『外道クライマー』スーパーアルパインクライマー宮城解説 by 角幡 唯介

2016年4月2日 印刷向け表示
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あふれ出る冒険的表現者としての性格

那智の滝登攀の特徴は、こうした冒険者、登攀者の根源的欲求をむき出しにし、われわれが普段つけている社会適合者の仮面などまやかしだと暴露したうえで、俺たちの行為って突きつめた場合、最終的に社会のルールとそぐわないんです、という本音を露骨に提示して登ってしまったところにある。もちろん法的には犯罪者だ。しかし、登山的な倫理から言うと、どうなのだろう。登りたいから登る。誰も登ってないから登る。そこに自由がある。この道徳律は登山的観点からすると完璧で、一分のスキもない。

おそらく彼らの行為を知ったとき、内心共感した登攀者は多かったはずだ─それを言うと社会から指弾されてブログが炎上するので皆口をつぐんだが。たぶん宮城君は、こうした反社会性を内在させたむき出しの登山的道徳律を社会にたいしてぶつけてみたかったのではないか。その意味でこの登攀は、社会的に断罪され、クライミングとしても失敗したが、表現としては成功した。なぜなら彼らの登攀が、こうした反社会性を志向する登山とはいったい何なのかという自省をわれわれ登山者自身に促したからだ。

そう、われわれはこの一件で、自分たちが志向している登山という行為が犯罪とされた彼らの登攀とじつは何も変わらない地平にあることに気づかされたのである。少なくとも私はそう捉えた。

本書はタイのジャングルにおける長期間の探検的沢登りの話を中心に、台湾のチャーカンシーや称名廊下の遡行、それに冬期称名滝、冬期ハンノキ滝登攀という、ここ数年、宮城君らが成し遂げ、登山界に瞠目をもって迎えられたビッグクライムの様子が描かれているが、この一連の行動の文章のなかにも、彼の冒険的表現者としての性格は何ら変わることなくあふれ出ている。

彼にとっての「山」は森の風が爽やかに吹き抜け、陽光が燦々と降りそそぐ明るい岩壁にはない。ドロドロでぐちゃぐちゃのなかで瀑風に脅え雪崩に流されながら、文字通り汗みどろ血みどろ泥みどろウンコみどろになって、その果てに摑んだ生の一滴のなかにある。宮城君が用いた品性や良識を一切無視したPTAによって回収を命じられそうな文体は、彼のそうした行動と思想を見事に表しており、そのいわば〈行文一致型〉の文章により、読者は彼がなぜそうした山登りを志向するのか、その行為の始源にまでもっていかれる。

宮城君を、いったい何と呼んだらいいのだろう

アルパインクライマーとしてもトップレベルにあるにもかかわらず、沢登りに固執しているところがまた、いかにも反骨者である宮城君らしい。日本の登山界には昔から〈一番偉いのが冬期登攀で、二番目が普通の岩登りで、三番目が沢登りで、誰でもできるのがハイキング〉みたいなヒエラルキーが厳然として存在してきたが、宮城君はあえて下から二番目である〈沢ヤ〉を前面に押し出すことで、このくだらないヒエラルキーをぶち壊しにかかっている。

実際、この本のなかで描かれている遡行、登攀は、いずれも10年ほど前までは想像すらできなかったものばかりだ。宮城君一派は、ヒマラヤや海外のビッグウォールでも十分通用する(というか佐藤裕介はその分野の世界のトップクライマーなのだが)登攀技術と経験と創造性でもって、従来は登攀の対象とされなかった谷底の暗黒空間で極限的なクライミングを実践している。

それはヒマラヤの技術的に難しくない未踏峰を登るような、残された人跡未踏地をあさる、いわゆる〈落ち穂拾い〉的な登山とはまったく性格を異にする行為だ。台湾や称名などは彼らの登攀能力があったからこそ見えてきたラインであり、先人たちの挑戦のすえに登山界の総体的な能力が向上した結果、人類が足跡をのこせる空間領域がじわじわと広がり、現時点で到達が可能となったその最先端部、と理解したほうが適切だろう。

もちろん王道ではない。宮城君の行為はどこか進化の系統樹で本筋からはずれて枝が途切れて絶滅していく生物種の危うさを思わせる。かなりギリギリのところを行っているのはまちがいない。が、だからこそ、地球の表面に刻まれた無数の襞(ひだ)のもっとも奥深くの、ジメジメとした薄暗い皺(しわ)の深淵でひそやかに展開されているこの行為こそ、近代アルピニズムが現時点で到達した達成のひとつともいえる。

もはやこれは沢登りとか、アルパインクライミングとか冬期登攀などといった、従来の固定化されたカテゴリーで呼び表せる登り方ではない。

いったい何と呼んだらいいのだろう。

やっぱりスーパーアルパインクライミングだろうか……。

外道クライマー

作者:宮城 公博
出版社:集英社インターナショナル
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