『売上を、減らそう。』 給与が同じなのに5時間も早く帰れる経営

吉村 博光2019年08月09日 印刷向け表示
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売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放(ライツ社)
作者:中村朱美(佰食屋)
出版社:ライツ社
発売日:2019-06-14
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パソコンから顔をあげて、遠くをみつめてみる。そこにある景色は、2年後にはもうない。新しい社屋に移転するからだ。その頃は、働き方や価値観も変わっているのだろうか。でも…。その時、私の脳裏をシモーヌ・ヴェイユの言葉がよぎった。

「未来は、現在と同じ材料でできている」。だとしたら私は、「移転」というイベントを頼りにするのではなく、今この瞬間の小さな変化こそ大切にすべきなのかもしれない。未来は突然あらわれるのではなく、現在の延長線上にあるのだから。

さて、本書『売上を減らそう。』は、1日100食限定の飲食店を営んでいる経営者が思いの丈を綴った本だ。その日の分を売ったら閉店する、というモデル。そこから私は、大学で教科書として読んだ或る本のことを思い出した。

その本とは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である。私にとって、教科書はいつも冒頭部分の記憶が強い。飽き性なのである。この本には“当時のドイツ人はその日必要な分を稼いだら働くのをやめてしまう”という主旨のことが書かれていた。

その記憶と『売上を減らそう。』がつながったのだ。もともとドイツ人には「見えない未来」のために働く倫理観が薄かったようだ。今でこそ、日本人は富の蓄積のために長時間働いているが、果たして日本古来の未来観とはどのようなものだったのだろうか。

当時、私はその答えを探した。飽き性の私にとって、富の蓄積のために働くという発想が面倒くさかったのである。できれば、馬のように草を食んで生きていたい。でも、どの時期をもって「日本古来」とすればよいのかさえ、私にはわからなかった。

それは、自分探しの旅に出た若者が、決して答えにたどり着くことがないのと近いのかもしれない。その答えは、風に吹かれている。いや、すべては変わり続けているということなのだろうか。自分の若いころを振り返りながら、私は本書を楽しく読んだ。

読んでいる間中、私は「なんだか著者は自分とどこか似ているナ」とボンヤリ感じていた。もしかしたら、その共通点がわかれば日本古来の未来観がみえるかもしれない。いや、二人だけだろ。とボケ突っ込みしていると、ようやく「おわりに」でこんな言葉に出会った。

子どもも生後6か月から保育園に預けていますし、早くもiPadを操作できるようになって、YouTubeを観て笑っています。
「子どもたちがかわいそう?」
それは、誰と比べているのでしょうか。わたしたちは、わたしたち自身がいつでも楽しくいられるような生き方、働き方を自分たちで選んで、それを実行しているだけです。  ~本書「おわりに」より

実は、私も同じような子育てをしている。「こうすべき」という社会通念があっても、自分たちがこうしたほうが良いと思う直感があればそっちに従う。答えを固定させない。そういうところが似ているのだと思った。だが、その思い切りの度合いは、段違い平行棒だ。

平凡なサラリーマンを続けている私に対して、著者は常識破りの方法で佰食屋をきりもりしている。売上を増やすためにブラック化している飲食業界にあって、究極のホワイト経営を続けているのだ。常識にとらわれない精神が生んだ経営は、どんな形なのだろうか。

・ランチのみの国産牛ステーキ丼専門店
・どれだけ売れても、1日100食限定
・インセンティブは、早く売り切れば早く帰れる
・営業わずか3時間半、11時から14時半
・飲食店でも、残業ゼロ
・なのに従業員の給料は、百貨店並み   ~本書より

売上に上限を設けることで、従業員の幸せを守る形だ。物足りなさを感じる人もいるだろう。だから、優等生タイプは採用しないそうだ。その結果、様々な個性をもった多様性あふれる集団が生まれた。本書には、この経営方法のメリットが5つ紹介されている。

メリット1.「早く帰れる」退勤時間は夕方17時台
メリット2.「フードロスほぼゼロ化」で経費削減
メリット3.「経営が究極に簡単になる」カギは圧倒的な商品力
メリット4.「どんな人も即戦力になる」やる気に溢れている人なんていらない
メリット5.「売上至上主義からの解放」よりやさしい働き方へ  ~本書第2章より

このレビューの冒頭でヴェイユの言葉を紹介したのは、佰食屋を未来への一歩のように感じたからだ。著者は、2019年ウーマンオブザイヤーに選ばれるほど、際立った活躍をしている。笑顔も素敵で、まるで飲食店業界の渋野日向子だ。

でも先日、直木賞の候補者が全員女性だった際に、ある女性作家が「これがニュースにならない世の中になってほしい」といったように、私は、佰食屋方式が飲食店経営の選択肢の一つとして「ふつう」になる日が来てほしいと思った。

「ふつう」といえば、皆様は『ザ・ファブル』という漫画をご存じだろうか。天才殺し屋“ファブル”が殺しを禁じられ、一般人として生活を送るというストーリーだ。ボスからは「ふつう」に生きることを命じられる。ちなみに「ファブル」という名は「寓話」という意味だ。

しかし彼には、「ふつう」がどんなものかわからない。枝豆やスイカを皮ごと頬張り、野生の虫やヘビを平気で食べる男。「ふつう」の象徴であるサンマを焼いて食べるのだが、研ぎ澄まされた舌を持つ彼には熱すぎて、いつも、のけ反ってしまう。

私はふと、自らのことを資本主義という「寓話」を叩き込まれたファブルだ、と想像してみた。ただし、能力は人並みなのだが(笑)。私がもし、佰食屋の従業員として「ふつう」に生きることを命じられたら、空回りをしてしまうタイプなのかもしれない。

佰食屋は、京都の一隅で起きた小さな変化だ。しかし、ヴェイユ風にいうと、それこそ未来を形づくる「材料」なのだと思う。私もぜひ、食べてみたい。著者が「死ぬ前にはこれを食べたい」と思った佰食屋のステーキ丼を。そして、搾取のない未来、を目指し歩いていきたい。

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