太平洋戦争末期、小笠原諸島の硫黄島でアメリカ軍と栗林忠道陸軍中将率いる日本軍の激戦があったことは、クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』で若い人にまで広く知られている。
日本軍兵士約2万3000人のうち戦死者は約2万2000人。だが1万人分の遺骨がいまもなお見つかっていないということを知っているだろうか。
著者の祖父は小笠原諸島父島の防衛に携わる部隊に居り、終戦後は衰弱した身体で帰還した、と著者は幼い頃より聞かされて育った。
北海道新聞の記者となってから、硫黄島で玉砕した戦没者の遺児で遺骨収集団に15回も参加している三浦孝治さんと出会う。
取材者として参加することは禁じられていた。だがすでに老齢に達していた三浦さんから聞く遺骨収集の過酷な現実に衝撃を受けた著者は参加を決意する。この戦闘に関係した者の孫として遺骨の収集を行いたいという純粋な気持ちからだった。
硫黄島は地熱温度の高い島だ。作業は暑さとの闘いである。兵士たちの気持ちを慮り、父や親戚のお骨を必死で探す老齢の人たちの姿に著者は気持ちをつき動かされていく。
だが記者としての仕事も忘れない。文献を漁り、専門家へのインタビューを重ね、なぜ1万柱もの遺骨の行方が分からないのかを探る。
終戦後米軍が敷設した滑走路の下に埋まっている、という見解が強く囁かれていた。だが後日、それは否定される。頭部のない遺骨が多く発見されていることの驚くべき理由も取材の中でわかったことだ。
本書の読みどころは日本政府の遺骨収集に関する考え方である。自衛隊、米国政府への“忖度”と遺族の高齢化による“時間切れ待ち”。
著者が最後に行った、新聞記者の矜持を持った“記者会見”での質問は賞賛に値する。思いは繋がるのか。取材は続く。(週刊新潮 2023年10月5日号 掲載)
第11回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」を受賞されました。受賞の言葉はこちら