『外道クライマー』スーパーアルパインクライマー宮城解説 by 角幡 唯介

2016年4月2日 印刷向け表示
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那智の滝 登攀に感じた敗北感

そんな叛逆児としての彼の一面が顕著に現れた一件が、本書の冒頭に記された那智の滝登攀だった。

彼らが逮捕されたとき、私はたまたま結婚前の妻を連れて穂高岳に山登りにいっていた。夏山の登山客でこみあう穂高岳山荘に立ち寄り、知り合いの山小屋関係者にあいさつしたとき、その人から「佐藤裕介が那智の滝に登って捕まったぞ」と知らされた。携帯電話のヤフーニュースの記事には、3人のなかで対外的実績がずば抜けている佐藤裕介だけが実名で報じられており、他の2人の名前は書かれていなかった。しかし、もともと宮城君から〈ゴルジュ感謝祭〉に誘われていたけど断った経緯のあった私は、この冒険の扇動者が佐藤裕介ではなく宮城公博であることを瞬間的に直感した。

たしかに佐藤裕介も大西良治も登山界の常識を打ち破り、その領域を押しひろげてきた希代の登攀者であることに間違いはない。しかし那智の滝登攀はそれとは少し性格がちがう。このような挑発的な態度を登山というせまい世界にだけでなく、広く世間一般にたいしてさし向けるような登攀を考えつく不届き者はセクシー登山部の舐め太郎以外に考えられなかった。

このニュースを聞いたとき、私は得もいわれぬ妙な嫉妬心を感じた。なぜか、やられた、その手があったか……という敗北感を覚えたのだ。

もとより私は、もう20年ほど登山を続けているものの、登山によって何かを表現しようと思っていないので登山家ではない。だから那智の滝の登攀を考えついたこともなかったし、そもそも私に那智の滝を登れるだけのクライミング能力はない。だから純粋に登攀的観点から私は彼の行為に嫉妬心をいだいたわけではなかった。そうではなく冒険的行為と社会との関係のあり方に一石を投じるようなことをやってのけたことに、同じ表現者として彼に嫉妬を感じたのだと思う。

あれの何がすごかったのか。それは彼らが那智の滝を登ることで、登山行為が本来抱えている原罪を露骨にあぶりだしたことにある。

登山の反社会性とは?

どんなに行儀の良さを装ったところで、登山をはじめとする冒険行為一般は、反社会的であることから免れることはできない。山が趣味なら誰でも経験があるだろうが、登山を真面目にやると土日は必ず山に行かなければならないわけだから、結婚や家庭生活をまともに維持するのは難しいし、また海外遠征をするとなると、まっとうな会社勤めも困難になる。こうした社会生活との表面的な摩擦は枚挙にいとまがないし、また、遭難したら救助費用などで世間に迷惑をかけるという論理にも一応の説得力がある。

第一に山を登るということは、山に登らない場合よりも死の可能性が高まるのだから、その時点で社会と反目しあう性質をかかえている。安全登山などという交通標語みたいなお題目は、世間の常識と調和していることを装ったゴマカシ、欺瞞にすぎず、登山や冒険とは本来、危険で自立的な行為をさすのだ。

そもそも、それ以前の問題として登山や冒険とは本質的に社会の外側に出て行こうとする行為なのだから、その姿勢の時点で社会に背を向けていることになる。たとえば北極圏で冒険旅行をするときは大体イヌイットから「やめろ、死ぬぞ」と諫められるが、それは私の旅がイヌイット社会が共有している常識の外側に向かう行為だからだ(逆にいえば、もしイヌイットから反対されないようなら、それは冒険ではない、という理解も可能だ)。

作家の平野啓一郎がどこかで、赤信号で横断歩道を渡る者は、信号が変わるのを待っているほかの者を否定している、という趣旨の文章を書いていたが、それと同じことが冒険にもあてはまる。冒険により社会の枠組みの外側に向かう決断をした者は、決断をせずに内側にとどまった者を切り捨てている。登山や冒険には必ず非登山者、非冒険者からの「なぜそれをやるのか」という質問が付きまとうが、その事実こそ登山の反社会性をある意味で物語っているだろう。社会の内側の人たちから説明責任を求められるような行為を反社会的であると言わずして何と言おう。

もちろん現代ではほぼ全員の登山者や冒険者が、こうした冒険の本質には目をつぶるか、気がつかないふりをするか、あるいは行為の意義を必死に抗弁して、社会に対して調和を保とうとする。ルールを順守し、許可を取得し、挑戦することは素晴らしいことなのですと本心ではどうでもいいと思っている意義を語り、本来なら社会の外に向かうはずの冒険行為を社会の内に留まるスポーツ的行為に変質させて、社会適合者であることを装っているのだ。

しかし本心をあかすと、われわれ登山者、冒険者には、そうしたルールや規則を煩わしいと感じているところがあるし、できれば誰にも管理されていない地球の最果てで自由に、純粋に山や自然と対峙したいと望んでいる。そしてその登山者、冒険家が内側に抱える根源的な自由への欲求と、自由であればあるほど満足感が高くなるという登山の本質は、管理された社会のモラルとはどうしても齟齬をきたす。

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