『絶滅魚クニマスの発見』を読む 第2回:クニマス絶滅の背景

青木 薫2021年10月25日 印刷向け表示
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絶滅魚クニマスの発見: 私たちは「この種」から何を学ぶか (新潮選書)
作者:中坊 徹次
出版社:新潮社
発売日:2021-04-21
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田沢湖の起源については、辰子(たっこ)の物語が伝わっています。

むかしむかし、今日でいうところの秋田県仙北市田沢湖岡崎神成沢のあたりに、辰子という、ひなには稀な美少女があったそうな。秋田美人ですな。佐々木希のような顔を思い浮かべればいいでしょうか。辰子は、その美しさを永遠にとどめたいと強く願った結果として、あろうことか、見るも恐ろしい蛇に姿を変え、山津波を起こして田沢湖を生み出し、湖水の底に消えてしまった。娘は二度と戻らないと悟った辰子の母は、嘆きのあまり、手に持っていた松明を湖に向かって投げつけた。その木が水面に触れるなり、一匹の鱒になって泳ぎ去ったというのです。その鱒こそは、クニマスなのですね。

辰子とクニマスの棲まう田沢湖のある秋田県仙北地方は、今でこそ美しい水田が広がるあきたこまちの一大産地になっていますが、歴史的には飢饉が頻発する土地柄でした。本書によると、江戸時代の1620~1862年に、天明と天保の大飢饉を含めて凶作だった年の数は56、その内訳は6年連続が1回、5年連続と3年連続が各2回、2年連続が4回だったそうです。6年連続の凶作って......。耕作地の拡大は、仙北地方の悲願でした。

飢饉というと、わたしには今も頭を去らない思い出があります。秋田のお隣、山形で高校生をやっていた頃(わたしもJKだった!)、ひどい冷夏の年がありました。そんなある日、校門のあたりで数学の先生と立ち話をしていたときに、先生がふと、「この寒さじゃあ、昔だったら口減らし、娘売りだな...」とおっしゃったのです。娘売り... 考えたこともなかった当時のわたしはドキッとしました。先生はただ淡々とおっしゃっただけですし、わたしは、表面上は何の反応もしなかったのですが...

今でこそ、品種改良の結果としてイネをはじめ耐寒性のあるや農作物が作出され、東北地方がかつてのような凶作にみまわれることはなくなりました。しかし、数学の先生が「昔だったら」とおっしゃった昔は、それほど遠い昔ではありません。実際、昭和になってもあったのです。

1931-32年(昭和6-7年:わたしの両親が生まれた頃)に東北は大凶作にみまわれ、その結果として、「東北地方を救うべし」という運動が起こった。その運動の一環として、田沢湖と玉川の水を農地開墾と電力事業に使うという方針が立てられ、帝国議会(当時は大日本帝国だったのですよ)で予算が成立。そして皮肉にもその事業が、クニマスの絶滅へと繋がっていくのです。

いま、「玉川の水」という言葉が出てきましたが、そのいわゆる「玉川毒水」が、寒冷な気候とともに、仙北地方にとって大きな重荷としてのしかかっていたのでした。玉川毒水は、98度で毎分8.4トン湧き出す温泉水なのですが、な、なんと、ph1.0~1.3の強酸なのです。(ちなみに、温泉なんだから硫酸だろうと思われるかもしれないですが、塩酸だそうです。)わたしはこの数字を二度見してしまいましたが、間違いなく、そのphの強酸が湧き出しているようです。あるんですね、そんなことが。それほどの強酸ともなれば当然ながら、その水に魚は住めませんし、土壌もギタギタになるのでイネも育ちません。この玉川毒水が、長らく仙北地方の農業を痛めつけていたのです。

さて、長い話を縮めて言えば、その玉川毒水を(酸性度緩和のための工夫をしたうえで)田沢湖に引き入れて、田沢湖の水で中性に近づけ、農業用水と発電用水としたのです。しかし、酸性度緩和のための工夫は思ったように機能せず、田沢湖の水はじりじりと酸性度を高め、ほとんどの生物は消えてしまった。そしてクニマスは絶滅した、ということです。

わたしが胸を打たれたのは、著者である中坊先生が、仙北地方の暮らしを、江戸時代にまでさかのぼって、たんねんに描き出していらっしゃることです。周年手に入る立派な姿のクニマスが、佐竹のお殿様のお膳にのぼった話なんかもある。玉川の水との長い戦いも描かれている。田沢湖に玉川毒水を引き入れたいきさつについても、漁業への影響を考えて補償交渉がなされたことも書いてらっしゃる。(交渉のテーブルについた人たちも、漁獲量に影響が出るだろうとは考えても、クニマスの絶滅までは考えていなかったようです。)田沢湖も、クニマスも、人々の暮らしとともにあったのです。中坊先生の、人々の暮らしに対する温かいまなざしが、わたしは嬉しい。

玉川の水を田沢湖に引き入れてクニマスを絶滅させてしまったことについては、愚挙だとか暴挙だとか、エラソーに非難するのは簡単なんですよ。でも、中坊先生は、それはちがうとお考えなのだと思うんです。むしろ、そんなふうに単純に捉えていたのでは、問題は見えてこないよ、と。

この観点は、クニマスと田沢湖の未来について考えるときにも大切になってくるのですが、その話は第4回にまわして、つぎの第3回では、いよいよ、絶滅魚クニマスの発見へと至る道について書こうと思います。

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作者:成毛 眞
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