本書は、NHKの『ラジオ深夜便』の人気コーナーである、『絶望名言』を書籍化したものである。
著者の頭木弘樹氏は、大学3年の時に難病にかかり、その後13年間の入退院生活を余儀なくされ、宮古島に住むようになった今でも完治はしていない。ベッドに寝ているだけの状態になり、完璧に無能な存在になった時に出会った、「ぼくは人生に必要な能力を、なにひとつ備えておらず、ただ人間的な弱みしか持っていない。無能、あらゆる点で、しかも完璧に。」というカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』という本を出版し、それがきっかけで、このラジオ番組を始めることになったという。
「自殺を考えたことはありますか?」という質問から始まった、NHKラジオのディレクターとの対話の中で、著者の口から、「いくら生きたいと思っていても、死が救いに思われるほどつらい現実がある」という言葉が出た時に、この番組の軸がしっかりと定まったそうだ。
ここで言う「絶望名言」とは、「絶望した時の気持ちをぴたりと言い表した言葉」という意味である。病気、事故、災害、死別、失業、失恋など、受け入れ難い現実に直面して絶望した時に、「生きていこう」と思うのはとても難しい。
死が救いに思われるほどの絶望を言葉にしたところで、目の前の現実が変わる訳でもなく、解決策が見つかる訳でもないが、それでも、言葉にすることで絶望と少し距離ができ、少しだけ和らぐ、そういうことである。
例えば、失恋した時には、失恋ソングを聴きたくなる。それと同じで、絶望した時には、絶望の言葉の方が、心に一層沁み入ることがあると言う。
そうした意味で、著者は、シェークスピアの『マクベス』に出てくる、「明けない夜はない」という言葉にずっと違和感を覚えていたそうだ。
原文は、”The night is long that never finds the day.”で、直訳すると、「夜明けが来ない夜は長い」となるが、著者が思うには、絶望している人をなぐさめるために、いきなり励ますというのは早急過ぎるのだそうだ。
時間と共に癒やされない悲しみもあるはずなのに、長く悲しみをひきずっていると、周囲も「これだけ時間が経つのに、いつまで悲しんでいるんだ」となってくるし、自分自身も「いつまでも悲しんでいる自分はいけないんじゃないか」と思うようになる。そうすると、悲しみが癒えない上に、更に自分で自分を責め、周囲からも責められるようになってしまう。
マクベスの邦訳には、これとは別に、「朝が来なければ、夜は永遠に続くからな」というのもあるそうで、著者としてはこちらの方がしっくりくるが、更にもう一歩踏み込んで、「明けない夜もある」と訳したらどうかと提案している。大切な人を失った深い悲しみのようなものは、いつまでも続くことがあるという意味で。
こういった、絶望している人に寄り添う言葉。それが「絶望名言」である。
ドストエフスキーは、『白夜』の中で、「われわれは、自分が不幸なときには、他人の不幸をより強く感じるものなのだ。」と書いている。辛い体験をした人間ほど、他人の辛い気持ちも深く分かるということである。
こうした「絶望名言」の真意は、本当に絶望したことのある人にしか分からないかも知れない。それでも、まさかの時の命綱として、全ての人に本書の存在は知っておいてもらいたいと思う。