『安倍晋三 回顧録』歴代最長政権の舞台裏を明かす

2023年2月10日 印刷向け表示
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作者: 安倍晋三
出版社: 中央公論新社
発売日: 2023/2/8
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注目の一冊がついに刊行された。巻末の人名索引まで含めると472ページだが、厚さはまったく気にならない。面白すぎて一気呵成に読み終えた。

本書はもともと1年前に出版される予定だったという。ところが、あまりに機微に触れる部分が多く、安倍氏本人から出版延期の申し入れがあった。その後、銃撃事件で亡くなってしまったため、昭恵夫人の同意のもと出版が決まったと聞く。ならば気になるのは当然、その「機微に触れる部分」であろう。本書で安倍氏はいったい何を語っているのか。

インタビューは、首相退任1ヶ月後の2020年10月から約1年の間に、計18回36時間にわたって行われた。読売新聞の橋本五郎特別編集委員と尾山宏論説員が聞き手を務め、安倍内閣で国家安全保障局長などを歴任した北村滋氏が監修している。

第1章「コロナ蔓延 ダイヤモンド・プリンセスから辞任まで」は直近の2020年について語っているが、第2章「総理大臣へ!第1次内閣発足から退陣、再登板まで」(2003年-12年)以降は、順番にその年の重大な出来事を振り返る構成となっている。途中、第6章「海外首脳たちのこと オバマ、トランプ、メルケル、習近平、プーチン」のような人物月旦も挟まれる。

読みながらまず感じたのは、安倍氏が率直に本音を語っているということだ。なにしろ歴代最長の連続7年9ヶ月の政権を率いた人物の回顧録である。重要な政治イシューからちょっとしたエピソードまで、読みどころは多い。

安倍晋三という人物に対する評価は、手放しで礼賛するか、全否定するかに分かれがちである。事にSNSでは、ファンとアンチが互いを罵りあっていたりするが、どちらの言動もいただけない。当然のことながら、長期政権の中では、うまくいったこともいかなかったこともある。本書の魅力は、あらゆる細部から、その時々で政権の置かれていたリアルな状況が見えてくることだ。

例えば、新型コロナに翻弄された日々を語った第1章で面白かったのは、抗ウイルス薬「アビガン」の承認をめぐる話である。安倍氏は5月4日の記者会見で、5月中の承認を目指す考えを表明したが、承認されなかった。実は記者会見の前に、厚生労働省の局長は「アビガンを承認します」と話していたが、その後、薬務課長の反対によって覆ったのだという。

薬事承認の実質的な権限を持っているのは薬務課長である。内閣人事局は幹部官僚700人の人事を握っているものの、課長クラスは対象ではないため、官邸の言うことを聞いてくれないこともあるという。また、薬務課長が頑なだった背景には、薬害エイズ事件で、事務系キャリアが不起訴になったにもかかわらず、薬務系の技官が有罪になったことへの不満があるという見方も示している。「官邸一強」と言われながらも、すべての官僚をグリップできていたわけではなかったという話は面白い。

「機微に触れる部分」も見ておこう。そのひとつがTPP交渉の舞台裏である。

2012年12月の衆院選で政権に返り咲き、第2次安倍内閣が発足した。内閣の最初のテーマがTPPだった。問題は、自民党が衆院選で「聖域なき関税撤廃を前提にする限り、TPP交渉参加に反対」と政権公約に掲げていたことだ。13年2月には安倍氏が訪米し、日米首脳会談を行うことが予定されていた。ここで安倍氏がTPPについてどういう態度を表明するかが焦点となっていた。

首脳会談では、TPPに一定の聖域(日本側は農産品)を設けることについて、なんとしてでもオバマ大統領から内諾の言質をとらなければならなかった。テタテ(通訳のみを交えサシで話すこと)での直談判に臨んだ安倍氏は、本題のTPPではなく、まず別の話を切り出す。それが「集団的自衛権の行使容認への方針転換」だったという。

同年1月に始まった通常国会では、安倍氏は集団的自衛権の行使についての姿勢を旗幟鮮明にはしていなかった。憲法解釈変更の布石として、内閣法制局長官を交代させたのが8月。自民・公明両党の協議を経て憲法解釈の変更を閣議決定したのが14年7月。議論が紛糾した末、集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案が成立したのは15年9月である。

本書によれば、かなり早い段階でアメリカに重大な話を伝えていたことになる。その話に気を良くしたのかどうかはわからないが、オバマはTPPに聖域の余地を残すことに二つ返事で同意した。これを見事な交渉術とみるか、国会での審議を蔑ろにしているとみるかは意見が分かれるところだろう。

そもそも通常国会の時点で安倍氏が態度をはっきりさせなかったのは、集団的自衛権の行使に慎重な公明党に配慮したからだった。山口那津男公明党代表は、党首会談の場では、安倍氏の決意が堅いかどうかを探ってくるのが常だったという。決意がそれほど堅くないとみるや強く出てくる。だから法制局長官の交代人事には、決意の強さを公明党にわからせる意図も込められていた。安倍氏は山口氏の性格を見抜き、巧みに誘導したことになるわけだが、こうした現役の政治家に対する赤裸々な人物評も「機微に触れる部分」に含まれるのかもしれない。

この他、本書を読んでいて驚くのは、そこかしこで安倍氏が財務省への不信を露わにしていることだ。経済産業省の官僚を重用していたことからも財務省嫌いは想像がつくが、ここまで根深いとは思わなかった。特に「安倍政権を倒そうとした財務省との暗闘」(P310)と題された一節では、森友学園の国有地売却問題は、自身の足を掬うための財務省の策略だったという穿った見方まで披露している。

本書を通して浮かび上がってくるのは、政治家・安倍晋三の本質である。政治家には、理想主義者とリアリストのふたつのタイプがあるが、安倍氏は間違いなく後者だろう。

例えば、06年に首相になった安倍氏が、最初の訪問国に選んだのは中国だった。その理由を問われた安倍氏は、小泉政権で日米関係は良好だったから、それは継続すればいい。むしろ日中関係の改善が課題として残っていたので、そこから取り組もうと考えたと述べている。詳しくは本書を読んでほしいが、あわせて靖国問題に焦点が当たるのを巧みに避ける戦略もとっている。主義主張にこだわらず、柔軟に実利を取りに行く姿勢が、外交での顕著な実績へとつながったのだろう。

その一方で、いかがなものかと感じたところもある。安全保障関連法案が成立した時は、内閣支持率が6ポイント下落し、第2次内閣発足後、最低を記録した。その時のことを問われ、安倍氏は次のように答えている。

「13年12月に特定秘密保護法を成立させた時も、一時的に支持率は下がったけれども、すぐに戻りましたしね。日本人の面白いところは、現状変更が嫌いなところなのですよ。だから安全保障関連法案ができる時に、今の平和を壊すな、と反対していても、成立後はその現状を受け入れるのです。安全保障関連法成立後、しばらくたって『廃止したほうがよいか』と世論調査で聞くと、廃止派は少数になるのですね」

リアリストの安倍氏に世間が見透かされていたのだ。言葉を換えれば、有権者が舐められていたとも言えるわけで、ここは野党が奮起しなければならないところでもある。

野党といえば、旧民主党を事あるごとに腐すのも安倍氏の特徴である。「悪夢のような民主党政権」と言うフレーズはお馴染みだが、これも注意が必要である。民主党政権から第2次安倍政権に受け継がれている政策も実は多いからだ(参考図書は後述)。そもそも長期政権が実現したのも、第1次内閣での失敗を糧にしたからと安倍氏は述べている。ならば、いちど政権運営に失敗した野党にも同じことが当てはまるはずではないか。こうした矛盾も本書から読み取ることができる。

それにしても、本書はどこを切り取っても面白い。トランプや習近平とのエピソードは既に新聞やテレビでも取り上げられているが、個人的におすすめなのは、フィリピンのドゥテルテ大統領の寝室に招かれたエピソードである。困惑する安倍氏が目に浮かび笑ってしまうが、こういうヤカラ系の人物に気に入られるのもひとつの才能かもしれない。

はたして後世の人々はこの歴代最長政権をどう評価するだろうか。死して歴史の法廷に立つのは政治家の宿命だ。貴重な肉声をおさめた本書は、早くもその法廷に立たされることになった安倍氏の「陳述書」である。評価するにせよ、批判するにせよ、安倍晋三という政治家を語る上で、今後本書が必読文献になることは間違いない。

以下もぜひ併読をおすすめしたい。

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