2011年7月15日にオープンしたノンフィクション書評サイトHONZ。本日2024年7月15日をもちまして13年間のサイト運営に終止符を打つこととなりました。
2011年の東日本大震災から、記憶に新しいコロナ禍まで。はたまたFacebookの時代からChatGPTの到来まで。その間に紹介してきた記事の総数は6105本。
発売3ヶ月以内の新刊ノンフィクションという条件のもと、数々のおすすめ本を紹介する中で、様々な出会いに恵まれました。信じられないような登場人物たち、それを軽やかなエンターテイメントのように伝える著者の方たち、その裏側で悪戦苦闘を繰り広げていたであろう版元や翻訳者の皆さま。さらに読者へ届ける取次会社や書店員の皆さま、そしてHONZを愛してくださったすべての皆さま、本当にありがとうございました。
サイトを閉じることになった理由に、明快なものは特にありません。こんなサイトがあったら面白いなとシャレのように始まったものが、シャレのように突然終わる。そういった粋な句読点の打ち方を、数年前からメンバーの多くがそれとなくイメージしていたのですが、機が熟し、今回の決断に至った次第です。
正直、あと数年は続けられる余力があったかと思います。ですが、そこに戻ることはありません。何かを終わらせることで、新しい何かが始まる、そんな未来の可能性に賭けてみたいと思います。
そんなわけで最後の記事は、HONZが活動していた2011-2024という13年間における、最も「◯◯な」一冊というテーマを設定してみました。どうぞ、ご笑覧ください!
東 えりか 13年間で最も「ノンフィクションの意義を感じた」一冊
東日本大震災の年に産声をあげ、13年経ったHONZは今日幕を下ろす。
この間、人類史に残る事件といえばCOVID-19パンデミックだ。危機管理に無策の政府は、専門家にすべてを委ねた。その最初の1年の対応と政策、専門家それぞれの心中を書き表したのが河合香織『分水嶺ドキュメント コロナ対策専門家会議』だ。
著者は淡々と証言を正確に書き残し、内部の軋轢も赤裸々に記した。日本中枢部のネットや大規模データの情報収集能力はこんなに脆弱だったのかと読んだ時は相当ショックを受けた。同時に、日本の防疫システムを担う保健所のシステムの有効性にも驚いた。この話、たった4年前のことだ。 オオカミ少年のように「やってくる」と言われ続けたパンデミックは本当に終わったのか。
結局のところ、新型コロナウィルスとは、どこから発生してどのように広がったのか、わからないままだ。大きな問題提起をしたと思ったシャーリー・マークソン『新型コロナはどこから来たのか 国際情勢と科学的見地から探るウイルスの起源』はたいした話題にもならなかったし、いまや人々の関心はほとんど無い。
3年に及んだあの自粛は何だったんだろう。詳細な検証の結果は徐々に発表されることだろう。ノンフィクション読みとして期待せずにはいられない。
内藤 順 13年間で最も「ウソのようであった」一冊
ノンフィクションという制約があるからこそ、ウソのような話を追い求め続けてきた。メンバー内を見渡せば、「刀根、まさかの留年」や「塩田、驚愕の野グソ」など信じられないような話はたくさんあったが、書籍に限定して考えれば断然『ピダハン』だ。
ピダハンの言葉には数がない、そして左右の概念もない、さらに色を表す単語もないという。また直接体験以外の言葉を表現することが出来ない文法構造となっており、そのおかげで現代社会に蔓延する不安や精神疾患などとも無縁であるというから驚くよりほかはない。
また後に名著となる本を新刊として読み、誰よりも早く書評を書いたことを、今でも密かに自慢げに思っている。ボクは本格的に読書を始めたのが遅かったため、過去の名著の話題についていけない時期も長く、ずいぶんコンプレックスを感じていた。その後、本好きが集まってピダハンの話が出るたびに、ようやく本好きの仲間入りを果たせたと感じ入ったものである。
それにしてもこの本が発売された2012年当時、HONZ内における新刊の書評権に関する争奪戦は本当に凄まじかった。当時のことを懐かしくは思うが、あの頃に戻りたいとは決して思わない(笑)
栗下 直也 13年間で最も「心に残った一文が載っていた」一冊
本ばかり読んでいても教養は身につかない、と坂口安吾は「私の小説」に書いている。確かに、本を読んでも賢くならないと体感した13年であった。世の中の平均よりもかなり本を読んだが、何も変化の兆しがないまま40代ももうすぐ折り返しだ。
では教養とは何なのか。安吾は「教養というものは、生き方の誠実さが根底である」と説いている。何だか格好いいことをいっているだけの気もするし、この一文を何度か口ずさむとそんな気もしてくる。
だが、ちょっと待てよという気もする。批評の神様といわれ、難解な文章で知られた小林秀雄を「何いっているかわからない」と切り捨て、酒を飲んで見ず知らずの人に殴りかかる安吾が誠実なのかと突っ込まれると首肯しがたい。だが、別に安吾自身が誠実とは言っていないよな、などとこの一文に対してだけでも、あれこれ突っ込みたくなるのだが、こうしたどうでもいいことを考えさせられるのが読書の醍醐味でもある。
今、読書より楽しいことなんていくらでもあるし、自分を賢くみせるツールも山ほどある。本なんて読みたければ読めばいいのだ、とHONZは教えてくれたとまとめておけば、十数年のそれっぽい締めになるだろうか。
山本 尚毅 13年間で最も「憧れた雪バカな」一冊
13年間、定期的にAmazonの検索バーに「雪」とタイピングし、雪本を探してきた。しかし、大体は、スキーやスノーボードの雑誌や観光ガイドばかりだった。違うんだよ、そういうの読みたいんじゃないんだよ。そう思いながら、人知れず、地味な作業を継続していた。そして、出会ってしまったのが、『雪に生きる』である。著者は猪谷六合雄、日本人初の冬季オリンピックメダリスト猪谷千春の父である。赤城山の旅館の息子に生まれ、突如スキーを手作りし滑りはじめた。その後、雪を求め、国内各所を転居した。千島列島・国後島に移住時の春に生まれたのが千春である(次男は千夏である)。
日本スキーの草分けであり、雪まみれの雪バカ人生を歩んだ六合雄は、スキーだけでなく、スキーのジャンプ台も山小屋もスキー用の靴下もセルフビルド。そして、驚くべきことに齢70を過ぎてから運転免許を取得、日本で初めてキャンピングカーをハンドメイド。ここでも草分け的存在で、車中泊生活を楽しんだ。生活すべて、見たもの聞いたものすべてを面白がっている様子が一文一文からビンビン伝わってくる。六合雄のように人生を実験的に生きたい、心の底から憧れた一冊である。
久保 洋介 13年間で最も「科学者の醍醐味を味わえた」一冊
ノンフィクション作品を読む醍醐味は、空間や時代を超えて偉人の歩みを疑似体験できることだ。地球上で全く違う場所に生きる人や、過去の偉人について、読書を通じてその人の吐息が聞こえるような体験をすることができる。そのような作品に出合うと、読了前後で自分の人生が大きく違っていることだろう。
そんな体験をさせてくれるノンフィクション本が『スノーボール・アース』である。主人公のポール・ホフマンという地質学者は、それまで「ありえない」と考えられてきた、地球全体が氷で覆われるスノーボール・アース現象が地球で起きたことを証明。それまでの常識を覆した。彼は反対論を論理的な説明と証拠によって次々とねじ伏せていく。まるでRPGゲームのように、次から次へと強敵(反論)が出てきては、それらを自説で打ち負かしていくのだ。
本書を通して、常軌を逸したアイデアが世の中のスタンダードになる歴史的な過程をおえる。個性豊かな科学者達の信念と信念のぶつかり合い、或いは個性と個性のぶつかり合い、これが科学を進歩させてきた。きっとどこかで同じような闘いをしている人たちが今もいる。HONZという読書文化を通じてそういった偉人(奇人変人?!)に触発される機会を増やせたと願いたい。
新井 文月 13年間で「最も霊を意識した」一冊
幼少の頃、私は足の病気により松葉杖で生活していた。そのため、まわりの小学生が広大な山や野原を駆け回って遊ぶ一方、物事を客観的に見る癖がついた。
大人になってもそういった現実的な側面は残り、本書のような霊とは無縁であった。ただスマホもインターネットも無い時代に時間だけはあったので世の中を観察ばかりしていた。
すると地球が毎日安定して自転していること、ほぼ24時間周期で太陽が毎朝登ることは奇跡的だということを理解しはじめた。
加えて、日常で家賃が払えない時に宝くじが当たったり、間違えれば死亡するような事故も奇跡的にかすり傷になってたり不思議な事も起こりはじめた。この見えざる何かが存在していると意識しはじめたのが、ちょうどHONZの初期メンバーとなった13年前の時期と重なる。
いつしか私も修験道に興味を持つようになり、非科学的だった霊魂も、より身近になった。今ではシャーマン達が伝える事も、完全なるノンフィクションとして理解できる。
麻木 久仁子 13年間で最も「エールを送りたくなった」一冊
この13年間、HONZでどんな本をご紹介したかしらと遡ってみたら、初めの頃は歴史に関わるものが多く、やがて社会問題全般へ。薬膳の研究を始めた辺りからは料理や食に関する本もちらほらと。自身の興味の移り変わりが垣間見えました。
この間にアラフィフから還暦へと歳を取り、このごろは人生の終わりについて考えることが増えました。自分自身乳がんを経験したり、家族や親しい仲間のさまざまな命に関わる戦いと触れることもあり。考えてもわからないけれど考えておかなくてはならない、何か準備をしておきたいと思う、そんな年頃です。
HONZ最終回にあたってご紹介するのは、2020年2月発行、佐々涼子さんの『エンド・オブ・ライフ』です。
「命の閉じ方」をレッスンする。200名の患者を看取った看護師は、自らの死をどう受け入れたのか?
帯にこうありました。命の閉じ方はレッスンできるのだろうか。思わずこの本を手に取ったのです。 佐々さんは2013年から在宅医療や自宅での看取りについて取材を重ねてきました。 きっと行こうねと家族と約束した潮干狩りへまさに命懸けで出かけて、そこで最後の思い出を作り、翌日幼い娘を残して旅立った若い母。 脊髄梗塞を起こし24時間絶え間ない激痛に苦しみ、運命の理不尽にたいするどうしようもない怒りを抱きながら家族とも疎遠になって行く60代の男性。 胃がんを発症し、やがて膀胱も浸潤、神経も圧迫され人工肛門をつけるなどいくつものトラブルを抱えながらも、ひまわりのように明るく生き、最期の時には家族や友人に拍手でおくられた40代の女性。
期限を切られた残り少ない日々を、家族や仲間とホームコンサートを開き、息子たちの掻き鳴らすギターの音色に浸り、「楽しく、楽しくね」と妻と手を握り合いながら逝ったクリスチャンの男性。 こうした人々と、彼らと共に歩もうとする医療者たちの取材を佐々さんは続けていました。が、それはなかなか1冊の本としては結実しません。最後は家で、というがそれは本当に誰にとっても良いことなのか確信が持てない。医療や介護のチームの支援があって家族の負担はやはり大きい。在宅医療を手放しでは賞賛できない、そんな思いを胸に抱いていたのです。
佐々さんがそんな気持ちになるのには自身のご母堂のことがありました。佐々さんのお母様は完全に寝たきりで、それをお父様がたった一人で自宅で介護していたのです。
命の期限と向きあう多くの人々とその家族、友人、医療者たち。そして自分自身の父と母。在宅医療や家での看取りをどう受け止めるか固まらないまま6年が過ぎた時に連絡をよこしたのか、医療従事者の一人として取材対象だった看護師の森山さんでした。多くの人々を看取ってきた彼は、自身がすい臓がんを患ったのでした。がんの中でも予後の良くないすい臓のがん。自分が最後に残す言葉を受け取ってほしい。佐々さんは患者としての森山さんの取材を始めます。
200名もの患者のさまざまな死を看取った経験は、自身が死を迎える時のレッスンたり得るのか。 森山さんにも佐々さんにも思わぬ変化が起こります。そして・・・。
一つとして同じものがない「人生の終わり」。どこまで行っても人の死は「その人だけの経験」なのだという思いが湧き起こります。自分はその時を、どう迎えるのか、迎えられるのか。堂々巡りです。 印象に残る言葉がありました。
人は、生きてきたようにしか死ぬことができない
亡くなりゆく人は、この世に生まれてくる時、天から授かった美質を、この世においていくこともできる。
いつかその日が来るまでの、長くも短くもある時間を費やして答えを出す「宿題」だなと思います。生きている限り日々の経験のなかで、心も移ろいながら、最期まで答えを更新し続けるのかもしれません。読み終えて、そんなことを思いました。多分私も思い続けて行くと思います。この本で佐々さんは大事な宿題をくれました。
仲野 徹 13年間で最も「自分のレビューが気に入っている」一冊
HONZでのデビュー作『大村智』以来、12年と4ヵ月、300近いレビューをアップしてきた。平均すれば2~3週に一冊ということになる。この6~7年は毎月27日が当番日だったが、一度たりとも欠けるはおろか遅れたりしたことすらないのが自慢である。どやっ、えらいやろ! 誰も気づいてないと思うから、ここにキッパリと記しておきたい。
この機会に、すべてのレビュー本を見直してみた。レビューしたことすら忘れている本もたくさんあるが、強く記憶に残る本もある。小川さやかさんの『チョンキンマンションのボスは知っている』とか郡司芽久さんの『キリン解剖記』など、新聞やらでレビューされる前にいち早く紹介して後に話題になった本は、とりわけ印象に残っている。このお二人を含め、レビューをきっかけに著者の方と知り合いになれた本がたくさんあったのは、本当にありがたいことだ。
そんな中、自分でいちばん気に入っているレビューは「『おっぱいの科学』にクラクラっ」である。栗下直也に指摘されて、レビューに「おっぱい」という四文字がどれくらい出てくるかを数えたら、なんと15回。子どもの頃はおっぱいが大好きで「おっぱい魔」と呼ばれていた私の面目躍如である。こんな名著が絶版になっているのは、HONZが終わるのと同じくらいに悲しい。
足立 真穂 13年間で最も「奇縁を結んでくれた」一冊
最初に書いた『ケセン語訳 新約聖書』が2012年4月なので、なんと12年以上HONZに参加していたことになる。HONZメンバーとはその間何度飲んだか旅したか、その縁こそ13年間で最も貴重なものだ。感謝しかない。
なんつって、本ですよね。70本近いレビューを見返すと、私が好きなのは人知れず研究したりつくったり、何かしら好きでやらかしている人の本のようだ。その中でも、いちばん不思議な反響があったのは『精神病者私宅監置の実況』だろう。思いがけず手にしたこの本を紹介することで、「実家にも実はあって」という激白もあれば、勤務先への持ち込みも増えた。100年前の座敷牢の調査報告書なのだが、よく調べたものだ。そして、よく出たものだ。面白い人物や出来事をもたらす一冊となった。
たどると、この本を知ったのは、『幻聴妄想かるた』を、かるたなのに無理矢理紹介したから。そもそもは『オオカミの護符』という関東にひっそり息づく山岳信仰の本を2011年に編集して、「かるた」が近づいてきた。このオオカミ、オイヌさまの存在を教えてくれたのが副代表の東えりかさんで、「なに変な本出してるの?」と親しくなったのが成毛眞さん。奇縁を結ぶのは、人のみならず本でもあるのだな、と教えてくれたのもまた、HONZだった。
田中 大輔 13年間で最も「売れたであろう」一冊
HONZには「ベストセラーは扱わない」という暗黙のルールがあったが、空気の読まない(読めない)私は無視して、これから売れそうだと思う本を率先して紹介していた。それゆえレビューを振り返ると、のちにベストセラーになっている本がたくさんある。私が紹介しなくても売れていただろうが、13年が経ち、その間に50万部を超える大ベストセラーになっているものがある。本の目利きとしてそれなりには役に立てたのではないだろうか。売れた順にみると、
1位『嫌われる勇気』岸見 一郎 300万部
2位『ざんねんな生き物図鑑』今泉忠明 監修 150万部
3位『伝え方が9割』佐々木 圭一 112万部
4位『言ってはいけない』橘玲 60万部
5位『ゼロ』堀江貴文50万部
数万部でベストセラーといわれる中で、50万部を超える本を5冊、100万部超えが3冊もあるのはなかなか上出来ではなかろうか。数冊でも売り上げに貢献できていれば幸いである。ちなみに『嫌われる勇気』は発売日の4日後、『伝え方が9割』は発売日の3日後にレビューしているので、どれもベストセラーになってから紹介したわけではないことを強調しておきたい。『嫌われる勇気』にいたっては発売から10年が経過するいまも売れ続けている。きちんと調べたわけではないがこの13年の間で一番売れた本ではないだろうか?
これを機に『嫌われる勇気』を読みかえしてみた。本には当時の付箋が貼ったままで、別のところには線が引いてあった。記憶にないが2度は本を読んだのだろう。その個所だけをみても、私はこの本から多大な影響を受けていることがわかった。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」。HONZではたくさんの経験をさせてもらった。HONZでの経験に「どのような意味」を与えるかは自分次第。『嫌われる勇気』の教えを元にこれからも「いま、ここ」を真剣に生きることを意識していこう。
鰐部 祥平 13年間で最も「心残りだった」一冊
新刊を三ヶ月以内にレビューするというHONZのルール上どうしてもレビューのタイミングを逃してしまう本がある。そんな本の中で最も心残りだったのがイアン・カーショー著『ナチ・ドイツの終焉1944-45』だ。国防軍は国家の戦争をただ遂行していただけで、ヒトラー率いるナチスとは一線を画していた。戦後語り継がれてきた国防軍神話だが、これは真実ではなく国防軍とヒトラーとはかなり深いレベルで結びついてのではと問いかける意欲作だ。国防軍の忠誠と妄信があったからこそ、ナチ・ドイツはベルリンが灰燼と化しても戦いづづけたのである。多くの民衆を巻き込んで。
ついでに神話崩壊つながりでもう一冊あげるならば『エルサレム<以前>のアイヒマン』も俊逸だ。ユダヤ人虐殺に深く関与しながらもハンナ・アーレントにより「悪の凡庸さ」と評されたアイヒマン。だが彼は本当に上からの命令を忠実に実行しただけの小役人だったのか?
著者は亡命先アルゼンチンでのアイヒマンの活動を追い、彼が亡命ナチグループの中心的な存在であり、ナチ復興にかなり精力的に動いていたことを突き止める。無能な小役人という彼のイメージはエルサレムの裁判でアイヒマンが減刑を勝ち取るために演じた作戦であった可能性が高いのだ。ぜひ、20世紀最大の戦争を起こしたナチ・ドイツの神話の崩壊を目の当たりにして欲しい。
塩田 春香 13年間で最も「盛り上がった」一冊
私は悩んでいた。反響とレビューのできなら『八甲田山 消された真実』だろう。しかし今、世に問うなら三毛別羆事件を取材した『慟哭の谷』か。でも『パイヌカジ 小さな鳩間島の豊かな暮らし』も捨てがたい。
そこに、内藤編集長からご宣託があった。「うんこネタで決まり、飛びっきりクサいやつでお願いします、自分を信じてくださいっ! もう失うものなんてナイですから」
ということで、最初から最後まで通奏低音のようにゲロシンコ(ゲ〇とシッ〇とウン〇)にまみれ続けた『冒険歌手 珍・世界最悪の旅』にしよう。朝会で紹介するやメンバーが次々にその場でポチりだし、追いレビューも相次いだ伝説の奇書である。成毛代表のお身内も、本書の影響で会社を辞めて新しい世界に飛び込んだというくらいだから、人生を変える力がノンフィクションにはある!という証明にはもってこいのはず。
改めて過去の記事を振り返れば、その時々に話題になったノンフィクションは、まさに時代を映す鏡。HONZの歩みも、時代そのものの歩みであったと言って過言ではないだろう。関係者の皆様に心からの感謝を。そして何より、ご愛読くださった皆様、ありがとうございました。いつかまたどこかでお会いしましょう!
古幡 瑞穂 13年間で最も「ノンフィクションを売る面白さにスイッチを入れた」一冊
「HONZでレビューを書かないか」と誘われた時、きっぱりと「いや、ノンフィクションは全く読まないので」と返したのを思い出しました。読まないかわりにデータを使って色々やってみましょう、ということで。
「●●を買っている人はこういう年齢層でこういうものを買っています」だとか
「この本を買った人はこの地域の人が多い」だとか、
「株価と売上が連動している本の話」だとか
そんな歴史を経て「これから出る本」シリーズに落ち着きました。
“ノンフィクション本”ってよく使われる言葉の割には書店での扱い方法は様々なのです。そんなわけで、毎度毎度本の情報を見ながら目検で「これはフィクション、これはノンフィクション」って仕分けしています。
HONZメンバーとつきあっていると「データ上だと世の中でまだ200冊くらいしか売れてないはずなのに」という本を読んだり持ったりしている人が3人いる。などのびっくり事例がしょっちゅう起こるのも面白いことでした。
そんな私が期間内で一番びっくりした売れ行きを見せたのがピケティの『21世紀の資本』でした。安くはないどころかかなり高いあの本が飛ぶように売れたのが「ノンフィクション(を売るの)って面白いじゃん」と思うスイッチになったのでした。そこから今まで「あれを読んだ人はこれも絶対好きだろな」と思いながらの「これから出る本」探しが続いています。
冬木 糸一 13年間で最も「記事名をうまくつけられたと思った」一冊
Webの記事はタイトルがすべてといってもいいぐらいにはタイトルが重要だ。
何しろツイッター(現:X)やFacebookなどあらゆる媒体に乗ったときに見えるのは基本的に記事名とサムネだけだから、そこをキャッチーにして「読みたい」と思ってもらいたい。そのため毎回記事名をいろいろ考えるのだけど、うまくいったなと自画自賛するものもあれば思いつかずに適当にすませたやつもある。
今回選んだ記事「とてつもなく変態で、ありえないほど文章がうまい──『動物になって生きてみた』」は本がまずべらぼうにおもしろいのは前提として、それ以上に長い間HONZで書いてきた中でも、もっとも記事名が内容とよくハマったな、と思う記事だ。記事もよく読まれて本も売れ、帯にもなった。
ただ、この記事タイトルを思いついたのをまるで自分の手柄のように語っているが、これは『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(小説&映画あり。原題は『Extremely Loud & Incredibly Close』)のパロディであり、原題を考えた著者&編集者&邦題に関わった方々が素晴らしい、ということは注記しておく。
アーヤ藍 13年間で最も「過去の出来事なのに未来を感じた」一冊
私がHONZにジョインしたのは、シリアのドキュメンタリー映画の紹介記事がきっかけだった。だから締めくくりの一冊も、映画から生まれた一冊を選びたいと思う。
1994年、1歳に満たない息子を抱えシングルマザーとなった穂子さんは、実家に帰ることも新しい伴侶を探すこともせず、そして、一人で育てることも選ばなかった。代わりに「共同(?)保育参加者募集中」と書いたチラシをまき、育児に参加してくれる人を募った。そうして集まった10人程度の大人たちによる共同保育で育ったのが本書の著者だ。20年以上が経過し大人になった著者は、当時の保育人たちを訪ねていく。
穂子さんが共同保育を選んだのは単に助けが必要だったからではない。母子二人の関係に閉じて追い込まれるのは「まっぴらゴメン」だったからだ。だから、ともするとしがらみになる血縁や地縁に頼るのではなく、多様な人が日常に存在する環境をつくろうとした。
最低限のルール以外、育児の経験は不問、子どもとの関わり方やしつけの基準も人それぞれでOK。そんなテキトウでいいのかと思うかもしれないが、保育を担当した人が申し送りで書き綴った保育ノートや、月に一度の保育会議の記録には、正解のない子育てに皆で悩み、対話を重ねた様子が刻まれている。
子育てや家族という文脈を越えて、多様な価値観が存在する環境のゆたかさを感じ、赤の他人であれ育まれる信頼と愛情に深い安心感がこみあげてくる。「昔だからできた」ところも感じる一方で、「未来にこうあってほしい」が詰まっている一冊だ。同じタイトルの映画と合わせて触れてみてほしい。
澤畑 塁 13年間で最も「読むことと書くことに満足を覚えた」一冊
そこに示される彼の博覧強記ぶりと大胆な議論。スティーブン・ピンカーの著書は名作揃いであるが、そのなかでも本書こそが彼の最高傑作と言ってよいのではないだろうか。
本書が論じているのは、「暴力が歴史的に減少している」こと。凶悪な犯罪や国際紛争のニュースなどに接していると意外に思われるだろうが、歴史的に見て暴力は確実に減少している。しかも、数千年、数百年、数十年というどの時間尺度をとってもそうなのである。その事実を、ピンカーは説得力のあるデータと豊かなエピソードをもって詳らかにしていく。
引き合いに出されるエピソードがいちいちおもしろい。ご存知のとおり、西洋のテーブルマナーはナイフの使い方などを細かく定めている。そうしたルールが生まれた背景には、中世のヨーロッパでは男たちのいさかいが容易にエスカレートし、ナイフを使った殺傷事件が頻繁に生じていたという事実がある。それほどまでに当時は暴力がそこかしこに転がっていたというわけだ。そんなエピソードを積み重ねつつ、ピンカーは言う。「今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれないのだ」
上下巻あわせて1400頁の大著であるが、開くページにつねに興味深い議論が展開されていて、読んでいてまったく飽きることがない。本書発売からそれほど間をおかずして、わたしは4000字オーバーのレビューを書き上げたが、興奮を覚えながら1日で完成させたのをいまでも覚えている。読んで満足、書いて満足の、わたしにとって極めつけの1冊であった。
堀内 勉 13年間で最も「泣いた」一冊
HONZを通じて本格的に書評の道に足を踏み入れた。 以来、何百という本の書評を書いてきたが、その中でひとつの真実を悟った。 それは、「書評は引用に如かず」ということである。どんなに文章をこねくり回してみたところで、推薦したくなるような素晴らしい本の原文には及ばない。 爾来、私は書評を書くのをやめて、ひたすら原文の引用ばかりしている。本当は、それの方が楽だという別の理由もあるのだが…。
とにかく、それを痛感させられた一冊がこの『嫌われた監督』だ。 本書を読んで新幹線の中で大泣きした。著書と自分の人生がシンクロして走馬灯のように甦ってきた。 それが以下の文章だ。
社会に出たばかりのころ、私にあったのは茫洋とした無力感だけだった。・・・人生観を変えるほどの悲劇などなかった。・・・もし自分に、他の世代と比べて喪失があるとすれば、それは何も失っていないことだ、と考えていた。・・・社会で出会った人たちは、「戦後は……」「安保闘争は……」「バブルは……」とそれぞれが背負った傷を語った。それを耳にするたび、自分はこの列の後方でじっとしているしかないのだと感じていた。そんな私が、順番を待つことをやめたのはいつからだろう。・・・私は落合という人間を追っているうちに、列に並ぶことをやめていた。・・・落合というフィルターを通して見ると、世界は劇的にその色を変えていった。この世にはあらかじめ決められた正義も悪もなかった。列に並んだ先には何もなく、自らの喪失を賭けた戦いは一人一人の眼前にあった。孤独になること、そのために戦い続けること、それが生きることであるように思えた。・・・無力感は自分への怒りになり、いつしか私は時代を呪うことをやめていた。
本書を読むのに野球の知識は必要ない。むしろ野球の物語と捉えない方がいい。組織に翻弄され、道を見失っているサラリーマンに是非とも読んでもらいたい一冊だ。
首藤 淳哉 13年間で最も「売れた」一冊
有難いことにレビューを読んで実際に本を購入してくれる人も多く、なかでも本書は、歴代マイレビューのなかで購入数ナンバーワンだった。売れるのには理由があるはずだが、本書のテーマは「PTA」。このテーマのいったいどこにみなさん興味をそそられたのだろう。
本書は「PTA会長になってくれませんか」と突然ムチャぶりされた政治学者の体験記である。政治学の理論を駆使してPTAを見事立て直したみたいなカッコいいストーリーとはまったく違う。市井の人びとを前に政治学者は無力で、世間の壁に跳ね返され、打ちひしがれる著者がなんとも気の毒だ。ところが、不条理なシステムを変えようと奮闘する著者の背中を追ううちに、「社会を変える」とは具体的にどういうことか次第にわかってくる。主張や意見が異なる人と手を携え、共通の課題に取り組むための試行錯誤が本書には書かれているのだ。
この1か月、東京都知事選挙の取材に追われていたが、街頭演説で支持候補が異なる者どうしがののしりあう光景をよく見かけた。不毛な対立からは何も生まれない。意見が違う相手を敵認定し、“論破”したなどと喜ぶのは、著者の言う「半径十メートルのミンシュシュギ」の対極にある姿勢である。
本書と出会えたのはHONZのおかげかもしれない。レビューを書いていると、無意識に「まだ紹介されていない面白そうな本」を探してしまう。HONZに参加していなかったらきっと存在に気づかなかっただろう。これからも本書のような良書を紹介していきたい。迷ったり悩んだりしたときにヒントを与えてくれるのは、いつだって本だからである。
西野 智紀 13年間で最も「財産となった」一冊
HONZに参加したのは2017年だった。産経新聞等に書評を寄稿し始めたのは2015年なので、慣れはあったものの、しばらくおっかなびっくりな気持ちで書いていた。
そんな中で手応えを得たのは、年明け2018年に書いた『日本の伝統の正体』レビューである。掲載後ほどなくしてバズり、後日柏書房編集部からいただいたメールによれば、正月中にAmazonは売り切れ、都内大型書店でも完売し各所から追加注文がぞくぞく来る状態となった。また、編集部のはからいで、追加取材として著者インタビューも敢行した。書評一本で、本の売れ行きが大きく変動する。まさしくレビュアー冥利に尽きる、私の財産となった一冊となった。
歳月は流れ、紆余曲折を経て、昨年より某書店で書店員として働いている。新聞にも引き続き書評を寄せている。裕福な暮らしでは無論ないが、まぁ本に関わるよりほかに生きる道などない運命なのだろう。自分の書いたものを大勢の人に読んでもらうのが10代の頃の夢だったので、だいたい果たされた今、特段の目標がない。請われる限りは、持てる技術と経験を活かし全力で書評を書き続ける所存だけれども。
鎌田 浩毅 13年間で最も「科学の古典になった!と思った」一冊
科学の世界には100年に一度起こるかどうかの劇的なドラマがある。『二重螺旋(らせん)』とは、生命の遺伝を司るDNAが二重に巻いたラセン構造をしていることを示す。この事実を世界に先駆けて弱冠二五歳で発見したワトソン(1928~)が、その経緯を赤裸々に描いた「科学者のドラマ」が本書である。その完全版が2015年に新たに翻訳されたのだ。
著者はこの功績によって1962年にノーベル生理学・医学賞を世界最年少で受賞した。その6年後、発見の過程をリアルに語った『二重らせん』は世界中で大ベストセラーとなった。というのは、サイエンスの現場で繰り広げられた人間模様を、歯に衣を着せぬ表現で大胆に開示したからだ。
たとえば、宿敵のライナス・ポーリング教授との生き馬の目を抜く競争が臨場感をもって描かれる。「ライナスがふたたびDNAの構造にかかりきりになるまで、われわれに与えられた時間は長くて6週間だった」(『二重螺旋 完全版』261ページ)。科学の世界では、最初の発見者以外はすべて負け組になる運命にある。
初版『Double Helix』は世界中の読者の心を鷲づかみにした。本書は、その後に見つかった数多くの書簡とともに、編者が詳細な注と豊富な写真を加えた「完全版」である。二重螺旋の発見から半世紀以上が過ぎた現在、ゲノム解析からiPS細胞の研究まで、世界中が生命の本質を追いかけている。
学問には旬(しゅん)というものがあるが、その端緒を与えたのが紛れもなくワトソンたちの仕事なのだ。ここから分子生物学という新しい学問が誕生し、それまで複雑で混沌と見なされていた生きものが、予測と制御が効く「物質」へと大変身を遂げた。その結果、生物学は神の領域にまで手を出すと同時に、ビジネスと倫理判断の対象にもなった。
かつて私はロンドンの科学博物館に、ワトソンたちが作成した二重螺旋の模型を見に行ったことがある。ガラスケースの中では、ブリキ板で作られた模型が静かに輝いていた。本書に「真理は(中略)美しいだけでなくシンプルでもあるはずだ」(20ページ)と書かれている通りだった。
英国の中学生が周囲に集まり熱心に見ていたのも印象的だった。実は私も理科教師から与えられた本であり、後年、京大の講義で学生たちに毎年推薦してきた科学書である。拙著『世界がわかる理系の名著』(文春新書)でも、ダーウィン『種の起原』やファーブル『昆虫記』とともに紹介してきた。
筑波大附属駒場中1年の猛暑の7月、単行本『二重らせん』(江上不二夫・中村桂子訳、タイムライフブックス、1968年、後に講談社文庫)を読む宿題が出た。夏休みに読み込んで要約を書いてこいと言うものだった。
その後、高校になってから紀伊國屋書店の洋書コーナーでペーパーバックの『Double Helix』を見つけて今度は英語で読み耽った。感動した私のロールモデルが、直ちにワトソンとなった。ちなみに、ロールモデルとは仕事やキャリアを考えるうえで、自分の行動や規範のお手本になる人のことである。
「こんな人になりたい!」と思ったのは、彼が4つの大きな仕事をしたからである。まず若くしてノーベル賞を獲った後、33歳でハーバード大学の分子生物学教授になった。
その後、世界中で使われることになる分子生物学の画期的な教科書を執筆した。37歳で『遺伝子の分子生物学』(Molecular Biology of the Gene)を出版し、その後も続々と改訂版が出ている(1965年初版、1970年第2版、1976年第3版、1988年第4版)。
そして2004年には17年ぶりに第5版が刊行され、現在でも世界中の研究者に読まれている。2024年7月現在の最新版は第7版で、邦訳も出ている(中村桂子監訳、滋賀陽子他訳、東京電機大学出版局、2017年)。
さらにワトソンは経営者としての才覚も発揮した。40歳で請われてポンコツ研究所と揶揄(やゆ)されたコールド・スプリング・ハーバー研究所を、世界トップの組織に立て直したのである。その結果、米国の科学界に大きな影響力を持つこととなった。
また、61歳から世界の医学と生命科学をリードするNIH(国立衛生研究所)のヒトゲノム研究センター長も勤め、生命科学を仕切る重鎮となっている。
遺伝子治療や再生医療が大きな関心を集める現在、『二重螺旋』は科学と社会の関係を考えるうえでも優れた「現代の古典」と言っても過言ではないだろう。内容の素晴らしさに加えて、翻訳を手がけた青木薫氏の見事な日本語が、最後まで一気に読ませてくれる。
これが「科学の古典になった!と思った」所以(ゆえん)である。HONZ読者の方も是非、世紀の発見を一緒に楽しんでいただきたい。
中野 亜海 13年間で最も「タイトルに共感した」一冊
なぜ働いていると本が読めなくなるのか、そしてHONZの記事を更新しなくなるのか。ちょっと時間ができても、SNSをぼうっと見たりしてせっかくの時間を消費してしまうのはなぜなのか。 そんな働く読書家たち共通の疑問を、日本のベストセラーとその読み手であるサラリーマンの歴史から追ったのが、この新書である。
この本では、映画『花束みたいな恋をした』が重要な例として提示される。文化的なものが好きで結ばれたカップルのうち、彼氏が労働をしはじめてからのすれ違いを描いた映画だが、この映画の中で、元サブカル男子だった彼が自己啓発書を手にとるシーンが大変印象的だ。
実はこの自己啓発書も、「なぜ働いていると本が読めないのか」を語る上で外せないと著者の三宅香帆さんは言う。「え、そうなの?」と、編集者という商売柄、ここ数年のベストセラーが自己啓発書がメインだということを知っている身からしても大変おもしろい。
なぜ働いていると本が読めなくなるのか、SNSで時間をつぶしてしまうのか、そして自己啓発書が売れるのはなぜか。 もうみんな気づいていると思うが、その答えは、実は明快で、一生懸命仕事をしているからだ。
ではどうして一生懸命仕事をしてしまうのか、そのくらいの気持ちで、趣味や勉強に時間を費やせないのはなぜなのか。それを考えたい人は、ぜひこの本を読んでほしい。
青木 薫 13年間で最も「心と頭を鍛えられた」一冊
自分の訳書だが、どうか挙げさせてほしい。トマス・クーン著『新版 科学革命の構造』である。
クーン「構造」の改訳を志して18年。昨年、ついに刊行にこぎつけた。
HONZの誕生間もなく「青木薫のサイエンス通信」を寄稿させていただくようになったが、わたしはこの間ずーっと、『新版 構造』を抱え込んでいたことになる。
『新版 構造』の翻訳では、2023年の日本翻訳家協会翻訳特別賞をいただいた。また、科学史の伊藤憲二先生からは、「今年は科学とその周辺で重要書籍の翻訳がつづいたが、これより重要な本はない」と、ありがたいご紹介をいただいた。(みすず書房編「みすず 読者アンケート 2023 識者が選んだこの一年の本」より。)
『新版 構造』は、『構造』の五十周年記念版を原書としており、イアン・ハッキングによる素晴らしい解説がついている。日本語版が刊行される直前にハッキングが亡くなったのは残念だったが、もしも天国があるのなら、クーンもハッキングも、日本語版の刊行を喜んでくれていると思いたい。
『新版 構造』がついに世に出、HONZが13年に及んだ目覚ましい活動の幕を閉じようとしている今、わたしもまた、新たな一歩を踏み出さなければと思っている。
刀根 明日香 13年間で最も「惚れ込んだ」一冊
私は2012年から学生メンバーとしてHONZに参加した。最後まで「私はこう思う」と自我のうるさいレビューを書き続けてきたように思う。当時の疑問や不満を勝手にレビューに交えながら発散していたんだな。いつも背伸びして、自分を大きく見せながらレビューを書いていたのが懐かしい。
私は13年間で1冊選べと言われた時、『井田真木子 著作撰集』以外に思い浮かばなかった。井田真木子に惚れ込んでしまって、何度も巻末インタビューを読み返し、井田真木子本人になりたいと思っていた時期もあったほどだ。
好きな理由を挙げればキリがない。良質な作品を大量に生み出す体力や、文筆業に対するストイックな姿勢。何も考えずに、インプット回路を全開にして取材するスタイルや、被取材者との距離感が非常に密なこと。ルポでは井田真木子の存在感を強烈に感じながらも、まるで透明人間のように色を出さず、被取材者の邪魔をしない。
生きる上で必要なことを、全て井田真木子から学んだと言っても過言ではない。それぐらい影響を受けている。唯一悲しいのは、私は井田真木子とは正反対の性格で、ストイックから程遠いことぐらいか。
峰尾 健一 13年間で最も「本棚の定位置に置き続けたいと思った」一冊
マイ本棚の一角に、特に気に入った本だけを集めたスペースがある。たまに気分で入れ替えたりもするが、本書はこの先も長くそこに置き続けたいと思う。
レコードからサブスクの時代まで、テクノロジーの進化が長きにわたり音楽業界を変えてきた歴史がまとめられた1冊だ。
音楽は、技術革新がもたらす影響を先取りする「炭鉱のカナリア」だと著者は言う。ラジオやテレビ、インターネットなどによる「流通革命」の打撃をいち早く受けるのが音楽産業だった。そこから徐々にスライドするような形で、他のジャンルにも同様の波が押し寄せてくる。
コンテンツ流通の変化やメディアシフトの遍歴をただ並べるだけの本ではない。変革の波にのまれて退場を迫られた人たちや、もがきながらも波を乗りこなした人たちが何を考えどう動いたのか、壮大なストーリーとして絵巻のように一望できる。技術の進展が人々の行動を変え、価値観を変え、産業の基盤までをも変えていくターニングポイントの数々を100年以上にわたって追体験させてくれる大作だ。
常に前例のない脅威にさらされてきた人たちの話は、時代を問わず役にたつ。HONZに参加してまる10年、物事が移ろうスピードは速まるばかりだが、これからはもっとわからない。この先も本書はたびたび棚の定位置から取り出して、読み返していくだろう。
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長年サイトを支えてくれたHONZメンバーのみんなに心より感謝しています。それにしても、13年間あっという間でしたね。そして明日から一体どうやって面白いノンフィクションを探していけばよいものだか…。
尚、こちらのサイトはいずれ無くなる予定ですが、noteのマガジン機能にアーカイブを残そうと思っており、現在順次、記事を移行している最中です。
長文にお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
それでは皆さん、またいつか、どこかでお会いしましょう。バイバーイ!