ニワトリ無くして、人類無し!
もし世界からニワトリが消えたなら?
きっと各地でパニックが起きるに違いない。鶏肉は牛肉・豚肉などと比べて国際的な生産・消費量が急増しており、とりわけ新興国・途上国での需要がぐんと伸びている。安価で栄養価の高い肉や卵は、多くの庶民の健康を陰で支えてきた。
その膨大な加工食品も含めて、人類にとってますます不可欠な食材となり、成長する巨大都市のエネルギー源にもなっている。
もし私たちが他の惑星へ移住する時がきたならば、最も重要なタンパク源としてニワトリをまず同行させるだろう。実際、NASAはニワトリが惑星間旅行に耐えられるかどうかの実験をしており、可能と結論づけている。
食材だけではない。インフルエンザの世界的流行を食い止めるのにも、ニワトリは重要な役割を担っている。インフルエンザワクチンを作る入れ物として、卵が使われているのだ。
「宇宙船よりも複雑な構造」を持つ卵は、ミニチュア製薬工場としても医療の未来に貢献しつつある。
古代ギリシャで雄鶏が癒しと医術の神に供えられたように、ニワトリは古来から「二本足の薬箱」として重宝されてきた。完全栄養食品と言われる卵はもちろん、あらゆる部位がさまざまな疾患に処方されてきたのだ。
「神の使い」から遊興まで
人類のいる至るところにニワトリはいて、今日、その数は200億羽!にまで達している。ニワトリの原種は、東南アジアの森に棲むセキショクヤケイ(赤色野鶏)とされるが、この鳥は肉付きが悪いうえにとても用心深く、「飼い慣らせないヒョウ」のようだ。
そんな野生の鳥が、いったいどのように人類とともに地球のあちらこちらを渡っていくほど、深い仲になったのか? 詳しい経緯は本書に譲るとして、そもそも人類とニワトリのつきあいは食料として始まったものではなかった。
人類とニワトリの当初の関わりを考えるとっかかりは、日本神話にも見られる。天照大神が天の岩屋戸に隠れてしまった時、呼び戻すために連れて来られた動物は、神の使いであるニワトリだった。伊勢神宮などの神社でニワトリが大切に扱われているのも、そのためだ。
世界各地でニワトリは太陽や精霊への信仰などとともに、魔術的シンボルとして畏敬されてきた。帝国を築いた古代ローマでも、鳥卜官と呼ばれる神官が、ニワトリのお告げによって国家の大事を取り決めていたほどだ。
ニワトリの家畜化も農業以前、つまり食料としてではなく、信仰・儀式(生贄を含む)や、実用(骨は縫い物や刺青に、羽は飾りに、肉・卵は薬に、暁の鳴き声は時計に)、そして娯楽(闘鶏)のためだった。とりわけ闘鶏は儀式・占いを起源とし、遊興として広まっていくが、アジアから世界各地へのニワトリ渡来の主要因ともされる。
万能生物
こうして人類の同伴者となったニワトリは、私たちの祖先たちが大陸を越えて移動していくルートを知る鍵ともなる。
たとえば、コロンブス以前に旧世界と新世界の交流はあったのか? あるいは広大な太平洋を人類はいつ頃、どのような経路で移住していったのか?
各地に遺されたニワトリなど動物の骨のDNA配列を調べることによって、さまざまな移住経路をシミュレートできるのだ。その結果、太平洋の移住には2つのルートと興味深い段階のあることが発見されている。
ニワトリが人類とともに世界中に広がることができたのは、驚くべき可塑性があるからだ。ニワトリは「羽の生えたスイス・アーミー・ナイフ」のような万能生物だという。
つまり、さまざまな品種を作り出すことができ、雑多な餌を食べ、各地の気候に適応し、狭い土地でも飼うことができる。この抜群の変幻自在な能力が、人類の飽くなき欲求に応えつづけ、ついには工業製品のように統御された品種を生み出すにいたる。
ニワトリの産業化への発火点は、太平洋の測量の任に就いていたある悪名高い艦長による、ヴィクトリア女王への贈り物だった。この贈り物――アジア産のニワトリ――をきっかけに、女王夫妻はニワトリ飼育に熱意を注ぐようになり、やがて市井の人々にも熱狂的ブームとして波及していく。品評会が催され、人々は立派なニワトリを育てようと競い合った。
ブームはアメリカにも飛び火する。全国的な家禽展示会が開かれ、新種のニワトリも次々と生まれていく。こうしたブームが下地となり、やがて二度の大戦を経たあとに、食用として世界を席巻する品種がアメリカで作られるのだ。
それはまさに人間による「創作」だった。目指すべき豊かな肉付きの蝋の模型まで用意され、理想的なブロイラーへ向けて改良が繰り返された。今日でも、クルマのモデルのように新しい品種が次々と創作されている。その名も、ロス308、コッブ700などまるでクルマみたいだ。こうしたニワトリの遺伝的形質はごくわずかな育種企業が握っており、農家は企業から次の世代を買わなければならない。
絶滅よりも悪い運命
ニワトリは平等社会を進めるのにも貢献している。たとえば、村落共同体において、ウシなどの大型動物は男たちが管理しており、富と名声の源でもあった。
一方、ニワトリの飼育は女たちの仕事だった。しかしニワトリが入手しやすくなったために、こうしたウシ=エリート階級の男というヒエラルキーが崩れ、より平等な社会を築く助けになった地域がある。
アメリカにおいても、当初は女性や黒人たちがニワトリを飼育し、売買することで家計の足しにしたり、起業した女性もいた。ちなみに、あの有名なフライドチキンのレシピも、家計をやりくりしていた南部のある主婦の料理本から広まったのだ。
ヴィクトリア朝時代のニワトリ熱は、科学の進展にもかかわっている。当時、進化論の構想を練っていたダーウィンは、ハトやニワトリに関心を集中させていく。ちょうど世界各地からニワトリの新種がイギリスにどっと入りこみ、手軽に収集できるようになっていた。ダーウィンの研究は、こうした時代動向にも後押しされて進められていたのだ。
進化と言えば、ニワトリを含む鳥類は、恐竜の末裔であることがわかっている(T・レックスのアミノ酸配列のうちおよそ半ダースが、ニワトリのものと完全に一致する)。
また、ニワトリの認知能力の研究も進められており、かなりの「知性」を持っているらしい。
長いあいだ、あがめられ、畏敬されてきたこの鳥の力が、改めて再発見されているようだ。
しかし、本書でも描かれるように、今日の産業化したニワトリの状況は、「絶滅よりも悪い運命」に置かれている。
その強烈な栄光と悲惨――それは、この類い希な生き物に自身の欲望を反映させてきた私たち人類が負っているものでもある。
本書はニワトリを鏡とした文化・文明論だが、ニワトリの足跡を求めて世界を飛び回るルポルタージュでもある。
野生種が棲むベトナムの森、ドイツの製薬工場、ハワイの洞窟、マニラの闘鶏場、ベネズエラのスラム街、ダーウィンのニワトリ標本が保存された博物館、バリ島の生贄、ブルックリンの「贖罪の日」儀式への潜入、「家禽の女王」を育てるフランスの田舎、イタリアの修道院の地下にある研究室、イラク北部のヤジディ教徒の聖地・・・・・
本書にみなぎる熱量は、まるでみずからは物語ることのできない愛すべき者らの声を懸命に聞き取ろうとしているかのようだ。