VRの父と呼ばれるジャロン・ラニアーによる、激動の半生とVRについて──『万物創生をはじめよう──私的VR事始』

冬木 糸一2020年06月25日 印刷向け表示
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万物創生をはじめよう――私的VR事始
作者:ジャロン・ラニアー
出版社:みすず書房
発売日:2020-06-18
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 この『万物創生をはじめよう』は、最初期のVR技術の探求、起業者であり、VRの父と呼ばれる(バーチャルリアリティという言葉の発案者でもある)ジャロン・ラニアーによる自伝的な一冊である。幼少期からはじまり、VRとは何なのか、どこを目指すことが可能なのかというVRそれ自体への問をはさみながら、彼が設立したVR系企業VPLリサーチを去る92年までが描かれていく。

ジャロン・ラニアーは1960年生まれで、まさにインターネットの草創期、そしてシリコンバレーが盛り上がっていく渦中に働き盛りの若者としてその現場にいた人間である。のちのインターネットの巨人たちがガレージで作業に勤しんでいる間、彼もまたVR技術を発展させようと実験・研究を続けていた。そうした草創期の混乱、そしてまだまだ技術としては不完全なVRをなんとかして物にし、未来のあるべき形はどのようなものなのか議論していく様は、今まさに新しい「産業」が生まれつつある熱狂に満ちていて、大変におもしろいものだ。

同時に僕が強く惹かれたのは、彼の人生それ自体だ。デジタル革命によって「個」が消され、正当な評価を受けることが難しくなっていく状況への批判と改善の提案について書かれた『人間はガジェットではない』を読んだときから僕は彼のファンで、邦訳されていないものを原書で読むほどハマっていた。それは彼の考えに納得・共感する部分が大きかったのもあるが、それ以上に彼の語り口が好きだったからだ。幼少期や彼自身のことが赤裸々に書かれている本書を読んで、彼のそうしたスタイルがどのような環境からもたらされたのかがよく理解できるようになった。

幼少期

彼の幼少期は劇的なものだ。両親はともにユダヤ人で、ウィーン生まれの母は強制収容所からの生還者、父親の親族もほとんど大虐殺の犠牲を受けて亡くなってしまっていた。そんな状況からメキシコのすぐ近く、米国の奥地に引っ越して生活を立て直し始めたところで、母親が免許証をとった帰りに自動車事故にあって死亡してしまう(運転ミスではなく、車の故障だったようだ)。

同じ車に乗り合わせかろうじて生き延びた父親と二人でラニアーは生活を再開するが、学校では激しいいじめにあい、母親が死ぬ前に家族で買っていた家に引っ越そうとするも、完成した翌日になぜか何者かによって放火され全焼。そもそも生活資金を稼いでいたのは母親であったのもあって、途端に二人は無一文どころかマイナスの生活を強いられることになる。

だが、そこで父親はニューメキシコ州の不毛な地を買い、二人はテントを張ってくらしはじめる。野菜を栽培し、鶏を飼い、父親は教師の仕事を始め、しばらくテント暮らしをした後に二人はその土地に自分たちだけの家を建てることになる。かつて建築家としての仕事も行っていた父親が主導になるのではなく、ラニアーがどのような家にするかの構造を決め、彼が主導で建築を進めていった。そのすべては教育方針だったのだろうけれども、こうした異色の経歴が彼を形つくっていったのだろう。その後も高校を卒業しないまま大学に潜り込んだり、その大学も卒業しないまままた別の芸術学校にいき──と転々としていくのだけど、その辺は割愛。

VRについて

幼少期の話を大きく取り扱ってしまったが、本書のメインはVRについてだ。第四章「私がVRを大好きなわけ」では、彼がVRに見出している可能性について無数に述べられていく。たとえば、『VRは情報に対する最も人間的なアプローチだ。それは人生について、またコンピュータを使ってできることについての内面中心の見方を提示する。そういう考えは、ほとんどの人がなじんでいる考えとは真逆である。そしてこの転換には非常に多くの意味がある』と語る。

たとえば、フェイスブックページやTwitterのアカウントはその人の死後も存続する、その人と切り離されたものだ。だが、VR体験はあなただけのものであって、ほかの誰かのためのものではない。多くのテクノロジーがガジェットの海にあなたを投入させるのに対して、VRはあなた自身の体験を変様させる。たとえば、空を飛ぶとか、地中にもぐるとか、都市よりもでかい手を持つとか、ロブスターになるとかして。それは我々の感性や意識を変容させるきっかけになる。

ラニアーは15歳頃にVRの着想を得て、最終的に自分でそれを作り上げたいと思うのだが、当時(70年代頃)そんなキャリアパスは存在しない。そこで彼は比較的キャリアとして近いところとしてゲーム会社にもぐりこみ、ゲームを作ることで得た金を使ってガレージでVRの原型となるものを作り始める。それが後のVPLリサーチ(設立は1984年)になるわけだけれども、そこでの試みはまさに現代のVRでできること・やれることの先駆的な実験だった。

最初に作られたデモは、手をのばしてバーチャル世界に触れて干渉できる、「グローブ」だった。これは、視覚系を再現するのが難しかったのがあるが、先に書いた「体験を変容させるものこそがVRだ」という話と繋がっている。入力はディスプレイよりも重要であり、VRにおける入力とはあなた自身のことだからだ。『手をのばしてバーチャル世界に触れ、それに対して何かすることができないなら、あなたはその世界の二級市民にすぎない。そこにあるほかのすべてが、その世界の組織に結びつき、組み込まれているのに、あなただけは孤立している。』

彼らはその後、全身のモーションを読み取れるスーツを開発するが、その全身スーツに対応した「人間以外のアバター」を作った時の話が興味深い。ボディスーツの各部位にたいして、人間外の身体を紐付けるのだけど、たとえば人間をロブスターにマッピングしてもほとんどのひとは容易にロブスターになることを学んだという。『私が常々考えているのは、いつかVRが成熟したら、そのときはVRの中での芸術や訓練や会話は予想としてよく言われているようなあなたが訪れる場所についてのものではなく、あなたが変わる形についてのものになるだろうということだ。』

実際、すでに自分自身の身体をゴジラにしたりして遊んでいる人も多くいるが、今後はそれがもっと様々な形で展開することになるだろう。当時、すでに「ほかの人と目を交換する」実験などを行っていたという。似た実験は現代でも行われているが、開拓すべき荒野は広い。

おわりに

本書の後半ではAIとはVRと正反対のものであるという論をうったり、これまでの本(『Who Owns the Future』)に書いてきたことをおさらいしたりしているので、一度もラニアーの本を読んだことがない、という人が手に取るのもいいかと思う。VRのみならず、インターネットの黎明期を通して「あらためて我々はどこへ向かうべきなのか」と問いかけてみせた一冊だ。

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