言語レベルの宣教師キラー『ピダハン』
ーーそれで次の本がですね、待ってました!『ピダハン』。 『ピダハン』は高野さんですね。これは、どういう話でしょうか?
高野:『ピダハン』はですね、これはものすごくて、アマゾンに先住民がいくつもいますけども、中でも一番インパクトがある人たちですね。インパクトといっても、格好はまったく普通で、男の人はTシャツに短パンとか、女性もワンピースとか。
ーーそうですね。ヤノマミみたいなのを想像すると、ちょっと違いますよね。ああいうフォトジェニックな感じではないですよね。
清水:フォトジェニック(笑)。
高野:何もないんですよ、儀礼的なものが。というか、この人たち儀礼がないんです。神もない、儀式もない、時間もない、数もない、右左もないし、親族呼称も、親、子、ぐらいでしたっけね。
清水:兄弟もないんですよね。
高野:ないんですよ。あと、いつも一緒にいる「つれ」みたいな言葉があって、それは家族でも犬でも何でもいい。
清水:(笑)。数がないですからね。
高野:ええ、数がないんですね。
清水:1、2、たくさん、どころじゃないんですよね。1も2もないんです。
ーー要は、著者の人がキリストの宣教師なんですね。で、かつ言語学者でもあって、ピダハンと暮らすようになってから、2つの普遍性に疑いを持つようになるんですよ。一つはキリスト教に疑いを持ったということ、もう一つは、チョムスキーの普遍文法仮説ですね。言語の文法には、ホモサピエンスであれば共通のものがあるというのが定説だったのに、ピダハンはその例外になる文法で喋っていたと。清水さんは『ピダハン』を読んでどうでした?
清水:いや、僕は正直言うと、扱った本の中で『大旅行記』と『ピダハン』が一番好きかもしれないです。日本の歴史の中では、やっぱり中世史が一番アナーキーなんですよ。そこに憧れて研究してきて、非文明的な社会だっていう風に捉えていたんですけど、非文明って言うなら、こちらの方がすごい。日本中世もまだまだ文明化していたなっていう風に思わされる。いくら何でも数字くらいはありましたからね。
ーーあと、直接体験しか語らないんですよね、この人たち。
清水:文法構造もそうですよね。
高野:直接体験しか語らないって本当すごいですよね。
ーーそれでいて、すごく幸せそうにしてるというところが不思議で、明日の心配であるとか、神様がどうだこうだとか、そういうことを一切言語レベルから無くしているってことですよね。
高野:うん、そうですね。だから、「誰かが何とかと言った」という言い方がないみたい。
ーー又聞きとかがないから、人の噂話とかもしないってことですよね?
高野:いや、それはしてると思う。
ーーあ、してますか(笑)。
高野:1次情報、だから、「俺はそう聞いた」ということは言いますよね。
清水:第三者が語る神との出会いとか奇跡みたいなのは語れないんですよね。
高野:だから、宣教師でもある著者が「イエスがこう言った」とか言うと、「おまえ、なんで知ってるんだ。イエスに会ったのか」って。で、「会ってない」と言うと、「なんで会ってないのにそんなことが言えるんだ」って責められて。
清水:ゲラゲラ笑いだす。宣教師キラーですよね(笑)。
高野:そうなんです。
ーーまあ、こういった本を読書会ということで読まれてきたわけですけども、この8冊の中でどの本が一番売れると思います?
高野:それは文庫の『世界史のなかの戦国日本』かな。
ーーああ、他の本と比べると値段が手頃ですからね。僕は『ピダハン』はもともと読んでいて、『ゾミア』も半分くらい読んでいたんですけど、初めて読んだ本でいうと圧倒的に『列島創世記』が面白かったですね。発見がありましたよ。
清水:読みやすさでいえば『ギケイキ』。でも、ぜひ『大旅行記』読んでください。
清水:ええ、『大旅行記』、素晴らしいですから。どうしよう、版元品切れになっちゃったら(笑)。
高野:(笑)
ーー会場に来られている人達の中で、実際に読書会をやってみようという方もいらっしゃるかもしれませんが、読書会を面白くするための本選びの条件って何かありますかね? こういうタイプの本だと読書会が盛り上がるとか。
高野:まあ、そんな深いことは考えてないですね。ただ純粋に、この本読んだから、これについてあの人だったらどう読むかなとか。
ーーああ、誰かのことを考えたり、相手の顔が思い浮かぶような?
高野:そうですね。で、やっぱり話してると、読んだ本の理解もすごく深まるし、面白さを再認識しますよね。
清水:そうですね、自分の好きな本とか、自分が中身を知り尽くしてる本は、かえってダメかもしれないです。
ーーちょっと自分の専門から外れた領域の方が、本としては面白い?
清水:かもしれないですね。