中世の研究者は、アナーキーな気質を持っている?
ーーそれでは、この8冊のうち何冊かを振り返っていきたいと思います。まず、『世界史のなかの戦国日本』ですが、これは清水さんが選ばれた本ですよね。この本を選ばれた意図は、どういうところにあるんですか?
清水:やっぱり1冊目の『ゾミア』を受けて、いわゆる辺境といっても悲劇的な場所ではなく、むしろエネルギッシュだというようなことを感じたわけですが、それを日本史の立場で研究されてる方としては村井章介さんが一番代表的なんですよ。日本の場合は島国ですから、どちらかというと海洋の話になりますけどね。村井さんはいろんな本を書かれてますけど、このテーマでは、この本が一番まとまっていたので、取り上げてみました。
ーー村井さんというのは、日本中世史の研究者の方ですか?
清水:ええ、そうですね。ベテラン研究者ですね。
ーー清水さんも日本中世史の研究者ですが、日本の中世史を研究する人たちって、どういう特徴があるんですか?
清水:よく言われるのがですね、古代史研究者は、わりと規律立った人が多くて、中世史研究者はアナーキーな傾向がある。自分の気質に似たものを研究対象に求めるという話を聞いたことがありますね。
高野:なんで古代は規律立ってるんですか?
清水:なんといっても、律令国家ですから。
ーーこの当時(16世紀)の人々の国境の意識って、どのような感じだったんですか。今みたいに日本があって、隣が韓国で、こっちは中国でというのとは、ちょっと違う感覚ですよね。
清水:ええ。すごくファジーな領域があって、いわゆる倭寇といわれるような人たちがそこで活躍していたんですね。朝鮮側の史料だと「倭人」って書かれていて、その倭人というのは、従来、日本人とイコールだと思われていたんですけど、どうも記録の中では、日本人と倭人ってわざわざ表記を変えているんです。
つまり日本本土の人と、倭人としか言いようがない東シナ海にいる人たちは別物と考えられていて、混血が進んでたりとか、中国人とも韓国人とも何とも言えないような人たちが当時、倭人と呼ばれていたんじゃないか。そういうマージナルな存在が横溢していたのが中世の東シナ海だったというのが、村井さんの考えですね。
ーーだからこの本を読むと、倭寇のイメージが決定的に変わりますよね。海賊で反社会勢力的なイメージかなって思ったんですけど、けっこうインフラの役割を果たしてるというか。
清水:そうですね。国と国との緩衝材みたいな役割を担ってますね。
高野:2冊目にこの本を持ってきたのが、さすが清水さんと思いましたよ。これで読書会自体が広がりましたから。
清水:ああ、そうかもしれないですね。
ーーあとですね、この本を読んで、豊臣秀吉のイメージが結構変わったわけですよ。一般的に豊臣秀吉の朝鮮出兵って晩節を汚したみたいな言われ方をされることが多いと思うんですけど、その後の東アジア情勢の、明が滅びて清ができるところへ楔を打つ役割を果たしたんじゃないかと書かれているじゃないですか。これって日本中世史の研究者の中でも、ある程度コンセンサスが取れている内容なんですか?
清水:そうですね、わりとそういう論調になりつつありますね。
ーーえ〜、そうなんですか、へぇー。
清水:秀吉は、それほど国際感覚のある人ではなかったんですけど、結果的にヌルハチがやった、明を滅ぼして清を建国したということの先取りであったことは確かで、ある種、中心が弱ってきて辺境が盛り返してくる、その中の一つが秀吉であり、ヌルハチだったというのは、村井さんの言うとおりだと思いますね。