『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』不完全だからこそやってみる

首藤 淳哉2018年05月21日 印刷向け表示
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道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔
作者:佐々木 亨
出版社:扶桑社
発売日:2018-03-16
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気になって仕方がないことがある。スポーツ選手のインタビューで連発される「ネ」だ。え? 意味わからない? では以下に例文を。プロ野球でお立ち台に上がった選手にアナウンサーがインタビューする場面である。

アナ:「サヨナラホームランを打った○○選手です!おめでとうございます!」
選手:「ありがとうございます!」
アナ:「勝負どころで打てた、その理由について教えてください!」
選手:「そうですネ、やっぱりネ、ファンのみなさんの声援がネ、背中を押してくれたっていうかネ、僕の力じゃなくてネ、ファンのおかげで打てたホームランだと思いますネ」

こんなふうに語尾にいちいち間投助詞の「ネ」をつける選手がとても多い。元メジャーリーガーから人気球団の監督、サッカー日本代表の中心選手にいたるまで、「ネ」の使い手には、そうそうたる一流選手の名前も並ぶ。

この「ネ」の連呼を耳にするたびに違和感を覚えてしまう。馴れ馴れしいというか、内輪でしゃべっているようで、言葉が外に向けて開かれていないと感じてしまうのだ。だから「ネ」を使わないスマートなしゃべり方をする選手を目にすると嬉しくなる。そういう選手は、例外なく「自分の言葉」を持っているからだ。

いまもっともインタビューが楽しみな選手がエンゼルスの大谷翔平選手である。

スプリングキャンプでの不調が嘘のように開幕から投打で大活躍し、4月の月間最優秀新人にも選ばれた。伝説でしか知らなかったベーブ・ルースのプレーを目の当たりにしているかのよう奇跡にアメリカの野球ファンが熱狂しているのはご存知の通りだ。

たしかに大谷のプレーは素晴らしい。誰よりも速い球を投げ、誰よりも遠くにボールを飛ばしたいという野球少年の理想を、そのまま体現したかのような選手である。もちろんその素晴らしいプレーの数々は、あの恵まれた体躯から生み出されたものに違いない。だが果たしてそれだけだろうか。

たとえばキャンプであれだけ結果が出ずに、アメリカのメディアでも「ツー・ウエイ」(二刀流)に懐疑的な論調が目立っていたにもかかわらず、大谷自身は涼しい顔をしていた。あのメンタルの強さはどこから来るのか。

大谷のインタビューに耳を傾けていると、言葉の端々から知性が感じられる。年上の記者たちを前に態度も落ち着き払って堂々たるものだ。日米のメディアから浴びせられる質問に対して、借り物ではない自分の言葉を返す姿は、とても23歳とは思えない。

大谷のプレーの根幹には、類稀な知性があるのではないかというのが、個人的な仮説だ。だとするならば、あの知性はいったいどうやって育まれたのだろうか。

「大谷翔平」はどのようにして生まれたか。その秘密の一端を解き明かしてくれるのが、『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』だ。著者は大谷が15歳の時からコツコツと取材を続けてきたジャーナリスト。家族にも信頼されているようで、大谷家のリビングに招き入れられてご両親にじっくり話を伺っている。まさに知りたかったことが書かれた一冊だ。

父親の徹さんは岩手県北上市出身。社会人野球の三菱重工横浜(現・三菱日立パワーシステムズ)で25歳まで現役でプレーしていた経験を持つ。同じ職場の実業団チームでバドミントン選手として活躍していた加代子さんと結婚し、29歳で地元の岩手に戻ることを決意。翔平は、一家が岩手に引っ越して約1年後の1994年7月5日に生まれた。兄と姉がいる3人兄弟の末っ子だ。

インタビューを読んでわかったのは、大谷家の子育ては、子どもを見守ることに徹してきたことに尽きるということだ。自由放任というのではなく、そっと寄り添うというスタンスなのだが、これは簡単なようでいてなかなか出来ることではない。

徹さんは大谷の小学生時代は少年野球チームの監督を務め、中学生の時に所属していたシニアリーグのチームではコーチだった。野球界では親が指導者というケースは珍しくない。かつて昭和のスポーツジャーナリズムの世界には「父子鷹」(おやこだか)という言葉があった。勝麟太郎(海舟)とその父小吉の二人三脚を描いた子母澤寛の小説に由来する言葉だが、獅子の子落とし伝説のように、父は心を鬼にして我が子を厳しく鍛えるというのがお馴染みの物語だった。

ところが大谷家は違う。たとえば家に帰ってからは一対一の練習は行わず、子どもが自主的に練習するのを見守るスタイルをとっていたという。まだ体が成長段階にある子どもに無理をさせると怪我をするという考えを徹さんが持っていたからだ。

その代わり父と子は「野球ノート」と題する交換日記のやり取りを続けた。大谷が試合での反省や今後の課題を書き、徹さんがアドバイスを記す。そこで徹さんが意識していたのは、失敗はあって当然、大切なのは次に何をすれば課題を克服できるかを考えさせることだったという。周囲の雑音に惑わされることなく、自分の現在地を正確に把握する大谷の能力は、この頃に培われたようだ。

本書には大谷自身の言葉もふんだんに収められている。面白いのは、大谷がメジャーに行った理由である。清水の舞台から飛び降りるような決死の覚悟かと思ったらそうではなかった。大谷は、自分が不完全だからこそ、メジャーに行くのだという。

大谷にはそもそも「メジャーに挑戦するのは日本でトップに登りつめた人間」という考えがない。今行くことで、今以上のことが身につけられると思うのであれば、迷わず新しい環境に飛び込めばいいと考えるのだ。

大谷の言葉を読みながら気がついたのは、「アウトプット」について述べている場面がとても多いということだ。学んだことを試し、失敗したらまた別のことを試してみる。そのプロセス自体が楽しくて仕方ないらしい。しかも誰もやったことがない二刀流の試行錯誤だ。「二刀流への挑戦は間違っている」と意見するプロ野球関係者は多い(なぜかかつて名選手だったOBほど多い)。だが大谷に言わせれば「やったことが正解」だという。やってみたからこそ、わかったことがたくさんあるからだ。

学び続けること、変化を繰り返すことにこそ喜びを見出す大谷の姿勢は、人生100年時代を迎える私たちにとって大いに参考になるのではないだろうか。特に長年サラリーマンをやってきた(ぼくのような)劣化したおっさんたちこそ大谷の言葉に学ぶべきだ。全員正座して大谷に弟子入りをお願いしよう。

ところで、日本ハム時代に投手コーチだった厚澤和幸氏は本書で、ダルビッシュ有と大谷翔平の凄さをスーパーカーになぞらえている。ただ、同じ200キロで走るスーパーカーでも、ダルビッシュが路地裏の細い道でも走れる繊細な技術を持つのに対し、大谷はまだ広い高速道路を走ることしかできないという。そんな大谷を評して厚澤氏は、まだ能力の「50%しか出し切っていない」と恐ろしいことを言っている。

この先がさらにあるのだとすれば、いったいどれほど凄いプレーを見せてくれるのだろう。ぼくたちがいま目にしている光景は、まだ奇跡ですらないというのか。大谷翔平の可能性は尽きることがない。だがもしかしたらその可能性は、私たちの眼の前にも、ひらかれているのかもしれない。

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