塩田 春香 今年最も「”読む・書く・伝える”に向き合う機会を与えてくれた」一冊
2016年「今年の一冊」で私が紹介したのは、『賢者の石、売ります』という、科学好きな家電メーカー社員が主人公のお仕事小説だった。
それから3年、意外な依頼があった。今年ドラマ化して話題になった『わたし、定時で帰ります』の著者・朱野帰子さんから「自著の文庫解説を書いてほしい」と。『賢者の石、売ります』も朱野さんの作品だった。あの「今年の一冊」が依頼のきっかけだったそうだ。
そして『賢者の石、売ります』は『科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました』と改題・文庫化されるのだが、それに掲載されるたかが3000字程度の解説を書くのに、私は煩悶することになる。
引き受けてはみたものの、依頼を受けて他社の商業出版に名前入りで文章を書くのは、これが初めて。一会社員の自分語りなど読者は読みたくもないだろう。でも、書き手が恥をさらけ出し、血を流して書いた文章でなければ、熱量は伝わらない。どうすればいい? 結構長く出版業界にいながら、「書き手」の苦しみを私はわかっていなかったと痛感・猛省。何度も本を読み直し、そのたびに新しい気づきもあって「同じ作品を読み込むこと」の奥深さも改めて実感した。
結果的に私が書いた解説は、朱野さんからも「ご自身の血潮がたぎっている」と褒めて(?)いただき、読者の評判も悪くはないらしい。私にとって本書は、ふだんとは違う立場で「読む・書く・伝える」に必死で向き合う機会を与えてくれた一冊だ。
東 えりか 今年最も「恐れていた事態は明日にも起こると実感させられた」一冊
2015年1月に、パリの風刺新聞社「シャルリ・エブド」にイスラム過激派のテロリストが侵入し、12人が死亡、多数の負傷者を出した事件で生き残った女性の後日談である。
テロは世界中で発生している。日本でも起こるかもしれない。そんな心配は誰もがしているだろう。
原稿を書いてHONZにアップしたのが4月。そのわずか3か月後「京都アニメーション放火殺人事件」が起こる。一人の男がスタジオに侵入しガソリンを撒いて放火したことで、36人が死亡、多くの負傷者を出した衝撃の出来事だ。被疑者も大やけどを負い、つい最近、事情聴取が始まったばかりだと聞く。
動機はまだわかっていないが、犯人に政治的意味はなかったかもしれない。しかし不特定多数を標的にしての虐殺が、こうもやすやすと行われたことに慄然とする。本書の著者であるカトリーヌ・ムリスと同じ立場になった被害者たちは今どうしているだろう。
事件から立ち直り回復することがどんなに困難なことか、本書には詳細に書かれている。遠い国の事件だと思い込んでいたが、明日、本当に起こるかもしれない。それをリアルに感じた一年だった。
冬木 糸一 今年最も「僕の行動に影響した」一冊
今年もっとも僕の行動に影響した本はカル・ニューポートの『デジタル・ミニマリスト』だ。現代のSNS、特に絶え間なく通知を送ってくるtwitterやfacebookがいかに我々から集中力を奪っているのか、またどうしたらそうした各種SNSを確認する頻度を減らし、SNSから開放されることができるのか──について語られた一冊である。それ以前に僕は『140字の戦争 SNSが戦場を変えた』を読んで、twitterに対して嫌気がさしてみるのをやめていたのだけど、本書(デジタル〜)はそこに指針を与え、後押しをしてくれた。
山本 尚毅 今年最も「分厚い、分厚かった」一冊
729ページ、数字だけでは伝わらない分厚さを目の当たりにしたのは、背表紙を下に向けて、机にたてたときだ。まさか、いや案の定、立ったのだ!表紙と裏表紙をV字に開きながら、バランスを見事にとる、華麗な立ち姿。さすが、バイブルである。
実際に、中身もバイブルの名に相応しいものだ。ゲームについての本とは思えないくらい、真面目で誠実なのだ。目次だけで20ページある。おもしろさを飛躍的に向上させる113のレンズは「喜怒哀楽のレンズ」からはじまり「秘密の目的のレンズ」で終わる。読者がたくさんのレンズを消化できるかなんて余計ない心配はまるでしていない。むしろ、本を読むだけでゲームデザイナーになれるわけなんてない。なりたいのなら、とっととゲームデザインしなよ、と挑発している。
ちなみに、ゲーム業界に所属していない人にこそおすすめである。ゲームを作る上で活かされている専門的な知識やテクニックがぎっしり詰まっており、実践で即座に使える内容にまで咀嚼されている。体験価値をあげたい、顧客を喜ばせたい、とにかくもっとおもしろくしたい、素朴な想いにも寄り添ってくれるなバイブルだ。
吉村 博光 今年最も「オリンピックイブな」一冊
今年で没後30年、来年生誕90年をむかえる芥川賞作家・開高健が、オリンピック前の東京を歩き回ってまとめたルポルタージュ。TOKYO2020の前にあらためて読んでみた。作家自ら泥くさい東京に入り、様々な人々と触れ合いながら「そこにある東京」を綴っていくスタイルが新鮮だった。
本書は、大先輩の作家・武田泰淳氏からルポを書くことを薦められたことがキッカケで生まれた。そしてこの『ずばり東京』への出版社からのご褒美として、彼はベトナム取材に行くことになるのだ。それは、過酷な戦場体験や闇三部作へとつながってゆく。尊敬する先輩(師匠!)の話は聞くものだと思った。
それにしても、本書には「うんこ」の話がいっぱい出てきた。開高は「うんこ」の話が好きだったようだ。今年の東京にも、よく似た状況がある。本屋さんの学習ドリル売場には「うんこ」の文字が溢れているのだ。テレビCMでお茶の間の人気者となった芥川賞作家。人々に愛されたのは、子供にも通じるお茶目さなのかもしれない。
作家が遺したこんな言葉にも注目したい。「少年の心で、大人の財布で歩きなさい」(『地球はグラスのふちを回る』より)
鎌田 浩毅 今年最も「五感の喜ぶ」一冊
「ルビンのツボ」とはデンマークの心理学者ルビンが考え出した白黒の有名な図形で、中心の黒い所を見れば壺に、周りの白い所を見れば顔になる。視点を変えれば全く別の世界が現れる「図地反転図形」で、評者は「感受性の角度を変える」と表現している。
科学と芸術の関係を「!」と「?」で鮮やか論じる本書は、素敵なフレーズに満ちており、サイエンスは「!」を「?」に変えて答えを追及し、アートは「!」を形や音に表現すると語る。そもそも「表現は、限られた人に与えられた特権ではない(中略)それはただ、自分に向き合うこと」(本書144ページ)なのだ。
副題の「芸術する体と心」は評者の「科学する体と心」と見事に感応し、身体論と地球科学を融合しようと四苦八苦する2019年の日々に光を与えてくれた。すなわち、「頭よりも体のほうが賢い。体の声に耳を傾けよ」(『座右の古典』ちくま文庫、220ページ)。
いずれ芸術認知科学者の著者が『風邪の効用』(ちくま文庫)の野口晴哉と出会い、新たな「ルビンのツボ」が誕生するのも遠くないと予感した。活元運動で「頭をゆるめて、見え方の揺らぎを楽しんで」(本書viページ)いただきたいと願う。
仲野 徹 今年最も「紹介しそびれた」一冊
ありがたいことに、結構な数の本が送られてくる。どんどんたまっていくいので、処分せざるをえない。そんな中に、いつまでも気になって積ん読のままというのが出てくる。『みんなの「わがまま」入門』もそんな本だった。それならさっさと読めばええのに、と言われるだろうが、時にはそんな本もあったりするのだ。
読んでみたら、むちゃくちゃに面白かった。一応HONZには出版3か月以内に紹介というルールがある。読んだのは出版後半年近くたっていたので見送った。
タイトルからは何の本か少しわかりにくい。ひとことでいえば、みんなもっとわがままになった方がええんとちゃいますか、という本だ。そして、正しくわがままを言うためのお作法が述べられていく。
日本人はわがままを言わなさすぎだと常々思っている。だから、私のような我慢強い人(<主観的イメージです)でもわがままと誤解されたりする。もっときちんとわがままを言うべきだ。そうしたら、社会がもっと良くなるに違いない。そして、最後の章にあるように、他人の「わがまま」をおせっかいしてあげることができたら最高だ。
ここまで書いて気ぃつきました。この本にある「わがまま」は、正しい大阪のおばちゃん精神と同じやんか。内容にえらい親しみを感じたのは、きっとそのせいや。
古幡 瑞穂 今年最も「中間管理職心に刺さった」一冊
ファンタジーと聞くと夢物語のような小説を想像する人が多いようだが、実のところは綿密に練られた世界で描かれるのは熾烈な現実である例が多い。「十二国記」が多くの大人に支持される理由の一つもそこにある。
この世界には天に選ばれた王が国を治めるという理がある。王は民のために大きな仕事をすることを求められるのだが、もし偽の王が立った場合、国は荒れ妖魔が跋扈する事になる。荒れた国土では国民は次々に命を奪われていくことになり、不満を持った民衆は反旗を翻し、志ある将はどこかにいるのであろう王を命がけで探す…。最新刊で描かれたのはこういう物語だ。
荒廃しきった世界と辛い戦いが描かれた読書時間は決して楽しいものとは言えないだろう。それでもこうも多くの人がこのシリーズを支持するのを見ると、本を読むということに娯楽を超えた意味を感じずにはいられない。「十二国記」で描かれた、どこかの社会に似た世界での物語に人々は何を映し見たのだろう。読み終わった今もまだずっと考えている。
あ、シリーズ未読の方には『図南の翼』からの読書がオススメです。
堀内 勉 今年最も「衝撃を受けた」一冊
八重洲ブックセンターは、今年、その年に最も注目を集めた本に送られる「八重洲本大賞」に、最新の数学理論を一般向けに解説した『宇宙と宇宙をつなぐ数学』を選んだ。同賞を数学の解説書が受賞するのは異例のことらしい。
事の発端は、2012年に京都大学の望月新一教授が公開した4つの論文である。ここで望月教授は、「未来から来た論文」と呼ばれる全く新しい「宇宙際タイヒミュラー理論(IUT理論)」を打ち出し、数学の最大の難問のひとつとされる「ABC予想」を解決したと主張して、数学界に衝撃が走った。
ただ、そもそも「IUT理論」というものが何なのかを理解できる数学者が世界でもわずかしかいないため、査読がなかなか進まず、専門家の中でも正しいかどうかの結論がいまだに出ていないことを受けて、友人である東京工業大学の加藤文元教授がこの理論のポイントや経緯について分かりやすく(?)解説したのが本書である。
もしかしたら我々は、ニュートンやアインシュタインが成し遂げたのと同じくらいの大発見に立ち会っているのかも知れない。IUT理論の中身は到底理解できなくても、そう思うだけでもゾクゾクしてくる衝撃的な本である。
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それでは皆さん良いお年を!