西野 智紀 今年最も「恐怖した」一冊
本年で三十路になってしまった。いつまでも若いつもり……でいたくはないが、実年齢よりも低い精神年齢とのギャップを感じて、日々反省しきりである。責任ある大人への道は長い。
戯れ言はさておき、そんな幼稚な若者を震え上がらせる一冊が今年発売していた。それが『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』である。ほめられたくない。自分の提案が採用されてほしくない。浮いたらどうしようと常に考える。こういった若者たちを「いい子症候群」と呼称し、豊富なデータを元に分析・解説した本である。軽妙な語り口だが、その指摘は背筋が寒くなるほど鋭く、的を射ている。
たとえば。前述の「周囲から浮きたくない」気持ちは、異様に低い自己肯定感に端を発すると著者は言う。自分に自信がない。自信がないから発言をしない。発言して出る杭だと嗤われるのを激しく恐怖する。よって、早ければ小学生頃から周りと強く同調する「いい子」の演技力を身に着ける。そうして、挙手しない・指示待ち・質問されて固まるだけの若者が醸成されるわけだ。
ゆとり世代、Z世代といった呼び名を使った若者論は数多あるが、正直な感想、本書を読めば十分である。社会に出る前にこういう本を読みたかった。
冬木 糸一 今年最も「自分の生活に影響を与えた」一冊
本を読むと人間は多かれ少なかれ影響を受けるものだ。生活上すぐに役立って実践に移せる知識がたっぷり乗った本もあれば、宇宙論の本のように生活にはほとんど何の影響も出ないような、ただし世界の見方を一変させることで間接的な影響を与える本もある。
今回はそうした数ある選択肢の仲でも、今年僕の生活・行動に最も大きな影響を与えた一冊として、ダニエル・E・リーバーマンの『運動の神話(上・下)』を取り上げたい。毎日毎日健康のため、体重の増加を食い止めるために運動をしていたが、人間にとって運動とは何なのかを歴史から振り返って、現代人が運動をする意味、そしてどの程度実際に運動すればいいのかについて具体的な情報を与えてくれた。
この本を読んでから律儀にここに書かれている「一日に必要な運動量」を守っている。たいへんいい本なので、年末読書のお供として、おすすめしたい。
古幡 瑞穂 今年最も「現実とフィクションの狭間が揺らいだ」一冊
最近、現実とフィクションの境界がわからなくなるような出来事が増えています。一方で、今年は現実に着想を経た小説が豊作な年でした。中でも印象深かったのがこちら。
渡良瀬川の河川敷で若い女性が殺される事件が起こり、その手口から十年前の未解決連続殺人事件との関連性が疑われます。十年前の殺人事件を解決出来なかった刑事、被害者家族、そして当時疑われた人たちはそれぞれの思いを胸に行動を開始し…というお話。
関係者への緻密な取材をしたかのような彼らの視点や独白、警察と被害者との対立。そして、圧倒的なリアリティがあるからこそ「わからないこと」が残ってしまうラスト。分厚さを忘れ一気読みでした。
北関東舞台の連続殺人事件ということではノンフィクション名著『殺人犯はそこにいる』を思い浮かびます。ノンフィクションが顕在化された事件を追うものだとしたら、この小説はまるで”創作された事件を追うノンフィクション”です。だからこそ、読み終わってしばらく経った今になっても、奥田さんの創り上げた登場人物たちの生活がどこかで続いているような気持ちが続いています。ノンフィクション好きにも、いや、ノンフィクション好きにこそオススメしたい1冊です。
堀内 勉 今年最も「目から鱗が落ちた」一冊
本書は、科学哲学というより科学史の入門書である。人類の歴史の中で科学がどのように発展してきたのかが、哲学との関係で整理されているのでとても分かりやすい。一頁めくる毎に目から鱗がポロポロと落ちていった。
世界を説明する物語として生まれた神話や宗教、それをできるだけ論理的に説明しようと模索した自然哲学、その後の中世キリスト教時代の神の支配による停滞を経て、17世紀の科学革命によって独り立ちした「科学」の誕生とそれに呼応する資本主義というメカニズムの駆動以降、人間の問題は我々の関心の埒外に置かれてしまった。
宗教が説得力を失い、哲学が懐疑主義に落ち入り、科学万能の時代が訪れると、科学で説明できない問題は存在しないかのように扱われるようになり、人間性という不確かなものはその対象から外れてしまったからである。しかしながら、ここにもう一度人間に焦点を当てなければ、人類に未来はないと思っている。
原発問題など科学技術に伴うリスクという意味だけでなく、科学が人間を置き去りにしてしまったことに対する強い危機感である。本書はそうした視点に重要な示唆を与えてくれる良書である。
峰尾 健一 今年最も「ページをめくるたびに発見があった」一冊
音楽の演奏やスポーツなどの身体運動における「学習」のあり方を斬新な角度から掘り下げる本書は、広い意味での「技能獲得」のプロセスに興味がある人ならばぜひ読んでいただきたい一冊だ。
ピッチングフォームに本人が自覚していない「ブレ」があるにもかかわらず、桑田真澄が高い制球力を保てるメカニズム。「理想のフォーム」を追い求めて同じ動きを再現しようとすることで、かえって上達を妨げられてしまう理由。むしろ一見遠回りな探索をくり返すことで「土地勘」を養う方が、実は安定した結果につながるとの指摘も興味深い。
あえて先にテクノロジーの力で「できた」状態の世界に体を連れ出し、後から「こういうことか」と意識を追いつかせる学習アプローチには驚かされた。画像処理AIを駆使して体の一部を撮影するだけで全身の動きを計測、「お手本」とのズレをリアルタイムにVRで投影するという新しいコーチングの形まで提示されている。
体の奥底、無意識下に秘められていたポテンシャルが、テクノロジーの介入によって引き出されていく。そんな意外性に満ちた研究の数々を、読みものとしての面白さまで吹き込みつつまとめ上げられるのは伊藤亜紗さんしかいない。
超人的なパフォーマンスを見せる人の内側は一体どうなっているのか、その正体を知りたい人も必読。できなかったことが急にできるようになる瞬間、思考の枠の外側で起こる「飛躍」に関心がある人にはとりわけ刺激的な読書体験になるだろう。
山本 尚毅 今年最も「世界が変わりそうな小さな希望持てた」一冊
3Dプリンターで家が建てられる、そんなニュースが時折見られるようになったが、どれもいまいちな外観であったり、構造が脆そうで、魅力を感じなかった。まだまだ、そんな未来が身近になるのは遠い先かと思っていた矢先、メタ・アーキテクトを読んで、もう手に入れられるのかも、と考えが変わった。
著者は建築と社会を再接続させる、ひとりのつくり手でいること、自分がつくりたいものを作る、そのための環境をつくる…など多面的に建築を考えた結果、大学院で建築ではなく、デジタルファブリケーションを専攻し、その後起業した。社会・産業・経済・流通のすべてが自立分散化し、土着化するなか、建築家はどのように変わっていくのか、という壮大な問いを立てている。これを解いていく。その途中経過が本書である。左右見開きで左は行動、右は言葉、二つはズレながら、徐々に融合していく構成である。読み手にビジュアルの具体のイメージとズレの違和感の双方をもたらし、内容は小難しいのだけれど、読書体験としても飽きさせない。
メタ・アーキテクトのメタには、高次な次元から見つめ直し、代謝を繰り返すことで新しい建築家像を作ろうとする狙いが込められている。「建築家が再び部品をつくる時代」や「建てて終わりの終わり」など、小見出しをパッと見るだけでもワクワクさせられるし、面白い未来が待っていそうだと希望を持ちたくなる。
吉村 博光 今年最も「千葉愛を深めた」一冊
小学生の頃の趣味は「使用済み切符のコレクション」だった。私の父は出張が多い人で、お土産に切符を持ち帰り土産話をしてくれた。鋏や日付が入った切符を見ながら、まだ見ぬ土地のことを想像するのが楽しかった。
翻って私はずっと取次会社の本社勤務。出張の機会は少なかった。しかしようやくチャンスが巡ってきた。新規出版社の営業部長になり全国各地に出張に行くことになったのだ。諦めなければ夢は叶う。次は世界に行きたい。
いやいや自費で行けよ、というツッコミは甘んじて受ける。あなたは正しい。結局今年、訪問した書店数は全国で200軒。47都道府県にほぼ足を運んだ。その中で特に愛を深めたのが千葉県だった。
東京都に住んではいるがゴルフも競馬も足を運ぶのは千葉県。この馴染みある土地の書店に数多く訪問し、この本に出会った。旅行ガイドの出版社から出ているが一般的な観光ガイドではない。
理科、歴史、地理、国語など、分野別におさえておきたい教養がシッカリとまとめられていて読み応え十分だ。本書を読んでおけば、仮にゴルフで大たたきしても「ここがチバニアンか」と大空を見上げれば自分の小ささに気づくというものである。
鰐部 祥平 今年最も「啓発された」一冊
3年目のコロナ禍もまもなく終わろうとしている。この3年の間に経済的な打撃をこうむった人も多いだろう。某自動車メーカーのサプライヤーで働いている私もそんな一人だ。コロナ以前から続いていた半導体不足がコロナ禍の影響でさらに悪化。減産とライン停止が相次ぎ、ここ1年ほどは月に2、3週間ほどしか出勤していない状態が続いている。当然だが収入が大きく減ってしまった。加えてロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー資源の高騰、世界的インフレによる物価高、円安と何重にも経済的打撃が相次いでいる。育ち盛りの子供のいる身としてはこのままではまずい。そんな焦りばかりが募る。
そんなタイミングで手にしたのが本書だ。シリコンバレーのスタートアップでアイコン的存在のナヴァル・ラヴィカントがTwitterに投稿した含蓄のある言葉を作家でもあるエリック・ジョーゲンソンがまとめ上げ一冊の本にしたものだ。当然、体系的に書かれたものではないので散文的な内容になっているのだが、ひとつひとつのメッセージには驚くほどの思想性が含まれ機知に富んだものになっている。ではそのいくつかを紹介しよう。
カネではなく、地位でもなく、富を求めよう。富とは君が寝ている間も稼いでくれる資産だ
「地位のゲーム」をする人は無視せよ
時間を切り売りしてはリッチなれない。エクイティ(事業の一部)を所有せよ
「社会がもとめているが、手に入れる方法が知られていないものを」を提供せよ。それも大規模に
インターネットはキャリアの可能性をとてつもなく広げた。ほとんどの人はまだそのことに気づいていない
「同じゲーム」を何度も繰り返せ。富であれ人間関係であれ知識であれ、人生の見返りは福利で増える
売る方法を学べ。作る方法を学べ。両方できれば無敵だ
「特殊知識」「説明責任」「レバレッチ」を武器にせよ
「特殊知識」とは、訓練では身につけられない知識のことだ。もし君が訓練でできる知識しか持っていなければ、訓練された別の人に取ってかえられる
コードとメディアは非許可型(パーミッションレス)のレバレッチだ。これが新興富裕層を支えているレバレッチだ。ソフトウェアやメディアをつくって、君が寝ている間も働かせよう
コードがかけないなら、本やブログを執筆し、ビデオやポットキャストを収録せよ
このような経済的自由を手にするための珠玉の言葉がこれでもかと続く。最後には「とうとう富を手に入れたとき、君が求めていたものが富ではなかったことに気づくだろう」とも結ばれている。当然ながら富を手にしていないどころか、コロナ禍の影響で減収してしまった私のような人間にはナヴァルがたどり着いた境地がどのようなものなのか知るすべはない。しかし、ナヴァルが説く言葉を愚直に実践し、自分の特殊知識を見極めて磨きをかけ、微調整を繰り返し、うまくレバレッチをかけることができれば、彼の目にした世界も見えてくるかもしれない。そんな希望を抱かせてくれる書籍である。
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それでは皆さん、2023年もHONZをどうぞよろしくお願いいたします。