『仲野教授のそろそろ大阪の話をしよう』は、仲野徹が身の回り5m以内の近さの人と大阪について語り尽くした一冊です。そんな訳でレビューについても、仲野徹の5m以内の人を探してみました。すると、さすがは大阪大学。オートファジーの世界的な研究者でありながら変人でもあられる、吉森 保教授の投稿が見つかりましたので、早速公開させていただきます。本人曰く「仲野先生には内緒で」とのことですので、どうぞご内密にお願いいたします。(HONZ編集部)
最近、著名な作家の方と知り合う機会が増え、昔 本の虫だった身としては嬉しい限りである。そういった方々の中で最も旧知の先生から、最近の著書を恵贈頂いた(その作家先生は、経緯は不明だが、どういう訳か私の勤務先の建物にいらっしゃる)。
頂いた本にはサインとメッセージが付いていて(強面な風貌と対極にある可愛い丸文字!)、ありがたいことである。しかし私も科学者のはしくれ、ここは心を鬼にして客観的に冷徹に、この本を分析したいと思う。
このヒョウ柄(!)装幀の「そろ大阪」(題が長いのでマクド的に略)では、大阪という少し特異な(あるいは特異と思われがちな)文化圏を様々な切り口で語るために著者が12人の全く職業・分野の異なる人達と対談している。
すぐに私の科学者としての嗅覚が、明らかにおかしな点を嗅ぎつけた。著者は、それぞれ随分キャラや癖の異なる対談相手に対し、上手に要になる話を引き出す。あくまで控え目に黒子となり、相手が気持ち良く話せるように会話をリードし、でも焦点をはずさない。
これは絶対おかしい。何故なら普段のこの著者は、いついかなるときも喋りっぱなしであり、常に話の中心にいないと気が済まないヒトなのだ。他人の話など聞いていない。
考えられる可能性。
1)本当は著者は対談の名手であった。
2)編集者が著者が喋った部分をほとんど削った。
どう考えても2じゃないかとは思うが、どんなに小さくても存在する可能性を排除しないのが科学だ。でも1はやっぱり信じ難いなあ…
大阪に関する論考といえば、かの井上章一さんの近著『大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた』がある。例によって綿密な調査に基づいて、ステレオタイプな大阪のイメージがどのようにして創られたのかを描いていて面白かった。
しかし、似ているようでいて「そろ大阪」のほうが、さらに奥深く、余韻を残す。なぜか。まず話題が、大阪の歴史から言葉、古き良き花柳界、電車などなど縦横無尽で、超トリビアなソースネタまで出てきて読者を飽きさせないことがある。(ソースの章は最高。知らない人のために解説すると関西ってソース帝国で、めちゃ商品の種類が多い。)
でも最も大きなポイントは、対談相手が皆とても魅力的だということ。それぞれ全くタイプは違うが、共通するのは人間的な素晴らしさ。それらの人々が各話題を語り尽くすから、引き込まれる。従って1+12対1で勝ちなのだ。
対談相手の多くは著者の知り合いで、どれだけ半径が狭い連載対談なのかと自分で言っている。そう書かれると、本当はすごく努力して集めたんじゃ無いかと勘繰る人もいるかも知れないが、私は実際に周囲の人がほとんどなのを知っている。
となると、それでもこれだけの対談相手が揃うと言うことは、可能性として
1)著者の人間性に惹かれて個性的な人々が集まってくる、
2)単なる偶然、が考えられる。
どう考えても2じゃないかと…以下同文。
私は知っているのだ。著者が、普段性格の悪いことこの上ないことを。ところが多くの人は信じようとしない。ファクトフルネスは何処へ。
ともかく本に罪は無い。皆さん、読んでください。大阪人も非大阪人も前より大阪(あるいは本書に登場するような大阪人を、かな)を好きになれること請け合いである。
吉森 保 大阪大学理学部生物学科卒業後、ADHD傾向故に20年以上あちこちを流離った挙句、結局大阪大学に戻り現在医学系研究科と生命機能研究科兼任の教授(栄誉教授というよく分からない称号も)。専門は細胞生物学。特にオートファジー研究に没頭。ラバーダック好きが世界的に有名(歌人永田和宏氏に「ヘンな人が私は好きでこの人の教授室にはアヒルが五百」と詠まれている)。マラソン、トレイルランニング、焚き火、靴磨きなどをこよなく愛する。変人と言われると喜ぶ。