『KGBの男 冷戦史上最大の二重スパイ』ソ連のエリートがMI6に、歴史を動かした二重スパイ

鰐部 祥平2020年09月05日 印刷向け表示
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KGBの男-冷戦史上最大の二重スパイ (単行本)
作者:ベン・マッキンタイアー
出版社:中央公論新社
発売日:2020-06-08
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スパイ小説といえば007シリーズの作者イアン・フレミングや、ジョン・ル・カレといった英国の作家の名が頭に浮かぶ。「やはり、スパイ小説は英国に限る」と通ぶってみたくなるが、実は、ノンフィクションの世界にも同じようにスパイ分野の第一人者といえる作家がいる。

その一人が、本書の著者ベン・マッキンタイアーだ。代表作には、第2次世界大戦中の対ナチス諜報を描く『ナチが愛した二重スパイ』『ナチを欺いた死体』『英国二重スパイ・システム』の3部作がある。どの本も、歴史の裏側で行われた諜報戦の熾烈さと独創性に驚かされる。

戦後の冷戦時代を扱った『キム・フィルビー』も見事だ。その名が表題にもなっているキム・フィルビーは、英国で活動し、「ケンブリッジ5」と呼ばれたスパイの一人。MI6の略称で知られる英国の対外諜報機関の諜報員を務めた貴族階級出身の優秀な人物で、MI6の長官になるのではと目されてもいた。しかし、彼はソ連側のモグラ(二重スパイ)だったのだ。

本書『KGBの男』はその続編的な作品だ。主人公のオレーク・ゴルジエフスキーは、ソ連で諜報活動や秘密警察の役割を担ったソ連国家保安委員会(KGB)のエリート将校で、最終的にはKGBの英国支局長にまで出世した大物だ。だが、オレークもまた、英国側のモグラとして10年以上スパイ活動をしていたのである。その功績は目覚ましく、彼は冷戦の転換点でも大きな役割を果たしている。

KGB一家に生まれたオレークだが、クラシック音楽と文学を愛する彼は、西側の文化を否定する自国に批判的な精神を養っていく。知性に恵まれ当然のようにKGBからスカウトされて諜報の道を進むが、ベルリンの壁建設とプラハの春に対するソ連の軍事介入に衝撃を受ける。さらにデンマーク支局で西側の暮らしを経験し、文化に触れて、民主主義こそがあるべき体制だと確信。そんな彼にMI6の諜報員が接触する。

二重スパイとなってからは、北欧と英国に潜むソ連の大物スパイの存在を暴露したり、ソ連当局の思考を鋭く分析したりした。時の英国首相サッチャーは彼の政治的助言に感銘を受け、後にオレークの正体が暴かれたときには、英ソの雪解けムードを損なうリスクを負ってMI6による救出作戦にゴーサインを出す。実はオレークは、サッチャーと当時のソ連の指導者ゴルバチョフの両方に助言を与えており、両国の和解は彼が演出したものでもあった。

面白いのは、冷酷無比に振る舞うKGBが、当時、ソ連内では法を徹底的に遵守し、証拠と裁判なしに諜報員を逮捕・処刑することはなかったという点だ。裏切り者は問答無用で暗殺されるのかと思いきや、意外である。これはスターリン時代の大粛清で、無実の人間が何人も破滅した過去が尾を引いていたためだ。嫌疑と指導部の独断だけで処刑されるのでは、「明日はわが身」と安心できない。

モグラの嫌疑をかけられたオレークが脱出の時間を得られたのも、この遵法意識のためだ。本書の山場であるモスクワからのオレーク救出作戦はどんなスパイ小説よりもスリリングだ。何しろ命を懸けた本物の脱出劇なのだから。

※週刊東洋経済 2020年9月5日号 

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