『生物の中の悪魔』我々の中にもいるかも知れない「マクスウェルの悪魔」

堀内 勉2019年09月17日 印刷向け表示
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生物の中の悪魔 「情報」で生命の謎を解く
作者:ポール・デイヴィス 翻訳:水谷淳
出版社:SBクリエイティブ
発売日:2019-08-22
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本書の原題は”The Demon in the Machine”である。邦題は『生物の中の悪魔』なので、だいぶ受け取る側の印象は違うと思うが、本書に出てくる「悪魔」というのは、宗教やオカルト的な意味での悪魔ではなく、「マクスウェルの悪魔」に由来する架空の存在である。

これは、1867年にスコットランドの物理学者マクスウェルが提唱した思考実験に出てくる悪魔(demon)のことで、分子の動きを観察できる極小の悪魔を想定することで、熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)に反するエントロピーの減少が可能ではないかという問いかけである。熱力学の根幹に突き付けられたこの問題は、本書の中核をなす「情報」と関連することが分かってきたが、まだ完全に解明されている訳ではない。そして、生き物の中にも、生命現象を操るこうしたいまだ正体の明らかでない「悪魔」がいるのだろうかというのが、本書のタイトルにつながっている。

本書の著者であるポール・デイヴィスは、イギリス出身の物理学者・宇宙生命学者である。科学に関心を持つ一般の読者向けに30冊以上の本を執筆しており、日本でも『タイムマシンのつくりかた』など10冊以上が翻訳されている。そうした著者が、最新科学の成果を「情報」という概念から捉えなおして、生命の秘密を解き明かそうとしたのが本書であり、これまでで最も網羅的かつ学際的に書かれたものになっている。

1943年に、あの「シュレーディンガーの猫*」で一般にも有名なノーベル賞物理学者のシュレーディンガーが、ダブリンで『生命とは何か』というタイトルの連続講演を行った。そこでは、「生命現象を物理法則で解明できるか?」という根本的な問題提起がなされたのだが、結局、この問題の解明は現代に至るまでそこから殆ど前進していない。
*1935年にシュレーディンガーが発表した量子力学のパラドックスを指摘するための思考実験。ラジウムが検出されると青酸ガス入りの瓶が破られる、中の見えない密閉箱に猫を入れることで、中の猫は生きている状態と死んでいる状態をあわせ持つことになり、観測するまではその結果は確定しないというパラドックス。即ち、猫が生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせの状態があるというのがこの思考実験の示すところであり、本来は量子力学を批判するために考えられたものであったが、むしろ量子の世界の特異さを説明する例に用いられ、後にエヴェレットの多世界解釈(この世界と異なる多くの世界が存在するという量子力学の解釈のひとつ)が生まれるきっかけになった。

素人ながら評者自身がいつも不思議に思っているのは、水やメタンや雷が由来となって有機物が生まれ、そこから生物が生まれたという説明には、かなりの飛躍があるのではないかということである。地球外生命体を探すSETI(地球外知的生命体探査)やNASA(アメリカ航空宇宙局)の取り組みに対して、著者は、「生命が棲めるからといって、必ずしも生命が棲んでいることにはならない」と言っているが、正にその通りだと思う。

DNAの二重螺旋構造を発見してノーベル生理学・医学賞したクリックが指摘するように、生命の起源は「ほぼ奇跡であって、生命が誕生するにはあまりにも数多くの条件が満たされなければならなかった。」『種の起源』を著した進化論のダーウィンでさえも、最初に生命がどのようにして誕生したのかという真正面からの疑問については説明を避けており、「物質の起源についてあれこれ考えるのと似たり寄ったりだ」と語っていたのだという。

有機物ができるということと有機物が生物になるということの間には、何ら論理必然的なつながりはない。無生物と違って、生物は「システムの振る舞いがシステムの状態に依存する」という自己言及性を有しており、確かに一定の目的をもって自己組織化して自己複製するマシンのように見える。

シュレーディンガー自身も、生命を説明するためには、今の物理法則とは別の物理法則が必要かも知れないということを認めていたし、共に理論物理学者でノーベル賞受賞者でもある量子力学のボーアやハイゼンベルグまでもが同じことを言っていたのである。

本書では、シュレーディンガーの問いから半世紀以上も経つ今日になっても、なぜこの問題の解明が進まないのか、そしてハードウェアとしての生物は物理的に説明可能であるのに対して、全体として統合されたソフトウェアとしての生命や心や意識については今の物理法則では全く説明がつかないという断絶をどうしたら乗り越えることができるのかについて、多くの未解明の仮説と共に時系列的に分かりやすく記述されている。

そして、著者自身は、生命と非生命を分け隔てるのは「情報」であるとして、情報理論という道具を武器にその可能性を見出そうとしている。しかしながら同時に、それでもまだ高くそびえ立つ難攻不落の山の麓から遠く仰ぎ見ている状態に過ぎないということも認めている。

出版社による本書の内容紹介では、「今日、その答えはすぐ間近にあると著者は説きます」と書かれているが、実際に内容を読んでみると、著者はそれほど楽観的には考えていないことがよく分かるし、正にツルツルの壁を前に悪戦苦闘している様がビビッドに伝わってくる。

更に、「生命とは何か?」というシュレーディンガーの疑問がとても難しい問題だとしたら、「心とは何か?」という疑問は、それに輪をかけてとてつもなく攻略が難しい超難問である。生命の数多くの不可解な性質の中でも、心や意識という現象は際立って不可解であり、人類の歴史において過去2500年にわたって深く考察されながら、ほとんど攻略できていない問題である。

生理学者のレーヴェンシュタインは、「心のおおもとである意識の本質に関して我々が知っている事柄は、ローマ人と同程度である。何も知らないのだ」と語っているが、著者も、「意識は、科学、さらには実在をめぐる最大の問題である。ほとんどの科学者は、あまりに深い泥沼だからと回り道をする。これまでにその泥沼に飛び込んだ科学者や哲学者のほとんどは、足を取られてしまった」と書いている。

「一体何が生物と他の物理的システムとの違いを決定し、生物を特別な存在にする活力を与えているのか?」、「そもそも生命はどこから来たのか?」、そして「心や意識とは何か?」という大いなる謎について、これほどまでに手が届かないと、どうしても超越的な神の存在や汎心論(あらゆるものが心的な性質を持つとする世界観)に走ってしまう方が気が楽になるのも分かるが、やはりこの問題の解明は科学者の手に委ねたいと思う。

ガリレオにせよニュートンにせよデカルトにせよ、結局は創造主である「神の作った物理法則」という世界観に大きく依拠していた。しかしながら、自分の限られた知識の範囲で理解できないことは、最終的に宗教の世界に押し付けてしまうという姿勢では、そこで科学の進歩は止まってしまい、思考も停止してしまう。そうした意味で、本書の続編には今から大いに期待したいと思う。

なお、本書の概要については、原題と同じ”The Demon in the Machine”というタイトルの講演がYouTubeにもアップされているので、そちらも参照して頂きたい。プレゼンテーションに図表がたくさん出てくるので、本書を読む上での参考になると思う。

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