『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』「勝てる組織」への変革 異端の名将の実像に迫る

2021年11月13日 印刷向け表示
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嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか

作者:鈴木 忠平
出版社:文藝春秋
発売日:2021-09-24
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野球ファンであれば知らない人はいない「孤高の天才」、落合博満。選手としては、日本プロ野球史上で唯一、三冠王を3度達成した。監督としては、中日ドラゴンズを率いた8年の間に、球団は毎年ペナントレースでAクラス入りし、日本シリーズに5度進出、2007年には日本一に輝いた。

本書は監督時代の落合に中日の番記者として密着した著者によるスポーツドキュメンタリーである。だが実際は、中日選手らのあり方が、落合の人格に触れる中でいかに劇的に変化したかを綴る組織と人間変革の物語である。

落合には、「なぜ語らないのか」「なぜ俯いて歩くのか」「なぜいつも独りなのか」「なぜ嫌われるのか」という問いがついて回る。

その一つひとつが禅宗の座禅における問答のようだ。座禅とは仏陀の悟りを追体験しようとするものだ。その際に交わされる禅問答に明確な答えはない。体験は言葉で表現できるものではないからだ。

悟りを開こうとする修行者が苦悩するのと同様に、落合の周りの人々は彼の言葉や行動の意味について煩悶(はんもん)する。落合がそれを示さない以上、自分なりの答えを探し求めるしかない。

著者は落合について、「確かに同じ時を生きたのに、同じものを見て同じことに笑ったはずなのに、その一方で、自分たちとは別世界の理(ことわり)を生きているような鮮烈さと緊張感が消えないのだ。世界の中でそこだけ切り取られたような個」だと書いている。その印象は、初対面のときのまま今も変わらないという。

落合は、引退に追い込まれた最後の年の日本シリーズで敗れる。その最終試合で脱帽し深く一礼した彼の頭上には、観客から嵐のような落合コールが降り注いだ。「お客は勝つところが見たいんだ。勝てばお客は来る」、そう言ってはばからなかった監督が敗れてなおその名を叫ばれるとは、どういうことなのか。

彼の根源的な冷徹さは、最後のシーズンも変わらなかった。落合はそれまでと同じように淡々と、選手を勝つための駒として動かした。落合が変わった訳ではない。変わったのは、彼と時間・空間を共有した人々だったのだ。

著者もその一人である。「ロストジェネレーション」である自分自身が落合を追う中でどのように変わったのかを、次のように書いている。

社会で出会った人たちは、『戦後は……』『安保闘争は……』『バブルは……』とそれぞれが背負った傷を語った。それを耳にするたび、自分はこの列の後方でじっとしているしかないのだと感じていた。(中略)私は落合という人間を追っているうちに、列に並ぶことをやめていた。(中略)落合というフィルターを通して見ると、世界は劇的にその色を変えていった。この世にはあらかじめ決められた正義も悪もなかった。列に並んだ先には何もなく、自らの喪失を賭けた戦いは一人一人の眼前にあった。孤独になること、そのために戦い続けること、それが生きることであるように思えた

本書を読むのに野球の知識は必要ない。むしろ野球の物語と捉えないほうがいい。大きな組織に翻弄され、道を見失っているサラリーマンに読んでもらいたい1冊だ。

※週刊東洋経済 2021年11月13日号

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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