色覚サイエンスの最先端を知ると、「日本」まで見えてくる――『「色のふしぎ」と不思議な社会』 

2021年1月14日 印刷向け表示
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「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論 (単行本)

作者:裕人, 川端
出版社:筑摩書房
発売日:2020-10-24
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「この赤はリンゴの赤だね」と言うとき、どんな赤色を見ているかは、実は人それぞれだ。そもそもヒトがどんな色を視ているかを科学的に考えたことがあまりない。ところがその色覚について、「正常」と「異常」に線引きする時代もあった――それなら色覚とはいったいどういうものなんだ? 猛然と、最先端のサイエンスの知見に挑む著者による、新たな色覚原論の決定版!

著者の川端裕人さんと言えば、最近では『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』や『科学の最前線を切りひらく!』など、サイエンスの現場の話を平易に伝えてくれるノンフィクション作家だ。と同時に小説も数多く手がけているほどで、読みやすい文章でこちらの守備範囲を広げてくれる。
1964年生まれ、学校健診の色覚検査で「色覚異常」とされた、当事者である川端さんが5年以上地道に調べて書き上げたのが、色覚をめぐる社会情勢と歴史、そして、2021年の科学的な今をまとめた、この一冊だ。

「色覚異常」という言葉を、2004年までに学校健診を受けた経験のある人は聞いたことがあるかもしれない。差別につながることから健診は廃止になったのだが、最近2015年ごろから、検査が再開され、その必要性が主張されつつあるという。クラスでひとり、「色覚異常」とされ、「これは何色に見えるの?」と無邪気なクラスメイトに揶揄された経験を持つ、川端さんは驚き、長年懸案だった色覚について調べ始める。

というのも、自身の経験のみならず、「色覚異常」とラベルを貼られることの弊害は並々ではなかったからだ。日本には男性の5%、つまり20人にひとり、女性の0.2%、つまり500人にひとりが遺伝性の「先天色覚異常」とされてきた。先達の努力によって最近では減ったと思いたいが、1億人超の人口に対して数百万人が、クラスメイトの揶揄ではとどまらないいじめや差別の対象になり、就労や就学でも不利な立場に立たされてきたのである。

そうはいっても、本書では、掘り起こされる色覚の仕組みの基本解説がまずおもしろい。目に入った光が脳内でどう情報処理されるか。光の波長がヒトの場合は3原色に合成され、「赤」「緑」「青」といった色に変わって脳内に映り、その3色型でどう見えるか。どんな光に応じてどんな色を感じるのか。
平易な基本の解説から、最先端の色覚の現場の研究成果も披露されていく。

たとえば、脊椎動物の色覚進化を研究する東大の河村正二教授による話にはワクワクした。ヒトは3色型だが、哺乳類の多くは2色型で、3色型については、ヒトの先祖である霊長類が森の生活で獲得したというのだ。緑の葉の中で、熟した果実や葉の赤を区別するためにはそのほうが有利だったから! と話はそこまで単純ではなく、果物を見つける際には嗅覚などほかの使える感覚を駆使していたり、採食には社会的な順位も関係していたりして、3色型が必ずしも有利と言えないこともわかってくる。なにしろ生活環境によってはヒトでも2色型の方が適している局面もある。「色を見すぎない」ことの有利さもあるのだ。

となると、私たちの目に映る「色」とはそんなに簡単に白黒といった言葉で一刀両断に分けられるものなのだろうか?

SNSで話題になったこの「ザ・ドレス」の画像を見たことがある人は多いだろう。同じ写真なのに人によって「青黒」にも「白金」にも見えるという不思議なドレスの写真で、私はツイッターで流れてくるものを見た(#thedress)。

©Ichiro Kuriki 2018(著者の川端裕人さん提供)

簡単に言うと、私たちが物を見るときは照明光がその表面で反射した光を見ているのだが、ヒトの視覚は無意識のうちにこれを補正して安定的に光を見る。が、そこには個人差が大いにあり、ある高名な研究者は「色覚は健全な錯覚である」とまで喩える。
ドレス写真で実感した人も多いと思うが、ことほどさように、人が見ている色というのは、それぞれ違う。それは、黒か白か、とはっきり判別できるものではなく、細かい色のスケール表のように多様だということだ。このドレスの色味は、それをまざまざと私たちに教えてくれたように思う。
この図はその「照明光の推定」の考え方にもとづいて、視覚的体験が脳内でどういう信号処理をするかを研究している、東北大学の栗木一郎准教授によって実施されたシュミレーションの結果を表したものだ。

この科学の知見をどう社会に活かすか。この本は、自身の経験も踏まえて、そこに切り込んでいくところに凄みがある。
「正常」と「異常」に色覚を分けることは意味があるのだろうか。連続的で多様な世界に線引きをすることで引き起こされる社会的な問題と天秤にかけたらどちらが重いのか。全員が一定の「正常」であるべきだという検査や、直接的ではない職業適性への問いで、問題はまた起こってしまうのではないか。パイロット候補者に行われる、アメリカ空軍やイギリス民間航空局の新しい検査の方法も紹介されており、最先端のサイエンスを駆使したその方法は、個人差や職業に必要な要素をとらえるものとなっている。日本はどうだろう?

集団を対象に「迅速に実施可能な検査、手技を用いて、無自覚の疾病または障害を暫定的に識別すること」を「スクリーニング」というそうだ。集団検診で行われるガンの検査も、スクリーニング検査だ。偽陽性や過剰診断のことが常に問題になるので、検査を受けた際のデメリットよりもメリットが多い場合には正当だと言える。色覚については、有名な「石原式」という色覚検査表によって、2004年まで学校健診でのスクリーニングが行われてきた。だが、自分で自覚できない程度だったり、生涯にわたって問題を感じない人まで、本当に見つけ出す必要があるのだろうか。また、そうだとわかっても治療や適切な指導はあるのか、そこまでコストをかける必要があるのか、偽陽性や過剰診断の可能性はないのか。そして、色覚という遺伝による偏見や差別を固定化させてしまった可能性もあり、問題は尽きない。

そうして一歩一歩進めていくと、遺伝学の見地からは、「正常」「異常」という二分よりも「多様性」ととらえるほうが理にかなっていることがわかってくる。コロナ禍でもよく聞くが、「どこまで検査すべきか」への問いかけは簡単ではない。また、医療全般にも関連して普遍的な問題をはらむ。

実際に自らも名古屋の医師のところまで色覚検査を受け直しに出かけたり、海外で色覚に関する学会に参加したり、どこへでも取材に出かけていく川端さんのフットワークは、軽い。けれど、内容はしっかり地に足がついている。そんなサイエンスを伝える筆致に圧倒され、読んでいて色覚の話かと思っていたら、遺伝差別の問題をとらえ、今後の医療や社会の在り方についても、いつしか考えさせられていた。
奥深い一冊、「正常」とされた人も「異常」とされた人も、一度読んでおくとよいと思う。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!