本は買った時がいちばん楽しい。半分本気でそう思っている。「本末転倒」「著者に失礼」とお叱りを受けそうだが、そもそも買う楽しさと読む楽しさは別物だったりする。
装丁に目をひかれ、パラパラと目を通して「これは買いだ」と確信。それを何度か繰り返し、店を出て「こんどの休日に読もう」とニヤニヤするところまでがピークだ。慌ただしい日々の中で、「週末のたのしみ」は気づけば「積読」へと姿を変えている。
ネットで気になり速攻で注文した本も、いざ届いた日にさっそく読み始めることの方が少ない。ダンボールに入ったまま放置、なんてこともたまにある。
なぜこんな話をしたかというと、これ全部、ドーパミンの仕業なのだ。
やっぱり全部は言い過ぎかもしれない。とはいえ、脳神経細胞のうちごくわずか(本書によれば全体の0.0005%)の細胞からつくられるこの神経伝達物質が私たちの行動を大きく左右しているのは、まぎれもない事実だ。よく聞くわりに想像以上に奥が深いドーパミンのはたらきについて、とっつきやすく巧みな文章で伝えてくれるのが本書である。
「快楽物質」と呼ばれることも多いが、実は的確な表現ではない。著者に言わせれば、ドーパミンは「期待物質」である。未来への期待が生まれる状況でなければドーパミンは活性化しないことが、さまざまな実験を通してわかっているという。快感そのものではなく、未来への「期待」や「可能性」こそがその本質なのだ。
少し堅い言葉でいえば、ドーパミンは「報酬予測誤差」によって私たちに幸せをもたらしている。友人や家族になんとなくついて行って観た映画が、思ったよりはるかによかった。その監督の過去作も気になってくる。こうした予想外の出会い、良い意味での「報酬予測の誤差」への興奮によってドーパミンは分泌される。
実際の行動よりも、あれこれ計画を立て期待を募らせたりしている時の方が楽しい。目的地の情報や道中のルートをあれこれ調べている時間の方が、実際に現地を訪れた時よりもワクワクしているかもしれない。こんな心理の背景にあるのもドーパミンである。あえて事前情報を入れないタイプの人がいるのも、幸せな「誤差」を求めているからだといえる。
ドーパミンと対照的に語られるのが、セロトニン、オキシトシン、エンドルフィンなど、目の前の世界を味わう時にはたらく神経伝達物質だ。本書ではまとめて「H&N」(ヒア&ナウ)と呼ばれている。
偶然見つけた雰囲気のいいカフェ、ふとラジオから流れてきた好みの音楽、たまたま知り合った人との意気投合。思わずビビッときた運命の出会いもやがて新鮮味が薄れるものだが、まれに関係が長続きすることもある。そこで生まれる「友愛」や「愛着」といった感情を司るのが「H&N」だ。未来への期待ではなく目の前の体験から喜びを感じられる関係性へのシフトは、ドーパミンから「H&N」への移行がうまくいった証ともいえる。
何かを「欲する気持ち」とそれを「好きな気持ち」は、それぞれ異なるふたつの脳内システムが生んでいる。そのことを頭の片隅に置くだけで、日々湧いてくる感情や衝動への理解が何歩も先に進むはずだ。「もはや喜びも感じないけれど、なかなかやめられない習慣」が続いてしまう理由。ドラッグやアルコールといった依存症の問題に関する、ドーパミンの視点からの解説。必要以上に自分を責めないためにも、周囲が誤解するのを防ぐ意味でも、世の中の常識になってほしいと感じる内容が少なくない。
ここまで本書の言葉でいうところの「欲求ドーパミン」について書いてきたが、もうひとつの「制御ドーパミン」にも少し触れておきたい。欲求ドーパミンが生む興奮とモチベーション受けとり、選択肢を査定し、手段を選び、求めるものを手に入れるための戦略を練りあげる。そんな相補的ともいえる役割を担っているのが、この制御ドーパミンである。
ドーパミンがなければ、努力や粘り強さも生まれない。まだ見ぬ未来に意識を向けさせるドーパミンの作用は、はるか遠くにそびえる目標へ突き進む原動力にもなるのだ。「H&N」の喜びを感じにくいからこそ、身のまわりの誘惑にまどわされずにゴールに邁進できるという見方もできる。月面歩行を成し遂げたにもかかわらず「それはもう終わった。これからは何か別のことをしないといけない」と語ったバズ・オルドリンの例などはその極地だろう。
どれほど大きなことを成し遂げても満足しない超人の存在も、制御ドーパミンの活性が人並みはずれて強いと考えると理解できる気がする。もっとも、ギャンブルの資金を捻出するためにどうやって他人を利用するか知略をめぐらせるのも、制御ドーパミンのはたらきである。良し悪しがあるのは欲求ドーパミンと同じ。ドーパミンからすれば、善悪の区別など関係ないのだ。
ドーパミンは「私たちの夢を動かすモーターの燃料であり、失敗したときには絶望の源にもなる。私たちが努力して成功する理由であり、発見して繁栄する理由でもある。そして、幸せがけっして長くは続かない理由でもある」と著者は語る。「快楽物質」という言葉では到底表しきれないことは、もうお分かりいただけただろう。
他にも、創造性、政治的スタンス、人類の進歩の歴史にいたるまで、さまざまな事柄に対して独自の分析が繰り出される。天才がしばしば他者に無関心である理由。ドーパミン活性と保守/リベラルの関係。推測の面も多いとはいえ、ドーパミンの作用に目を向けると世の中のあらゆる行動原理がつかめてくる。
理解しやすいようにあえて単純化した部分もあると明言されているとおり、本書の視点を濫用するのは危険だ。ドーパミン優位なのか「H&N」優位なのかはひとつの傾向でしかない。0か100かの極端な話でもないし、時と場合にもよる。年齢によっても変化してくるだろう。
くれぐれもレッテル貼りにならないよう注意した上で、本書のレンズを通して身のまわりの人や物事を眺めるのはやはり興味深い。あの人はなぜそう振る舞うのか、自分とはやる気の出るポイントが異なる人を理解する手がかりになるかもしれない。食べすぎ飲みすぎ買いすぎ等々、つい失敗をまねく自分の内なる衝動との付き合い方も見えてくるだろう。さらに大きくいえば、ドーパミン優位であれ「H&N」優位であれ、自分の傾向を自覚し向き合うことは、幸福について考えることでもある。
些細なできごとから人の性格の根本にいたるまで、ドーパミンのはたらきを知ることで見えてくるものは多い。気になる事柄や実体験を当てはめながら読めば、ただのポピュラーサイエンスにはとどまらない一冊になるはずだ。