『贈与の系譜学』純粋な贈与を考える知的冒険

2020年9月12日 印刷向け表示
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贈与の系譜学 (講談社選書メチエ)

作者:湯浅 博雄
出版社:講談社
発売日:2020-06-11
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 贈与論の本につい手が伸びてしまう。それは贈与が既存の経済の仕組みの辺縁にあり、もしかしたら新しい社会の仕組みを構想できる可能性を感じること、オルタナティブさに魅力を感じてしまうからだ。しかし、本書はその淡い期待に答える贈与を褒め称え、可能性を肥大化させる本ではない。むしろ、冷や水を浴びせ、冷静に贈与について考えるための構造を提示する。

贈与でよく語られるのは、文化人類学的、民族学的なフィールドワークである。未開社会では、価値のあるものを最初に贈与するという形をとる。そうして交流・交易がスタートする。
贈与から始まり、それを受け取る。そして返礼する。そのサイクルが動き出した後の状態を見ると、経済の仕組みとの違いは?と疑問が湧き、抱いていたオルタナティブへの淡い期待は泡のように消えていく。

いっぽう、本書が面白いのは、真に純粋な贈与の思索を深めていることである。それは、かけがえのない唯一の最愛のものを贈ることであり、見返りや返礼をまったく求めないことである。そんなことはあるのだろうか。日常的に行うプレゼントや冠婚葬祭のお祝いや香典には、お返しが当たり前のように期待されているし、行っている。仮に、本当にかけがえのないものを贈ったならば、受け取る側は困惑し、拒否するだろう。果たして純粋な贈与は実現可能なのか、実現可能だとしたら、どんなときに起こりうるのだろうか。

その問いを考えるべく、原始の社会、初期のキリスト教、思想家や哲学者による贈与をめぐる思索と、その系譜を飛び石伝いに論が展開していく。その過程で思いもよらないものに出逢うと同時に謎は増えていく。そして、読みながら広がっていく情報の余白を、著者の思索に付き合いながら何度もページを戻ることで、適宜埋めていく。そして、著者自身も自分自身の考えがどこにあるのかを確かめながら、ゆっくりと進んでいくので、置いてきぼりにされることはない。

贈与の系譜を辿っていくにあたり、一見関係がなさそうな古代における正しさや義務・責任の観念に眼を向ける。人類は貨幣経済、商品経済を発展させ、さらには市場経済を展開してきた。そして、物を交流させ、交易するときは、当たり前のように等価なものの交換という前提がある。そして、意外なことかもしれないが、正しさや正義という観念は、等しさや等価性に基づいて成立している面が大きい。アリストテレスも『二コマコス倫理学』の中で、

均等とは、ここでは、算術的比例に即しての、過多と過少との<中>にほかならない。正しいという名称の由来も、ここにある。

と記し、暗黙のうちに経済活動を範型にして正しさについて考えている。

となると、贈与というのは、等価交換の外側にある行為のように思えてくる。その対となる行為は交換であり、その区別は容易のように感じる。しかし、それが難しい。特に純粋な贈与を想定したときに、困難が待ち受ける。

まったく見返りを求めない、真に贈与的であるということはどういうことなのか。繰り返しになるが、真なる贈与とは、贈与しえないほど貴重な、特有な、唯一な、最愛なものを贈ることであり、それはほぼ不可能なことである。生活にかかすことのできない狩猟物や収穫物を御供物にし、ときには掛け替えのない子どもの命を生贄にすることである。もし仮に、そのようなことを行えたとしても、その行為の埋合せや見返りを後に授けられることを無自覚なままに期待してしまう。その瞬間は贈与だとしても、時間の流れとともに交換的なものに帰着することを隠し持っているのだ。

そうであるなら、交換との関係を切り離して、純粋な贈与であると決定することが難しい、というかできない。自覚的であれ、無自覚であれ、見返りを求める気持ちがあると、贈与は交換に変容し、その本質を失ってしまう。そして、いつなんどきも、「これは本当に(下心のない)贈与なのか?」と問われ続ける。

決定することが不可能で、何時までも反復的に問い直しを受け続ける。贈与は乗り越えがたい両犠牲に晒される。一見、贈与にとって危機に思われるこの状況こそが、実はチャンスでもあるのだ。問われ続けるということは、生まれ変わり、新しく始める機会を与え続けられているということだ。

日常生活の中で、純粋な贈与を行う機会など、ほぼないだろうし、あってほしいとも思わない。贈り物に対して、下心なく返礼を期待しないことなど無理である。だからこそ、存在することさえ危うい交換的なものに汚染されない贈与的なふるまいが、金勘定と損得感情ばかりに囚われがちな日々に、非日常性とちょっとした開放感をもたらすのだろう。

世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学 (NewsPicksパブリッシング)

作者:近内悠太
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発売日:2020-03-13
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贈与の歴史学  儀礼と経済のあいだ (中公新書)

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出版社:中央公論新社
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