映画業界の性加害報道が相次いでいる。週刊文春の報道をきっかけに被害にあった女性たちが次々に声をあげ、業界にはびこる性暴力の実態が明るみにでた。一部の良識ある映画監督や原作者たちも性暴力に反対するアクションを起こした。この流れは止まらない。かつてアメリカの映画業界を変え、世界にも影響を及ぼしたあの動きが、ようやく日本にも波及したのかもしれない。
本書の著者ローナン・ファローは、ハリウッドの大御所プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの性加害を報道し、#MeToo運動が生まれるきっかけをつくったジャーナリストのひとりである。
ワインスタインは映画界の大物だ。『セックスと嘘とビデオテープ』、『パルプ・フィクション』、『恋におちたシェイクスピア』といった独立作品を大成功に導いた立役者であり、若い俳優をスターダムに押し上げる能力にも長けていた。そこにはグウィネス・パルトロー、マット・デイモン、ジェニファー・ローレンスといったそうそうたる名前が並ぶ。アカデミー賞作品賞を5回、そのほかの賞となると数え切れないほどの受賞歴がある。
その一方で、ワインスタインは長年にわたり多くの女性たちに性的嫌がらせや暴行を働いてきた。女性が告発しようとすればあらゆる手段を講じてその口を封じた。業界に悪評を流して仕事から干し、あるいは大金と引き換えに秘密保持契約を結ばせ、口をひらけば損害賠償を請求すると脅した。
ワインスタインの悪業を最初に告発したのはニューヨーク・タイムズである。2017年10月5日のことだ。ふたりの女性記者、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーによる見事な調査報道だった。ローナン・ファローが本書のもとになる記事の第一弾をニューヨーカー誌に発表したのは、そのわずか5日後だった。ファローの記事にはニューヨーク・タイムズ紙では使われていない言葉が使われていた。「レイプ」である。加えて、ファローは決定的な証拠も入手していた。イタリア人モデルのアンブラ・グティエレスをワインスタインが無理やりホテルの部屋に連れ込もうとした際の音声である。
このふたつの調査報道は、文字通り世界を変えることになった。映画界は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、これまで口を閉ざしてきた女性たちがいっせいに声をあげた。そして性暴力の問題は映画業界にとどまらないことも明らかになった。#MeTooの動きは国境を超え、世界へと広がっていった。
ニューヨーク・タイムズ紙の報道については、『その名を暴け#MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』に詳しい。登場人物が三人称で書かれたこちらの本が伝統的なジャーナリズムのライティングにのっとっているのに比べ、ファローの一人称で書かれた『キャッチ・アンド・キル』は、よりパーソナルで作家性が強いといえるかもしれない。
これにはローナン・ファローの経歴も関係しているだろう。母は女優のミア・ファロー、父親は映画監督のウディ・アレン。そもそも彼自身がセレブリティ二世である。本書を読んでいると、超有名人を親にもち、世間の好奇の目にさらされてきたファローの屈託が不意に顔をのぞかせることがある。真実を追究するプロセスの面白さに加え、ファローの人間性も感じられるところが本書の魅力である。
親の七光りを嫌うかのように、ファローは独自の道を歩んだ。名門イェール大学の法科大学院を出てオックスフォード大学でも学び、弁護士の資格と政治学の博士号を取得した。国務省に勤務した後、外交政策の本を執筆するかたわら、ケーブルテレビ局MSNBCで自分の番組を持った。視聴率がふるわず番組が打ち切られると、全米ネットワーク局NBCに移り、将来ニュースキャスターになることを目指しながら、調査報道記者として働いていた。ワインスタインの疑惑と出会ったのはこの時である。
これは皮肉な運命の巡り合わせだった。というのも、姉のディランが性的虐待で父親のウディ・アレンを告発したことがあったからだ。ディランは当時7歳だった。アレンは親権を争っていたミア・ファローの捏造だと否定し、裁判でも証拠不十分との判断が下された(この件に関するおすすめの一冊は、猿渡由紀氏の『ウディ・アレン追放』である)。
世間はセレブ一家のスキャンダルにおおいに盛り上がったが、後のワインスタイン事件のように社会が変わったわけではなかった。告発を信じてもらえなかったディランは心に深い傷を負った。ファローにも姉を支えることができなかった負い目があった。
本書の中で、「どうして僕には話してくれたんですか?」というファローの問いに、ある女性が「あなた自身が経験者だから」と答える場面が出てくるが、多くの被害女性から証言を引き出すことができたのは、性暴力で有名人を告発するとどうなるかということを、彼自身が身をもって体験していたからかもしれない。
そしてもうひとつ、ファローが性的マイノリティでもあることも大きいのではないか。性暴力の問題は、これまで個別の男女関係の問題に矮小化されてきた。ワインスタイン事件が世界を大きく変えたのは、性的な関係を強いることが社会の構造上の問題であることに人々が気づいたからだ。それよりもはるか前から、性的マイノリティは自身のセクシャリティと社会との関係について考えてきた。男性であるにもかかわらずファローが女性たちの心を開くことができたのは、彼がゲイであることもおおいに関係していると思う。
以上を踏まえた上で本書の面白さを一言で表すなら、「誰も信じられない」という言葉に集約できるかもしれない。ともかくワイスタインの影響力はあらゆるところに及んでいる。業界の超大物のスキャンダルを報道することがいかに困難か、これでもかというくらい詳細に描かれる。圧力や脅迫が次々にファローの身にふりかかる。身内のNBCもしかりで、信頼していた上司が手のひらを返したようにファローのスクープを潰しにかかる(このためにファローは取材の成果をニューヨーカー誌に持ち込むことになった)。
誰を信じればいいのかわからない状況は実にスリリングで、サスペンス小説のようにページを捲る指が止まらない。ワインスタインは、スキャンダルを握りつぶすためにイスラエルの元モサドが運営する諜報組織「ブラックキューブ」を雇うのだが、彼らとの手に汗握る攻防もさながらスパイ小説のようだ。
それにしても、本書を読みながらつくづく考えさせられたのは、ワインスタインの犯行のワンパターンぶりである。仕事にかこつけてホテルの部屋に女性を呼び、バスローブ姿でマッサージをしてほしいと頼み、無理矢理力でねじ伏せる……。ここから思い浮かぶのは「凡庸」という言葉である。
これに対し、被害女性の物語はどれも個別具体的で、感情を揺さぶられる。彼女たちは若く、それぞれに夢があり、思い描く未来があった。そのひとりひとりの女性のかけがえのない人生をワインスタインは踏みにじった。まさに「捕まえて殺した」のだ。
本書のタイトルにはもうひとつ、「スキャンダルを捕まえて抹殺する」という意味もある。ファローが所属していたNBCにも、過去に内部告発を行なった女性たちの口を封じてきた歴史があった。ファローのスクープを握りつぶしたことでNBCの黒歴史も暴かれ、報道機関としての信用は地に墜ちた。
ある被害女性が亡くなった母親からの手紙に目を通す場面が忘れられない。「世界で一番愛する娘へ」とはじまる手紙にはこんな言葉があった。「扉がひとつ閉まると、別の扉が開くものよ」。ファローやニューヨーク・タイムズ紙の報道によってたしかに世界は変わった。多くの女性が別の扉の存在を知ったのだ。
花がどうやって開くかという話を以前読んだことがある。ひとつの細胞が刺激に反応して充実すると、別の細胞も触発されて次々に充実する。この連鎖反応によって、全体が大きく花開くのだという。私たちがいま目にしているのは、世界のあちこちで色とりどりの花々が咲きはじめた光景なのかもしれない。