『絶滅魚クニマスの発見』を読む 第3回:絶滅魚クニマスの発見に至る道

青木 薫2021年10月26日 印刷向け表示
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絶滅魚クニマスの発見: 私たちは「この種」から何を学ぶか (新潮選書)
作者:中坊 徹次
出版社:新潮社
発売日:2021-04-21
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というわけで、田沢湖で生まれたクニマスは絶滅しました。あれれ、ほんとに絶滅しちゃったの? 絶滅した魚が「発見」されるってどういうこと? と思いますよね。

じつは、クニマスは、絶滅前にほかの湖に移植されていたのです。この場合の移植とは、水産上有用な魚を、他の場所に生きたまま放つことです。移植の例としてよく知られているのが、ヒメマスですよね。ヒメマスは現在、東日本のあちこちの湖に移植され、釣りや漁業の対象になっていますが、もともとは阿寒湖と、その近くのチミケップ湖原産の、湖沼陸封型ベニザケなのです。青森・秋田県境に広がる十和田湖のヒメマスもまた、阿寒湖→支笏湖→十和田湖という経路で、十九世紀末に十和田湖に移植されたものです。(支笏湖経由でのヒメマス移植は、十和田湖が最初だそうです。)

十和田湖は、田沢湖と同じくカルデラ湖なのですが、十和田湖に流れ込む河川はなく、しかも十和田湖から流れ出る奥入瀬渓流は、大滝という、文字通り大きな滝があるせいで、魚が遡上できないんですよ。そのため、ヒメマスが移植されるまで、十和田湖は魚のいない湖でした(大きな雨水溜まりですね)。ヒメマス移植に成功したおかげで、現在、十和田湖を訪れた人は、そのあたりのレストランや旅館でヒメマス料理を味わうことができます。

田沢湖原産のクニマスもまた、淡水魚移植ムーブメントのなか、昭和10年頃に、いくつかの湖に移植されました。記録の上はっきりしているのは、山梨県の西湖(さいこ)と本栖湖(もとすこ)、野尻湖、青木湖です。しかし、クニマスの移植が成功したかどうかは、ついにわからないままになっていた。その最大の理由は、クニマスは見えにくい魚だからです。

たとえば産卵行動。浅瀬に集まってきて産卵するヒメマスと違い、クニマスはぽつりぽつりと湖底に向かう。だから見えにくい。また、(魚にはありがちなこととはいえ)クニマスは成長に合わせて姿かたちばかりか色まで変わる。クニマスは、見てそれとわかる魚ではないのです。今だから言えることではありますが、移植された先の湖で、過去、クニマスが捕獲されることがあったとして、ヒメマスと混同されたり、別の名前で(クロマスとか)呼ばれていたりしていたと考えられるのです。

田沢湖のクニマスは絶滅した。しかしそうなる前に、他の湖に移植されていた。もしかしたら、移植された先で(記録にある上記四つの湖や、明確な記録にはないけど移植されたかもしれない他の湖で)、クニマスは生き延びているかもしれない.....そこでクニマス探しキャンペーンが田沢湖町観光協会によって行われたりもしたのですが、結局、よくわからなかった。集められた魚の中に、クニマスはいたかもしれないし、いなかったかもしれない。要するに、キャンペーンが行われた1990年代後半の時点では、判定がつけられなかったのです。

幻の魚クニマスは、まさに幻のようにぼんやりした存在だった。絶滅する前でさえ、なにしろ今から80年ぐらい前の昭和の初期ですからね、具体的な行動様式がそれほど明らかになっていたわけではない。成長とともに姿形も色も変わっていくプロセスの詳細も、よくわかっていなかった。古い記録では、クニマスのライフサイクルのある特定の時期の姿や色についての特徴が、一生を通したクニマスの特徴とされたりもしたようです。

で、中坊先生の登場です。先生はもともと海水魚の研究者で淡水魚には興味がなかったみたいなんですが、ひょんなことから、かつて田沢湖にいたクニマスは、湖の深いところで産卵していたみたいだということに気づき、その特異な(サケの仲間としては特異)生態にがぜん興味を惹かれてクニマスフィーバーにかかり、クニマス、クニマスってさわぎだしたんですね。周囲の研究者からは「とっくの昔に絶滅した魚のことでなにさわいでんの?」みたいな目で見られていたようです。

で、クニマスの売り込みに情熱を傾ける中坊先生、京大で保存液に浸けられていた二本の瓶に計9個体のクニマスサンプル(アメリカにあるものなども合わせて、全部で17個体ぐらいしかなかったようです)をもとに、色については田沢湖の古老に尋ね、形はヒメマスを参考にして描いてみたらと、イラストレーターの宮沢正之氏(さかなクンですね)に言った。

ときは三月。その季節にはたいていはヒメマスは禁漁期なんですが、宮沢さんはがんばって、ぎりぎり漁のできた西湖で黒いヒメマスを二体ゲットし、京大に持ってきた。その黒いヒメマスは2体ともオスだったんですが、産卵期に見られる特徴、鰭の破損があった。あれれ、ヒメマスの産卵期は秋だよね? これはいったい....

気になった中坊先生、実際に魚を獲った西湖の漁協に直接問い合わせて、どんな状況で獲れたか、使った網の種類や獲れた深さなどを聞いた。すると、湖の深いところで獲れたというじゃないですか!

このあたり中坊先生の興奮がビンビンと伝わってきます。中坊先生が、「さらに獲れるようでしたら、ください」とお願いすると、すぐに同じような「黒いヒメマス」が四体、研究室に届き、その中には卵を持ったメスもいた! これを見た中坊先生、もういても立ってもいられず、翌月、西湖に乗り込んで、現場をその目で確認、さらなるサンプルも手に入れました。

それにしても、何なんだいったい、これらの魚は。地元の漁師がクロマスと呼んでいる、この「黒いヒメマス」の正体は? たしかに西湖にはクニマスが移植された記録があるけど、まさか?! いや、もしかして....。

クニマスフィーバーがいよいよ嵩じた中坊先生、そこから魚をこまかく分析し、さらにはDNA解析を駆使して、クニマスは実際に西湖で生きていたこと、そして他の魚種とは分離できることを明らかにし、絶滅魚クニマスは他の場所で生きていたと世界に認めさせる論文を書き上げたのでした。

これ、言うほど楽じゃないですよ。「魚をこまかく分析」と言ったのは、パッと見てわかるようなことを調べるものではないからです。今の場合には、幽門垂(ゆうもんすい)数とか鰓耙(さいは)数とか、解剖学的と言っていいような特徴の数を、一体一体、こつこつと数え上げるんです。DNA解析にしても、交雑の問題とかもあって、一筋縄ではいきません。

こういう地道な作業の積み重ねとして、クニマスの生存が確認された。そしてそうするなかで、クニマスという魚の生態についての全体像が浮かび上がってきたのです。本書には、そういう専門的なプロセスが克明に書かれていて、勉強になりました!

ちなみに、DNAレベルの研究の成果として、今では、クニマスには十分な遺伝的多様性があるらしいこともわかってきたようです。遺伝的多様性が大きければ、環境の変化などに適応しやすく、種として生き延びる可能性が大きいということになります。それに対して遺伝的多様性が小さいということは、何かの拍子にあっさり絶滅してしまうかもしれないということを意味します。

実は、阿寒湖(とケミチップ湖)原産のヒメマスは、どういう事情でか、この遺伝的多様性が小さいらしいのです。そのため、ヒメマスは絶滅危惧種になっているんですね。知らなかった...。ちょっとウエブをあたると、北海道では禁漁。ほかの湖でも時期により禁漁になっている。十和田湖のヒメマスも、いつでも行けば食べられるというわけではないのですね。ううむ、そんなことも知らなかった.....。

次回、最終回の第4回では、クニマスと田沢湖の未来、そして本書のサブタイトルである、「私たちは「この種」から何を学ぶか」について書きたいと思います。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!