手に入れようとする過剰な貪欲や物質主義をほめはしない。また、私たちは注目を求めるが(注目されるのを好まない人もいる)、絶えず言い逃れや自己中心主義で注目を集めてきたトランプを立派だと考える人はほとんどいない。アメリカ人はむしろ、他人に身を捧げる人を称賛する。自分の子には、自分のことしか考えない利己的な人間ではなく、他人を気づかう優しい人間になってほしいと願う。つまり私たちは、経済学者が言う「ホモ・エコノミクス」(絶えず自己満足を追い求める利己的な人間)とはまるで違う、もっと複雑な存在なのである。だが、こうした称賛すべき傾向を認め、それを模範として政策に組み込む努力を怠っていると、卑しい傾向(強欲、他人の幸福への無関心)がそのすき間を埋めてしまう。」

こうした人間観の下では、弱者が置き去りにされ、ルールを守らない者が得をし、規制者が規制されるべき者に取り込まれ、監視者が脅され、既に富裕な者だけが搾取によって利益を独占し、「真実」「自由」「共感」「権利」といった概念が、政治的に都合の良い場合にだけ使われる言葉になり下がってしまう。

しかし、それでもスティグリッツはまだ諦めてはいない。公正や平等といった米国の価値観を共有する中流という生き方はかろうじてまだ残っており、人々にとっての未来の選択は上流か下流かの二者択一ではなく、経済を成長させながらその利益を社会全体で公平に分配する仕組みを作ることは可能なのだと言う。

そして、そのように経済を成長させながら万人を豊かにする「進歩的資本主義」の具体的な仕組みを、選挙制度から税制、雇用、医療、福祉制度まで幅広く網羅的に提示しているのが本書なのである。

本来、経済の成功はGDPではなく人々の幸福によって計測されなければならないはずである。そのためには、経済学というのは目的を達成するための手段なのだということを自覚し、その目的は何なのかを理解しなければならない。

そして、人々に広く共有されている基本的な価値観、つまり金融におけるような貪欲や不誠実なものではなく、経済や政治や宗教の指導者が言うような高い価値観に沿うような経済、多くの人々が望みながらももはや手の届かないものになってしまった中流の生活を提供する、より人間味のある経済を実現すること、これこそが経済学が本来目指すべき目的なのである。

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