『人間の土地へ』シリアに魅せられた登山家

東 えりか2020年12月06日 印刷向け表示
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人間の土地へ
作者:小松 由佳
出版社:集英社インターナショナル
発売日:2020-09-25
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 チャレンジすることに躊躇しない人を尊敬している。新しい一歩はなかなか踏み出せないものだ。『人間の土地へ』の著者、小松由佳は、特別に並外れた好奇心と勇気の持ち主だと思うのだ。

2006年、24歳の時、世界で最も困難な山だと言われている世界第二位の高峰、パキスタンのK2に日本人女性で初めて登頂に成功した。2019年まででエベレストに登頂した人は1万人以上いるが、K2はたったの500人。いかにこの山を征服するのが難しいかがわかるだろう。第一章の登山の記録だけでも一冊の本として成立すると思う。

だがこの後、彼女は登山に対する興味を急速に失っていく。むしろポーターたちや彼らの家族、麓の村の暮らしに強く惹かれた。

そんな気持ちの赴くまま長い旅に出た。中国からユーラシア大陸を西へ、草原や砂漠の遊牧民、山岳民族を訪ね、生活を共にさせてもらい、写真に収めた。

その旅の最後に辿り着いたのがアラビア半島の付け根に位置するシリアだった。2008年、古代からオアシスとして知られていたパルミラという人口5万人ほどの遊牧民の町を取材をしていたとき、ラドワンという青年と知り合う。

彼は自分の家族、アブデュルラティーフ一族が住む砂漠へ小松を連れて行った。両親と16人の兄弟、さらにその子供の3世代60人ほどの大家族で、ラドワンは12男の末っ子だった。

父親のガーセムは10代の頃からラクダを増やし、パルミラ周辺で最も多くのラクダを所有していた。母のサーミアは23人の子どもを産み、16人を成人させた。兄弟はみんな仲が良く、父の仕事を助け、定住している砂漠のなかで幸せに暮らしていた。

小松は彼らの生活を撮影するため何度も訪れる。最初は警戒していた一族も、いつか彼女を仲間として迎え入れ、外からはうかがい知ることのできない女性だけの世界を見せてくれるようになる。

最初に知り立ったラドワンとお互い思い合うようになったが、結婚するには宗教や考え方など大きな問題が横たわり、なかなか踏み出せない。逡巡しているうちにシリアの内戦が始まってしまった。

「アラブの春」と呼ばれる2011年3月、シリアにもその波は押し寄せた。民主化運動は激しさを増し、秘密警察が目を光らせる。当然のことながら外国人は警戒されアブデュルラティーフ一家からも接触は拒否された。ラドワンとの連絡も途絶えがちだ。

やがて彼は砂漠の中を隣国へと逃亡し、難民キャンプに落ち着いた。だがそこも彼の生きる場所ではなかった。

彼女にできることは連絡を待つことだけだった。ラドワンの安全が確認され、状況が落ち着いた2013年、様々な困難を乗り越え二人は結婚した。

K2登頂からわずか7年、激動の人生だ。現在、二人の子供を儲けた夫妻は日本に住み、ラドワンはシリアの難民向けに中古自転車を輸出する仕事についている。

シリアの混迷は続いている。日本の二人とともに、今はトルコに暮らすアブデュルラティーフ一族の幸せを願わずにはいられない。(ミステリマガジン2021.1月号)

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HONZメンバーのアーヤ藍が手掛けたドキュメンタリ『それでも僕は帰る ~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~』。当時のインタビューはこちらで

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