『サーカスの子』は驚きに満ちた私ノンフィクションだ!

2023年4月27日 印刷向け表示
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作者: 稲泉 連
出版社: 講談社
発売日: 2023/4/3
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サーカス、これほど多彩なイメージを喚起する言葉はないのではないか。明るく陽気で楽しいという印象がまず浮かぶ。しかし、それを追いかけるように、もの悲しい、あるいは、陰りのある面が気になってしまう。空中ブランコなどのアクロバットや猛獣使いのショーが前者、ちんどん屋さんのジンタでもおなじみのうら悲しい旋律を持つ「美しき天然」が後者の代表といったところだろうか。

それほど見に行ったことがあるわけではないが、サーカスは大好きだ。しかし、幼い頃のイメージは良くなかった。公園などでひとけのないところに行ったりした時、「ことりにとられてサーカスに売られる」とよく注意されたからだ。なんで小鳥にさらわれるねんと思っていたが、小鳥でなくて子取り。大阪だけの方言だろうか。さらに、サーカスに売られると酢を飲まされると話は続く。からだを柔らかくするためというのが理由で、子どものころ酢の味が大嫌いだったので、本当に恐ろしかった。

このようなサーカスをめぐるさまざまなイメージが裏付けられ、あるいは覆されていく。『サーカスの子』は、そんな本である。ひょんなことからサーカスに炊事係として勤めることになった母親に連れられて、タイトルのとおり「サーカスの子」になった。その稲泉連が、5歳からの1年間ほどを共にすごしたサーカスの人たちを訪ね歩き、いろいろな話を聞き出していく。

「わずか一年足らずだったサーカスでの日々が、何故か今も胸に強く留まり続けている」、そして、「その経験が自分にとって、一つの原点であり続けていると感じている」稲泉は、「ノンフィクションを書くようになって以来、いつか当時の自分がいたサーカスの時間を共有していた人に会い、話を聞いてみたいと思っていた」という。それが現実化したきっかけは、奇跡的な偶然により、三十数年ぶりにサーカスの女芸人だった井上美一(みいち)と母が出合ったことだった。

稲泉といえば、『ぼくもいくさに征(ゆ)くのだけれど―竹内浩三の詩と死』で、2004年当時に最年少で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した手練れのノンフィクション作家である。このような動機ときっかけで書かれた本が面白くない訳がない。これだけでお勧めするには十分なようにも思うが、以下、思いつくままにいくつか印象に残ったことを紹介してみたい。

四十年近くも前、それもたった一年たらずであったのに、美一をとっかかりに尋ねていった人たちが、ぴいぴいといつも泣いてばかりいた「れんれん」のことをよく覚えていたのには驚かされる。しかし、それはもしかすると当然のことなのかもしれない。サーカスは家族のようなもの、それも、短い期間で引っ越しを繰り返す家族のようなものなのだから。

サーカスって世間ではちょっとうらぶれたイメージを持つ人もいるでしょう。でも、実際はすごく生活も楽だし、仲間もいて温室のような世界だったのよ。       ―中略― 
誰かが助けてくれるし、いつだって一人ではないから。でも、世間に出たらそれこそ反対だからね。

女芸人だった美々姐さんの言葉だ。おそらく、サーカスという集団での生活は、多くの人が抱くイメージとは大きく違っている。サーカスをやめて外で暮らすようになった時、どう生活をすればいいかがわからず、とまどう人が多かったという。意外な気もするが、住むところと家族のようなものがいきなり無くなってしまったと想像すると、これも当然のことなのかもしれない。

しかし、仕事が仕事だ。いつまでも働き続けることはできない。退団にはさまざまな理由があるが、なかでも大きいのは子どもの教育である。サーカスで育った健(たけし)兄さんは、中学校を卒業するまでに何と160回も転校したという。花形芸人だった健兄さんですら、娘の小学校入学を契機に退団している。健兄さんの時代は極端に多かったようだが、2ヶ月程度で日本各地への転校を繰り返さねばならないという負担は、子どもには大きすぎる。

両親が団員だった人、自ら志願してきた人、ちょっとした偶然だった人など、サーカスの一員になった理由はさまざまだ。当然ながら、ことりに捕られて来たような人など居はしない。むしろ、戦後の食うや食わずの時代には、そういった子どもたちを養っていた。それが人さらいであるかのような話に転化して伝わり、観客の「恐いもの見たさや哀愁のイメージ」にマッチしたために今にまで到っているのではないかという。なるほど、そうやったんや

周辺的な話ばかりの紹介になってしまったが、数多く紹介されるサーカスの芸、その特徴や修得などについても興味あるエピソードばかりだ。しかし、そこには死と隣り合わせの危険がつきまとう、稲泉が過ごした、今はもう無くなってしまったキグレサーカスでも死亡事故のおきたことがある。さだまさし主演で映画化された『飛べイカロスの翼』の主人公・栗原徹もその一人である。その主題歌『道化師のソネット』を覚えている人も多いだろう。

僕がその時いた「サーカス」という一つの共同体は、華やかな芸と人々の色濃い生活が同居する世界、いわば夢と現(うつつ)が混ざり合ったあわいのある場所だった

サーカスの夢と現、そして、光と影。実際に経験した訳でもないのに、まるでそこにいたかのようにイマジネーションがふくらみ続けた。これぞノンフィクションの醍醐味だ。


作者: 稲泉 連
出版社: 中央公論新社
発売日: 2007/7/1
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戦争へ行けばお国のために働いてしまうのか。二十三歳で戦死した詩人・竹内浩三を、同年代の稲泉連が描いた第36回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

作者: 山岡 淳一郎
出版社: 東洋経済新報社
発売日: 2018/12/21
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日本最大のサーカス、木下サーカスの歴史。キグレサーカスよりショー的な要素が強いというが、共通したところも多い。
決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!