『「間合い」とは何か』日本流ソーシャル・ディスタンスの研究

首藤 淳哉2020年04月21日 印刷向け表示
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「間合い」とは何か: 二人称的身体論
作者:諏訪 正樹 ,伝 康晴 ,坂井田 瑠衣 ,高梨 克也
出版社:春秋社
発売日:2020-02-21
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いまや「ソーシャル・ディスタンス」という言葉を聞かない日はない。
「社会的距離」などと直訳されるけれど、ちょっと芸がないなぁと思う。
だって日本語にはもともと「間合い」という言葉があるからだ。

「間合い」とは、単純に考えれば「相手との距離」である。でもよく考えると、この言葉はけっこう深い。実際この言葉には豊かな意味合いが含まれている。

真っ先に思い浮かぶのは武術である。たとえば剣術の小野派一刀流には「切落(きりおとし)にはじまり切落に終わる」という言葉があるという。相手が斬りかかってくる始動のタイミングを見切って、同時に斬りかかる。ボクシングでいえばクロスカウンターだ。自分と相手との間境(まざかい)を、ここぞという究極のタイミングで見切って動く。ここでの間合いは、生死を分ける境界線だ。

ラジオの仕事に携わってきたことから、「話す」という行為にも間合いがあることは経験的にわかる。「息が合う」「しゃべりの間(ま)が悪い」「トークの勘所を押さえている」、言い方はいろいろあるが、これらはすべて間合いのことだ。

トークで「間合いが悪いなぁ」と感じた具体例を挙げよう。
ある時、テレビで先輩と後輩の女性アナウンサー二人の旅番組が放送されていた。後輩アナは当時まだ新人だったと思う(現在は誰もが知る人気アナです)。ぼんやり見ていたのだが、次第にイライラしてきた。なんだろう?このイラっと来る感じ……。あらためて注視して原因がわかった。後輩アナのリアクションがワンパターンなのである。先輩が何か言うたびに、甲高い声で「ホントですかぁ?」と返す。あまりに連発するせいでこちらの癇に障ったのだ。これは悪い間合いの一例である。

僭越ながらここでひとつアドバイスを。誰かと話をする際に、自分がどう話すかということよりも、どう相槌を打つかを意識するだけで、あなたの印象をガラリと変えることができる(もちろん良い方向に)。

「なるほど〜」「え!そうなんですか?」「へーっ」「それは知らなかった」「ほぉ」「まさか!」「凄いですね」「それでそれで?」「ふーん」「そうかなぁ?」「そういう考えもありますね」「勉強になるなぁ」「おっしゃる通りですね」……etc。

インタビューなどで意識的に相槌にバリエーションを持たせると、相手に気持ち良くしゃべってもらえることが多い。相手は実はこちらの間合いでしゃべっている(つまりこちらが乗せている)のだが、気づかれることなく「なんだか話しやすいなぁ」と感じてもらえるのだ。ただし相槌のチョイスが偏ると、ただのお調子者や太鼓持ちみたいになるので要注意。あと強弱にも気をつけること。一本調子で(たとえばひたすら元気よく)相槌を打っていると、バカにしているように受け取られてしまうかもしれない。以上は新人アナウンサーにも教えるテクニックのひとつ。よかったら使ってみてください。

さて、本書はそんな「間合い」をさまざまな視点から考察した一冊である。
間合いはいたるところに存在している。中には「歯科診療の間合い」を論じたユニークな一編もある。たしかに歯科診療では口をあんぐり開けたまま医師の問いかけにリアクションしなければならない。あれは独特のきまりの悪さを伴った間合いだ。

本書は「間合い」を、「エネルギーのようなものの感得」と「二人称的(共感的)かかわり」という二つのコンセプトを使って論じている。簡単に言えば、私たちは、その場所に遍在するエネルギーのようなものの移り変わりを敏感に感じ取って臨機応変に対応しているが、ただしそこには常に「相手の側で生じているものごとに歩調を合わせる」側面が含まれている、ということになるだろうか。

「間合い」というのは極めて状況依存的である。その中で臨機応変にふるまう知のありようが研究対象なのだとすれば、「間合い」の研究というのはすなわち「臨機応変に関する科学」ということになるだろう。

「状況依存的」や「臨機応変」といった言葉は、近代科学の三大原則である普遍性、論理性、客観性とは馴染まない。だが哲学者の中村雄二郎は、近代科学が客観的に観察できないものごとを研究の対象外にしてきたことで、人が「生きる」という経験の重要な側面が漏れ落ちてしまうと指摘している。本書はこの中村の提唱した「臨床の知」を援用しながら、「間合いの研究」の可能性を考察していく。

「間合いの研究(臨機応変の科学)」は今後、自動運転のような情報コンピュータ技術と人間との接点の研究に応用できる可能性があるという。そのうち自動運転の技術的な壁に悩んでいた研究者がある日、さすらいの武術の達人と出会って、授けられた奥義をヒントにブレイクスルーを果たす……みたいなことがあるかもしれない。

それにしても、かつてこれほどまでに「間合い」が気になる時代はなかったのではないか。電車やスーパーなど、他人同士が居合わせた空間での人々のふるまいを、社会学者のアーヴィング・ゴッフマンは「儀礼的無関心」と呼んだが、いまや見知らぬ他人にすら無関心ではいられない。咳払いひとつしただけで、たちまち周囲の視線が集まってしまう。

誰もが尾崎放哉のように、咳は一人でしなければならない時代である。不自由なことこの上ないが、だからこそ臨機応変に生きる術を身につけていたい。

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