かつてノーベル賞物理学者のリチャード・ファインマンはこう言った。「自分で作れないものを、私は理解していない」。
このようなDIY精神こそが、世の中のイノベーションを加速させてきたことは言うまでもないだろう。情報科学しかり、ゲノム科学しかり。しかしこの潮流が、宇宙科学の領域にまで及んでいるとは知らなかった。
実験室で宇宙を作る。そんなことが、理論的には実現可能と言えるところまで来ているというのだ。本書はこのような構想が成立するまでの科学者たちの足取りを追いかけながら、宇宙科学の最前線を紹介した一冊である。
実験のコアとなる理論は、多くの科学者のバトンリレーによって改良されてきたインフレーション理論だ。
どこで、どうやるかはともかくとして、わずか25グラムほどの「偽の真空」が得られれば、実験室の中でインフレーションを起こさせることにより、立派な「宇宙」が誕生するという。
この「偽の真空」に相当すると目されているのが、磁気単極子という物質だ。これはN極、S極の一方だけを持つ孤立した粒子なのだが、いまだ見つかってはいない。しかし裏を返せば、これさえ見つかれば、磁気単極子はまさに宇宙の種となり、粒子加速器の中で新たな宇宙が誕生するのだ。そして、そのカギを握っているのが日本の科学者であるというから、胸も熱くなる。
ところで、一般的に科学的であるとは「なぜ?」を追究することだと思われがちだが、このスタンスは分野によっては厄介な問題を引き起こす。
とくに宇宙科学の領域において「なぜ宇宙は誕生したのか?」「なぜビッグバンが起きたのか?」を突き詰めていくと、科学では扱えない問題へと容易に転じていく。
この宗教的な立場との衝突は、科学における活発な議論を大きくトーンダウンさせてきたのかもしれない。しかしよくよく考えてみれば、科学者がみな無神論者であるわけもないのだ。
本書はこのデリケートな部分の取り扱いが、非常にうまい。科学的な分析としての「どのように」と、思索的な探究としての「なぜ」というものを明確に分けながら、意識的に共存させているようにも見える。
科学者たちのそれぞれの宗教的なスタンス、思想的な背景への深い言及は、多くの人に宇宙を“自分ごと”にさせ、魅力的に感じさせるところまで昇華されていると言えるだろう。また著者自身も、人格神を信じているというスタンスを冒頭で明言している。
そのうえで、宇宙を実験室で創造することの底流にある倫理的な問題を指摘する。それは「もし実験室で宇宙を創造し、新しい生命がそこに生まれた場合、私たちはその宇宙に対し、どのような責任を負うべきなのだろうか?」というものだ。
本書は実験室で宇宙を作るというゴールからの逆算でさまざまな理論が紹介されるため、宇宙科学の最前線が驚くほど容易に理解できる。また、さまざまな科学者の理論やスタンスが一望できるのもサイエンスライターならではの視点といえ、宇宙科学の最新動向を把握するうえで、最初に読むべき一冊と言えるだろう。
※週刊東洋経済 2019年9月7日号