子どもの頃、家の近くに映画館がたくさんあった。そのひとつ、エロ映画ばかりを上映していた「千林劇場」の看板が駅のガードにあって、いけないと思いながらいつも見ていた。なかでも鮮烈な破壊力のあったのが谷ナオミ主演のSM映画の宣伝であった。縄で縛られた裸体とともに、なんともおそろしい原作者の名前「団鬼六」が私の脳裏に深く刻み込まれた。
結局のところ、解禁の18才になってからも、谷ナオミの主演映画を見ることはなく、団鬼六のSM小説も読まないままであった。しかし、2年ほど前、NHKのEテレ「こだわり人物伝 升田幸三」で、団鬼六なる人を見かけたのである。升田に飛車落ちで負けた将棋の話をする団鬼六。これがあの団鬼六なのかとおどろいた。
升田 「途中まではあんたが絶対優勢じゃった」
団 「どのあたりでしょうか?」
升田 「駒を並べた時です。わしのほうには飛車が無いが、あんたには有る」
団 「…どの手が悪かったのでしょうか?」
升田 「あんたが駒を動かしたのが敗因ということになります」
もっとくだけた話し方であったと記憶しているが、おもしろそうにというでもなく、淡々と、そして懐かしむように、なんともいえずいい表情で語る団鬼六。恐ろしげな名前からは想像もつかない、意外にも上品な老人であった。
その本が読みたくなった。しかし、本屋で団鬼六の本を買うのは恥ずかしい。アマゾンで買おうかと思ったが、一度買ったらつぎつぎとSMの本を薦められてしまいそうである。もしかして気に入ってしまったら、どんどん買ってしまいそうな自分が怖すぎる。それならと、エッセイ集を何冊か読んだ。おもしろかった。残念なことに、その頃、訃報を聞いた。
自伝的エッセイも出ているので、その波瀾万丈であった生き方のおおよそは知ることができた。しかし、あくまでも断片的なものでしかなかった。ましてや『小説家は本当のことなど書かない。本当のことを書いてもつまらないだけ。たとえ自伝を書いたとしても3分の1はウソを混ぜないとおもろくならん。』とうそぶいていた団鬼六である、どこまでが事実なのかもかわからない。
団鬼六の最晩年、あの大崎善生が、思い出の場所を共に旅して飲みながらインタビューを続け、書き上げたのがこの本である。大崎善生の名前は知らなくとも、その処女作、夭折の天才棋士、村山聖の短くも熱く燃えた人生を鮮烈に書き切った『聖の青春』の作者、といえば、あぁあのと思いだされる方も多いだろう。
“私はね、書いた原稿はただの一枚もムダにしたことがありまへん。
すべて金になっています。
最初に書いた小説がいきなり佳作にはいりまして、その次も次点、
それらを集めて短編集を作りまして。 だから無駄は一切なしや”
“習作のようなものは?”
“ありまへん。一枚も”
“下書きとか?”
“はあ。なんでそんなことせなあかんのや”
大崎が驚愕するまでもなく、まぎれもない天才である。半七捕物帳しか読んだことがなかった団鬼六が、ふと書いてみようと思ったら、いきなり小説が書けた。その処女作でデビューした25才の時から、断筆宣言による中断はあったというものの、50年以上にわたって書き続けた。
今では信じられないが、昭和40年代から50年代は、SM雑誌が何冊も発行されてSMブームともいえる時代であった。団鬼六はなかでもとびきりの売れっ子作家であった。というよりも、団鬼六がSM文学というジャンルを確立し、ブームを作ったといった方が正確なようだ。角川に在籍していたころの幻冬舎社長・見城徹が、団鬼六のSM小説を角川文庫に収録するといくらになるかと聞かれて、三億円ぐらいでしょうかとこたえたというのであるから、いかに人気があったかがわかる。
普通に生活していたら、巨額の印税で豪華な生活を楽しみ続けることができたはずだ。しかし、『人生は甘くないではなく、甘いものと考えろ』というむちゃくちゃな人生訓を持った相場中毒の父親の血をひいてか、団鬼六はそんな人生を選ばなかった。『大儲けは大損のはじまり』という言葉通り、『夜逃げ、倒産、妻の不貞、栄華と浪費、また夜逃げ』の人生を送ったのである。
あらすじをいえばそれだけのことである。しかし、その人生は、いろいろな意味で愛に満ちたものであった。SMの性癖はまったくなかったらしいが、「愛人はスペアタイアみたいなもの」と、常に次の愛人まで用意しているような状態。男であっても、好きになれば、役に立たなかろうが、裏切られようが、腹をたてても、どこまでも面倒を見てしまう。妻の不倫を知り、激怒して離縁したが、その元妻が白血病に冒された晩年には経済的に助けてやる。
どんな人をも決してみくびらない。常に観察し深く洞察する。いわゆる悪人も善人もなく、すべては自分の価値観の中で決める。決して自分からは別れない(借金取り以外は)。楽しく付き合い、酒を飲み、ともに遊ぶ。そしてほとんどのことを赦す。
そのような団鬼六のことをよくあらわしているのが、たこ八郎とのつきあいだ。パンチドランカーとなってしまっていた元日本フライ級チャンピオンたこの面倒を長年にわたってみた。用心棒代わりに事務所に住まわせていたとはいうものの失敗も多かったようだ。たこの頭は特殊な構造だったようで、こわれたテレビをなおすように、たたくと記憶が戻ることがあったという。たこの頭を木のお盆で何度もたたいて、忘れ物のことを思い出させた、というエピソードは、かなしくもおかしい。たこの名言「迷惑かけてありがとう」が思い浮かぶ。
このレビューを書くにあたり、一冊は小説を読もうと思った。やはりSMはちょっと、ということで、晩年の名作とされる『真剣師 小池重明』 を読んだ。真剣師というのは、懸け将棋で生活する棋士のことであり、小池重明は破天荒にして破滅型、最後の真剣師であった。『日本一将棋に金を使った将棋ファン』団鬼六は、『人間としては出来損ないであったが、その出来損ないにできているところが人間的魅力であった。』と、なんども騙され厄介をかけられた小池のことも最後までかわいがった。
作家として稼ぎまくって贅沢に生きることだけではよしとしなかった団鬼六。たいがいのことがあっても、誰のことをも赦すことができたというその人間的魅力は計り知れない。もしも神がいるならば、こんな団鬼六をもっと愛してくれてもよかったように思う。しかし、気の毒なことに、晩年は、脳梗塞、腎不全、食道癌、そして肺癌、次々と病魔におかされ続けた。
意外なのであるが、大崎は団鬼六の文学を希望の文学であるという。私が見るところ、その大崎の文学は愛の文学である。大の将棋ファンで一時は将棋雑誌の発行までしていた団鬼六の人生と、将棋連盟の雑誌『将棋世界』の編集者であった大崎善生の人生とは、当然のように交錯していた。そして最後に合流し、希望と愛がまざりあってこの本が生まれたのである。二人が最後に会った日のシーンは、大崎でなくとも胸が熱くなる。
編集者が直しはありますかと訊ねると「ひとつもありません」と鬼六は間髪を入れずに答えた。それから「僕の人生はやっぱり面白いなあ」と言って私の顔を見てニコリと微笑んでくれた。「これは本当は自分が書かなければいけないものだったけれど、もう気力も体力もなくなってましてな」と言ってじっと私の目を見た。「そのときにあなたが来てくれて。ほんま助かりましたわ。ありがとうな」
神は、最後に大崎善生を遣わせ、このすばらしい本を書かせたもうたのだ。決して『赦す人』団鬼六のことを忘れてはいなかったのである。
団鬼六、晩年の自伝的エッセー集。しびれます。
団鬼六といえば、誰がなんと言ってもこのシリーズでしょう。読んでませんけど…
なにしろ泣けます。これまでに、いちばん泣いた一冊かもしれない。