『諏訪式。』日本有数のクリエイティブな土地の秘密

首藤 淳哉2020年11月02日 印刷向け表示
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諏訪式。
作者:小倉 美惠子
出版社:亜紀書房
発売日:2020-09-26
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私たちの足下には歴史が埋まっている。
そのことを教えてくれたのが、小倉美惠子氏の傑作ノンフィクション『オオカミの護符』だった。

川崎市で古くから農業を営んできた小倉家の土蔵には、鋭い牙を持つ黒い獣が描かれた護符が貼られていた。祖父母が親しみを込めて「オイヌさま」と呼んでいた護符の謎を追ううちに、かつて農民たちの間で広く信仰されていた山岳信仰の世界が見えてくる。そんな知的興奮に溢れた一冊だった。この本の印象があまりに鮮烈だったので、新刊『諏訪式。』も迷わず手に取った。

長野県の諏訪は、諏訪湖を中心に八ヶ岳や霧ヶ峰も含んだ広大な地域だ。
中央構造線とフォッサマグナが交わるところであり、縄文の時代から人々が暮らし、諏訪信仰がいまも息づく地でもある。

驚くことに、この諏訪地域には、2000社を超える「ものづくり企業」が集まっているという。「東洋のスイス」と呼ばれるように、その多くは精密機械の会社だ。地域の人口は約20万人なので、100人にひとりが経営者ということになる。

時計の諏訪精工舎(現セイコーエプソン)、オルゴールの三協精機(現日本電産サンキョー)、カメラや光学機器のヤシカ(1983年、京セラに吸収合併)、チノン、日東光学(現nittoh)、小型ポンプの荻原製作所、バルブの東洋バルブ、キッツといった大企業が、この地に生まれた。

精密機器だけではない。ハリウッド化粧品、ヨドバシカメラ、すかいらーく、ポテトチップスの湖池屋なども諏訪にルーツがあるし、岩波書店を創業した岩波茂雄、歌人の島木赤彦、作家の新田次郎、童画家の武井武雄といった著名な出版人も輩出している。

多くの仕事や人材がここから生まれている。どうやら諏訪は、ただならぬ場所らしい。その秘密に迫ったのがこの『諏訪式。』である。

まず「ものづくり」から見てみよう。「ものづくりのDNA」という言葉が、諏訪ほど相応しいところもない。なにしろその歴史は1万年以上も遡ることができる。先史時代、この地は黒曜石の加工流通の中心だった。以来、「ものづくりのDNA」は脈々とこの地で受け継がれてきた。寒天、海苔、生糸、時計、オルゴールなど、諏訪の産業のスタイルは「軽薄短小」にあるという。四方を山に囲まれた土地ならではの知恵で、人が背負って運べるような小さく軽いものを扱ってきたのである。

風土と向き合う中から生まれてきた知恵や工夫。「諏訪式」の秘密の一端がここにある。たとえば、厳しい冬の寒さを逆手にとったのが「寒天づくり」だ。他の産地が「糸寒天」のみの製造であるのに対し、諏訪では「棒寒天」も作られてきた。糸寒天よりもはるかに大きな体積のところてんを芯まで凍らせるには、寒さだけでなく、晴天率の高さや雪の少なさなども関係してくるという。風土への細やかな観察がなければ、このような産業は生まれなかったのではないか。

著者は、諏訪の人々は「風土を立体(三次元)的に活用する」ベクトルを持っているという。マイナスの条件をどう活用して付加価値のあるものを生み出すか、とことん「自力で考え工夫する」のが諏訪式ということなのだろう。

風土といえば、本書で「蚕時雨(こしぐれ)」という言葉を知った。蚕棚の前で耳を澄ますと、パラパラと雨音のような音が聴こえてくる。蚕が桑の葉を食む音で、諏訪のお年寄りはこれを「蚕時雨」と呼んでいたという。土地の暮らしに根ざしたなんと美しい言葉だろう。

この諏訪の地が持つパワーを考える上で、忘れてはならないのは諏訪湖の存在だ。大正の頃までは、12月半ばともなると野山が真っ白になり、塩尻峠から峠颪が吹き荒れ、その風がおさまると湖が一夜のうちに結氷したという。さらに「星の光も凍るばかりシンシンと凍みる夜」になると、闇の中に突然の轟音が響き渡る。「御神渡り」の出現を告げる音だ。

御神渡りは、氷の割れ目の方向によって天下の吉凶を占う神事である。
冬になると、諏訪大社の宮司と氏子が、氷の具合を確かめるために湖畔を巡回し、御神渡りが出現したとなると、直ちに見分し、その場所で神事を行うという。驚いたのは、こうした記録が、少なくとも室町時代から570年以上も続けられていることだ。ここにも長きにわたって、人々が風土と対話してきた姿を見てとることができる。

諏訪観光の個人的なオススメは「建築巡り」だ。
興味深いことに、湖を挟んで諏訪大社の上社側からは藤森照信、下社側からは伊東豊雄という、現代日本を代表する建築家が生まれている(伊東はソウル生まれだが、2歳から下諏訪)。

藤森照信が設計を手掛けたのが神長官守矢史料館である。
本書によれば、諏訪大社の神長官を代々務めてきた守矢家は、祭神とされる建御名方神が諏訪にやって来る前からこの地を治めていた「洩矢神」の後裔だという。石葺きの屋根を貫いて御柱のように木が突き出た史料館は、まるで縄文時代の建築物のようだ。

一方、下諏訪には、伊東豊雄が設計した諏訪湖博物館・赤彦記念館がある。
一見、メタリックで現代的な佇まいだが、藤森が以前、中沢新一も交えた鼎談で、伊東の建築には諏訪湖のイメージが深く影響していると指摘しているのを読んで、目からウロコだった(『建築の大転換』)。対照的な二人の建築が、どちらも生まれ育った風土に影響を受けているのは面白い。

本書によれば、諏訪大社の上社は、先住民の狩猟採集にまつわる文化の色彩が濃く「東国」的で、一方の下社は、水田稲作を背景とした文化の色彩が濃い「西国」的な雰囲気があるという。諏訪は、稲作と狩猟採集の文化がせめぎ合い、東と西の文化がぶつかり合った場でもある。この土地が秘めるただならぬパワーは、こうした歴史から生まれてきたものなのだろう。

私たちの足下に埋まっている歴史。それはその土地の風土によって培われたものだ。
新型コロナウイルスの蔓延を機に、地方へ移住する人が増えているが、そんな時、「都市の価値観をそのまま地方に持ち込むことには慎重になってほしい」と著者は注意を促す。見知らぬ土地に足を踏み入れる時は、その土地の風土にも心を寄せることを忘れないでいたい。

本書を読んでいるうちに無性に諏訪に行きたくなってしまった。次の休日はひさしぶりに諏訪を訪ねてみよう。着いたら真っ先に新鶴本店に向かい、まずは「塩羊羹」をゲットするのだ。

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