そして2003年から始まる第三部においては、ポール・グレアムによって考案されたベイジアンフィルタに代表されるスパム・フィルタの普及が、CAN‐SPAM法との(歴史的偶然ともいうべき)相乗効果を得ることにより、「合法的な」ビジネスモデルとしてのスパム送信に対して壊滅的な打撃を与えることに成功する。しかし同時にそれは、スパムという行為を、ほぼ全面的に違法な領域に移行させることをも意味していた。
フィッシングやマルウェア配布を目的としたスパムは増大を続け、そしてさまざまなスパムを通じて拡大するボットネットは、それ自体がスパム行為をはじめとしたサイバー犯罪の土台となるのみならず、2007年のエストニアへの大規模なサイバー攻撃に象徴されるように、インターネット上における「軍事」的活動のツールとしての性格すら帯び始める。スパムを技術的に遮断しようとする取り組みと、それを何とかしてくぐり抜けようとする、そもそも最初から法律を守るつもりのない、スパム行為者のあいだでのアーキテクチャをめぐる技術的競争が、第三部の主題となる。
スパムは、インターネットとそれに対する規制枠組みのグローバル化の例証ともなっている。スパムは法的規制の及びにくい小国や離れ小島を経由して送信され、国境を越えて大量に流通するために、送信者に対する法的規制には限界がある。その点でも、法的規制の持つ地理的な限界に依存しないブロッキングやフィルタリングのようなアーキテクチャによる規制は、今後もその重要性を増していくことだろう。しかし、スパムへの技術的対応は、インターネットのアーキテクチャを「不自由」なものへと改変してしまうリスクも内包している。
本書の「結論」部で述べられているように、「スパム行為者による現存のインフラの使い方は、それを根絶しようと思えば、われわれのテクノロジーを妨げるにせよ、 テクノロジーの設計の元になる価値に逆らうにせよ、高い値段を払って変化を加えなければならないようなものなのだ。/われわれがそうした帰結を受け入れて生きる気になっていたら、いかなる種類のスパムも根こそぎにされた、ほとんどまったく存在しないネットワークを実現することもできただろう。 それは……注意深く仕様を定めたシステムのテーマパークになるだろう」。
米国のサイバー法学者ジョナサン・ジットレインが『インターネットが死ぬ日ーーそして、それを避けるには』の中で警鐘を鳴らしているように、スパムやウィルスのようなリスクを技術的に抑制してインターネットの安全・安心を追求することは、それ自体として正当なものではあるが、その副作用として、インターネットの自由な技術発展と創造の連鎖を可能にしてきた「生成力」(generativity)を奪い去る危険性をも有している。
インターネットが自由であり、誰もが情報を発信できる空間でありつづける以上、その不可避のコストとして、スパムは存在しつづける。スパムそのものによる注目の不当な搾取、そしてスパムを通じて直接的・間接的に引き起こされうるサイバー犯罪やサイバー攻撃といった情報社会の深刻な脅威への対応のために、インターネットの自由をどこまで対価として差し出すべきなのかという困難な選択は、今後も形を変えて我々の前に現れつづけることだろう。
本書が冒頭で指摘する通り、スパムはインターネットの発展と変貌の歴史の中で、その質量を見込むことなしには銀河の挙動を理解することのできないダークマターとでもいうべき位置付けを占めてきた。 そしてスパムという概念は、社会的・技術的環境と人々の価値観の変化の中で、常にその意味するところを変えつづける。
2015年の現在、ソーシャルネットワーク上で友人の投稿に混じって表示される広告ポストや、ライフログ・ビッグデータを利用して高度化と増殖を続ける行動ターゲティング広告に対して、「まるでスパムのようだ」という感覚を抱くようになってきてはいないだろうか。そのような新たな情報配信手段の拡大は、インターネットの成長にとっておそらくは不可欠であり、そして多くはサービスの対価として注目を支払うことを利用者が同意している(あるいはさせられている)という意味では正当なものでもある。
しかし現在、そのような絶え間ない注目の支払いから個々人の意思で逃れることがきわめて困難になりつつある中、「人間の注目を搾取する」ものとして認識され、変化しつづけるスパムの概念に飲み込まれることを避けられなければ、人々はそのプラットフォームから徐々に離反し、インターネットを形作る支配的なアーキテクチャは、またその姿を変えていくことになるだろう。
再び本書の「結論」を引くとすれば、「画面で消費されるわれわれの注目と有限の生活の範囲を尊重するメディアプラットフォームを構築できるか」ということが、今あらためて問われている。変化しつづけるスパムをいかに理解し、定義し、そして対処していくのかという問いは、インターネットの自由と規制、さらにはアーキテクチャとプラットフォームのあり方を考える上での試金石となっているのである。
東京大学附属図書館新図書館計画推進室・大学院情報学環特任講師。東京藝術大学総合芸術アーカイブセンター特別研究員、科学技術振興機構さきがけ研究員等を兼任。日米欧の情報政策、文化芸術政策。著書に『情報社会と共同規制』など。
成原 慧
総務省情報通信政策研究所主任研究官。東京大学大学院客員研究員。専門は情報法。インターネット上のアーキテクチャによる規制と表現の自由について研究。