20世紀末の日本の金融界の大混乱は、メガバンクの誕生を経て収まったかに見え、そうした視点での金融関連本は一旦下火になった感があった。しかし近年は、2016年刊行の『住友銀行秘史』がベストセラーとなり、同書の著者・國重惇史氏のバンカーとしての告白『堕ちたバンカー』、金融庁の佐々木清隆氏の半生を描いた本書など、金融界で活躍した個人に焦点を当てた本が売れている。
本書の主役で「霞が関のジローラモ」と呼ばれた佐々木氏は、大蔵省(現財務省)への入省以前からかなりの異彩を放っていた。東京大学法学部時代は長髪のアイビールック、英語が得意で公務員試験に優秀な成績で合格した。
評者自身、金融界に長く身を置き、就職活動の際には、当時大蔵省銀行局に所属していた佐々木氏に相談に乗ってもらったりもした。40年にわたって彼の生きざまを近いところで見てきたこともあり、自分の日記を読み返すような臨場感をもって本書を読んだ。
佐々木氏は、パリのOECD(経済協力開発機構)勤務を経て、大蔵省接待汚職事件に巻き込まれ、その後、金融庁においてライブドア事件、村上ファンド事件、仮想通貨(暗号資産)流出問題、東芝不正会計問題などで大活躍した。
大蔵省というエスタブリッシュメントの中ではずっと傍流だったが、彼は自らの官僚人生を「これだけ経済事件に関わってきた人間もいないのではないか」と振り返る。仕事ぶりには「やりすぎだ」「当然そこまでやるべきだ」と賛否両論がつねにあったが、彼が仕事のできる人間であることに疑念を挟む者はなかった。
本書を読んで思い出したのが、今年9月に出版されベストセラーになっている『嫌われた監督』で描かれた落合博満・元中日ドラゴンズ監督だ。「落合博満」という軸は終始一貫してブレないが、そんな彼の真意を周囲の人々は考えあぐね、悩むという。同様に「佐々木清隆」という座標軸もブレずにきた。
「役所」という村社会ではなくグローバルな視点から見ると、彼の優秀さは群を抜いていた。英語のプレゼンテーションのうまさも卓越しており、金融監督当局の国際組織である監査監督機関国際フォーラム(IFIAR)の日本誘致も成功させた。
一昨年、金融庁の総合政策局の初代局長を最後に退官し、現在は一橋大学大学院グローバル金融規制研究フォーラムの代表などを務めている。しかし、今の日本の金融界の低迷ぶりを見ていると、佐々木氏が第一線を退いてしまうのは、いかにも惜しい気がする。
本書はいつかドキュメンタリー番組か「半沢直樹」のようなドラマになるのではないだろうか。彼ほどキャラの立っている役人はそういないし、彼の歩みには、過去30年の日本の金融史が盛り込まれているからだ。
最後に、本書に1つだけ異論を挟むとすれば、佐々木氏は「異能の官僚」ではない。評者から見れば、彼は至って普通の役人だった。彼が異能と呼ばれるうちは、日本は決して再浮上しないし、国際社会の中心にも復帰できないだろう。先進国の常識とは異なり、日本企業では博士号の取得がキャリア形成の役にまったく立たないのと似たような話だ。
※週刊東洋経済 2021年12月18日号