『発酵文化人類学』文庫解説 by 橘ケンチ(EXILE)

2020年6月16日 印刷向け表示
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発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ (角川文庫)

作者:小倉 ヒラク
出版社:KADOKAWA
発売日:2020-06-12
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僕が小倉ヒラクさんのお名前を知ったのは確か3年程前。よく行く書店の新刊おすすめコーナーにこの『発酵文化人類学』が並んでいた。まず目を引かれたのはその特徴的な装丁。一瞬イギリス文学か何かの本かと思いきや、タイトルには『発酵文化人類学』。どういう内容なんだろう? と思いパラパラめくってみての感想。とんでもない人がいたもんだ(笑)。

その後、僕の知人から小倉さんのお名前を聞く機会がだんだんと増えてきて、僕の中で会いたい人ランキングでかなり上位のポジションに君臨する方になっていきました。発酵というと、発酵食品とかなんとなく酸っぱい系? とかそんなイメージしかなかった僕ですが、日本酒にハマり始めてからはそのメカニズムにとても興味がわいてきた。日本酒でいう発酵とは、酵母という微生物が糖分を食べてアルコールと炭酸ガスを出すこと。要は発酵が進むとアルコール度数がどんどん上がっていくのだ(ある程度までアルコール度数が上がると酵母は自分の出したアルコールで死んでしまう。これも不思議な話だが面白い)。

ただ、その程度までの知識しかなかった。小倉ヒラクさんによると『発酵』とは、人間に〝有用〟な微生物が働いている過程のことらしい。逆に人間に〝有害〟な微生物が働いている過程を『腐敗』だと。『発酵』と『腐敗』は常に背中合わせなのだ。地球上で実は最も繁栄しているのが微生物。空気中にも土の中にも、皮膚の表面にも何億、何兆と住んでいる。その中でごく稀に人間によくなつき、良いことをしてくれる微生物がいるんですって!! それがこの本の主人公となる『発酵菌』。彼らのことを知るとこの世界は壮大なスケールに広がっていく気がする。目に見えない微生物達の営みがこんなにも自分達のことを支えてくれているとは。発酵には世界各地で独自のスタイルがあり、その起源を考えていくと文化と歴史に辿り着く。

秋、稲の収穫が終わると、その米を使って酒を仕込む。できた酒は、人間が飲む前にまず神に捧げられる。正月、神社に酒が奉納されるのはこの起源の名残りだ。

神の身体を頂いた人間は、豊穣と平和の感謝としてエッセンスを神に還す。そして再び神が再生することを願った。正月に振る舞われる「お屠(と)蘇(そ)」の語源には「悪鬼(蘇)を屠(ほふ)り、魂を再生させる」という説がある。中国では邪気を祓い不老長寿になれる薬酒として、大晦日に井戸の中に漢方薬をつるし、元旦に引き上げて酒に浸したものを年少者から飲んでいたと言う。ヤマタノオロチを退治し、民族の魂を再生させるもの、それが日本における酒の起源、そして発酵の起源だ(週末新橋で酔いつぶれた酔っぱらいも月曜には魂を再生して出社してくるし)。(本文より)

日本の歴史や神事にはお酒はつきものだし、そのお酒の根底には発酵という概念がある。発酵という壮大な概念を学ぶことで、この世界のことをもっと理解できるかもしれない、そんな風に思った。実は最近、小倉ヒラクさんと念願の対面を果たすことができた。しかも立て続けに2回も!(笑) どちらも仕事のオファーをいただいてのことだったので、ついに僕も発酵の世界に呼ばれ始めたと思ってニヤニヤしてしまいましたが(笑)。小倉さんは発酵デザイナーという肩書きをお持ちなんですが、実はそれは世界で小倉さんただ一人だけらしい。それもそのはず、自分でその職業を作り出してしまったのだ。もともとはデザイナー、途中から発酵の世界に魅せられて、発酵のことしか考えられなくなり、今では発酵に関する仕事がメインになっているとのこと。デザインはもちろんできるので、見えない発酵の世界のことをデザインに落とし込むのはお手の物……。ただの発酵研究者とは違う、世の中にわかりやすく発酵の魅力とその可能性を伝える新世代のクリエイター、発酵デザイナーがここに! 今まさに! 誕生したのです!!(大げさ!? 笑)

ただ、小倉さんとお話しさせていただいて思ったこと、こんな先生いたらいいなぁと。これまでの価値を解釈し直して、新しい表現で伝えていく存在。僕が目指していることでもあるので、大変刺激をいただきました。

だからもう一度、自分のカラダやアタマを使って「プロセスを味わう楽しみ」に戻ってみよう。結果の手前のプロセスにフォーカスする。大豆と麴を混ぜれば、自然と発酵が始まっていく。あとは目に見えない自然の力にゆだね、醸されていく過程を楽しむ。その過程を楽しめば楽しむほど、結果として生まれた味噌が美味しく、スペシャルに感じられる。そしてその「自分だけの手前みそ」を、家族や仲間たちと一緒にシェアすることができる。人と競争するのではなく、分かち合うことで「自分が自分であること」を確認する。(本文より)

この本を読んで発酵や微生物の世界に触れ、その中を覗きこんでいくと、もちつもたれつ、ギブアンドテイク的な言葉が浮かんでくる。全ては繫(つな)がっていて、大多数の中の自分であるということ。そんなことに気づかされる。入り口は発酵だったのに、あれ? 人間の内面について考えさせられている? これぞまさに『発酵文化人類学』たる所以(ゆえん)かもしれない。ちなみにこの『発酵文化人類学』という言葉も小倉ヒラクさんが作り出された言葉。たくさんの既存の考え、価値観に触れ、それを自分という個性の中で発酵させ、まだ見ぬ土地に新しい旗を立てていく。世界にたった一人の発酵デザイナーの好奇心にまだまだ終わりはなさそうです。

2020年東京オリンピックイヤー、日本が世界から注目を集めるはずだった記念すべき年に新型コロナウイルスという未知なる脅威が襲いかかってきた。在宅ワークを余儀なくされ、人との接触は極力控えなければならなくなっている。夢見た2020年から一転、世の中にただよう自粛ムードの中、僕は黙々と本を読み漁(あさ)っている。答えの見つからない毎日、本を読むことで少しでも救われる気がするからかもしれない。

でもね、思ったんです。答えなんてない。誰も経験したことのない状況に対して答えなんてあるわけがない。ただ言えることは、答えに近づくための努力はできるということ。考え方も働き方もこれまでの常識に囚(とら)われず、全く新しいモノの見方ができる柔軟性を養わなければいけない。

大量消費の時代は過ぎ去り、何が本当に大切なのかを強烈に突きつけられる時代がやってくる。人間が作り上げてきたものに答えはない。自然、もっとミクロな世界で見れば微生物の世界にヒントは隠されているかもしれない。そもそも人間が地球上に生まれたのは長い歴史からするとごく最近のこと。そのずっと前から生き続けている微生物に対して興味を持つべきだし、そこから学ぶべきだと思う。国や会社がしっかりしているから、なんとなく生きていける……そんな時代は崩れていくかもしれない。

自分の中に武器を持つべきだし、その数が多ければ多いほどいい。その一つ一つが身となり「発酵」して「個性」となっていく。自分だけのオリジナルを作りあげる、まさに「手前みそ」精神がこの逆境を乗り越えていく一つの鍵となるのではないかと思っています。(『EXILE mobile』2019/04/27 紹介作品 No.31 掲載原稿に加筆修正を行いました。)

※ EXILEの橘ケンチさんは大変な読書家で、書評ブログ「たちばな書店」の店主でもあります。ぜひそちらもお立ち寄りください。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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