スコットランドのグラスゴーの話。その市のなかの、たった数キロしか離れていないふたつの地区は、驚くべき対照を見せている。一方のレンジーは高級住宅街であるのに対して、他方のカルトンは指折りの貧困地区。ただし、両地区の違いはそれだけではない。1998年から2002年の数字で、レンジーの男性の平均寿命は82歳であったのに対して、カルトンのそれは54歳であった。その差はなんと28年である。
アメリカの話。ワシントンD.C.で地下鉄に乗って、中心街の南東部からメリーランド州のモンゴメリーへ向かうと、1マイル移動するごとに平均寿命が1年半ずつ延びるという。出発地点と到着地点では最終的に20年もの開きがあるという計算だ。
世界の話。子どもが日本や北欧の国で生まれれば、だいたい80歳まで生きられるだろうと期待できる。しかし、サハラ以南のアフリカの国で生まれれば、60歳まで生きることすら難しいかもしれない。
そのように世界の現状を見渡すと、国どうしの間でも、あるいはひとつの地域のなかでも、健康における格差がたしかに存在する。本書は、そうした健康格差の原因に目を向け、それを縮小させるための提言をなすものである。
著者のマイケル・マーモットについて触れておこう。マーモットは、公衆衛生を専門とするイギリスの医師で、2010年から2011年にイギリス医師会会長を、2015年から2016年に世界医師会会長を務めている。また、2005年から2008年にはWHOの「健康の社会的決定要因委員会」の委員長を務め、健康格差とその決定要因に関する影響力のある報告を行っている。もうおわかりのように、彼は本テーマに関する世界屈指のオピニオン・リーダーなのである。
それでは、先に述べたような健康格差はどうして生じてしまうのか。その原因はいろいろ考えられるが、わかりやすい原因のひとつは貧困(ないしは所得格差)だろう。十分な収入があれば、健康的な食生活を送ることができるし、必要な医療へアクセスすることもできる。しかしお金がなければ、それらを得ることは叶わない。現に、すでに見たように、一般に平均寿命が高いのは高所得地域や富裕国で、平均寿命が低いのは低所得地域や貧困国だ。
だが重要なのはそれだけではない、と著者は指摘する。マーモットによれば、健康格差の根底にあるのは「社会の不公平」である。
社会の不公平が健康の不公平をもたらす。
権力、資金、資源の不公平が、日常生活の状況に不公平を生じさせ、その結果、健康の不公平につながる。
具体的には、社会の不公平は、乳幼児の発育環境(第4章)、教育(第5章)、労働・雇用条件(第6章)、老年期の生活環境(第7章)、コミュニティ(第8章)などの違いとなって現れる。そしてそれらの違いが、それぞれの経路を介しながら、最終的に健康の不公平を生じさせる、というのである。
そうした社会的決定要因のなかでも、著者がことさら強調するのが教育(とくに女性の教育)だ。なぜなら教育は、「十分な情報に基づいて生き抜く力」や、「もっと栄養のある食事、お金になる仕事」、そして、「出産も自分でコントロールできて、産むことにした子どもが死なずに、健康に育つ可能性の高い生活」などを人に与えるからである。以下ではその例として、母親の教育水準と乳児死亡率の関係を見てみよう。
こちら(WHOのサイト内)にある、低・中所得の国々のデータを参照してほしい。そこでは出生1000人あたりの乳児死亡率が国別に示されているとともに、母親が学校教育を受けていないケース(No education)と中等教育ないし高等教育を受けているケース(Secondary or higher)とが別々に示されている。
さて、このデータからわかることは何だろうか。ひとつは、国々の間で乳児死亡率が劇的に異なっているということだ。コロンビアでは乳児死亡率が1000人あたり20人程度であるのに対して、モザンビークでは120人以上に及んでいる。
そしてもうひとつは、それぞれの国のなかで、乳児死亡率が母親の教育水準にしたがって顕著に異なるということである。たとえばモザンビークでは、母親が学校教育を受けていない場合、その乳児の死亡率は1000人あたり140人に達する。他方、母親が中等教育ないし高等教育を受けている場合、その数字は60人程度に抑えられている。そうした傾向はじつは富裕国においても認められるし(比率でいえば7.5人対2.5人)、さらには、「(教育を受けていない母親の赤ん坊の生存率)<(初等教育を受けた母親の赤ん坊の生存率)<(中等教育を受けた母親の赤ん坊の生存率)」という勾配が一般に認められるという。「教育と健康の明らかな関連」を著者が見出すのは、まさにこれらの事実にもとづいてのことである。
そのようにしてマーモットは、先の社会的決定要因が健康と結びついていることを順々に明らかにしていく。そしてそのうえで、健康格差を低減するための諸方策を打ち出していくのだ。
というのが、本書のごく大まかなアウトラインである。ところで、本書を読んでいて何より驚かされるのは、その議論の幅広さだ。トピックは格差の実在性からアマルティア・センの「ケイパビリティ」にまで及び、ロンドンにおける「健康の社会的勾配」を論じていたかと思えば、「人間くみ取り機」として素手で排泄物を回収していたインドの少女に言及し、さらには、貧しいながらも高い健康水準を達成しているキューバの秘訣に迫っていく。そのように圧倒的なまでのトピック、データ、事例を示すことができるのは、長らく第一人者としてこの問題に取り組み、しかるべきポジションを歴任してきたこの人ならでは、というところだろうか。いずれにしても、このテーマに関してこれだけ包括的な議論を展開している本書は、後に続く議論がまず参照すべき貴重な土台を提供しているといえるだろう。
最後に、印象的な標語をひとつ紹介しておきたい。それは、「マーモット・レビュー」というレポートのタイトルとなっている言葉で、マーモットが言わんとしていることを端的に表すものである。”Fair society, healthy lives.” まさに人々の健康な生活は公平な社会にあり、というわけだ。この言葉を胸に留めながら、じっくり本書と格闘していただけたらと思う。
マーモットの前著。わたしは未読だが、今回の本と内容的に重なる部分が多いようだ。
わずかしか離れていない地域が格差で真っ二つに分断されているという衝撃。それを伝えているという点で、アメリカにおける機会格差の拡大を論じたこの本にも注目したい。レビューはこちら。
お金や時間に欠乏感を抱いている人がまずい意思決定に至ってしまうようすを明らかにした本。マーモットが自説を補強するのにこの本に言及しているのがおもしろい。